26 退魔師界隈もいろいろありまして




 その後ろに播磨の従妹がいる。彼女のほうはちゃんと階段を使っている。

 彼ら二人も近場で仕事中だった。

 泥で汚れた靴でつかつかと寄ってきた一条は、播磨と安庄の間に割り込んだ。ポケットに両手を突っ込み、これみよがしに安庄の頭上から見下ろす。一条もそれなりに上背はある。


「だいたいなんだ、縄張りっつーのはよ。テメェら、犬かよ」

「ああん!?」

「んだぁ、ゴルァッ!」


 互いの胸ぐらをつかみ、メンチを切りあう。


「いやですわ〜、ガラの悪いこと」

「ですわよねぇ。恐ろしゅうございますわぁ」


 藤乃と従妹が身を寄せ合い、怖がるフリをしている。播磨もがなりあう二人からさっさと距離を取っていた。

 藤乃がやや感心した声で従妹へ告げた。


「性格に難ありな殿方も、たまには役に立ちますわね。適材適所と申しましょうか」

「ええ、そうですわね、藤乃様。毒をもって毒を制すとも言いますし」

「お前たち、口を慎むように」


 播磨にたしなめられると、はーい、と返事だけはいい子ぶる女たちだった。

 もう一人の退魔師も播磨一族と似たようなもので、一歩引いて一条たちを挟んだ反対側に立っている。


 罵声の嵐の影響か、またも雲が太陽を覆いはじめた。明るい光がすべて隠された瞬間、陰陽師と退魔師の一団が一斉に同方向を振り仰いだ。

 泳州町のほう、小さな三角屋根の家から瘴気が吹き上がり、無数の悪霊が飛び出した。灰色空に黒い濃霧がシミのように広がる。その中心を先陣を切った獣型の悪霊が宙を疾駆し、こちらへ向かってくる。

 全員が得意とする得物を構える中、誰かが強く舌を打った。

 やけに忌々しげだったのは、聞き間違いだろうか。

 呪を唱える播磨は、頭の片隅で思っていた。


 播磨の従妹の顔が強ばるほど、悪霊の数は多かった。

 しかしここには、術者が六人もいる。千切っては投げ、千切っては投げするうちに、瞬く間にその数は減っていった。けれども――。


「おい退魔師、祓うのおっせぇよ。さっさとしろ」


 悪霊の集団を短い呪のみで一挙に消し去った一条が、安庄をコケにする。彼は呪符で一体ずつ相手取っていた。


「はぁ〜!? 俺のどこが遅いんだ。十分早いでしょうが! この程度の雑魚ならこんなものでちょうどいいんですよ」

「そんなチンタラやってるから、こんなに悪霊増えてんじゃねぇのか、あんたらの大事な縄張り内はよ」

「――余計なお世話ですよ!」

「ああ、そうか、できねぇのか。よっわ」


 悪霊祓いそっちのけで揉めている。

 一条のほうを向きながら、安庄が横へ飛ばした呪符を人型の悪霊が虫型を盾にして逃れた。獣型が吹き飛ぶ隙に、人型が中空へ飛び退る。川を渡り、方丈町へ飛んでいってしまった。

 その光景を背にしていた播磨たち三人は見ておらず、もう一人の退魔師はギョロつく目で見ていたものの、追う素振りもなかった。


 ほぼ播磨一族で悪霊を片付けてしまっても、一条と安庄はまだ言い争っていた。

 その二人からやや離れた位置で並び立つ播磨たち三人は、深々と息をついた。


「役に立つどころか、ただの足手まといでしたわ」


 藤乃は辛辣だが、播磨も同意見である。


「ああ、残念ながら一切庇えない。――庇う気もないが」

「ええ、本当に。どうしようもありませんわ。まだ次の案件もありますのに……。ここに堀川さんがいてくれたら……」


 従妹は堀川の不在を嘆いた。

 最近一条は、堀川に従順な態度を取るようになっており、もし彼女がここにいて声をかけてくれたなら、一条は水を浴びせられたように大人しくなっただろう。


「おーい、そこのおっさんら、いい加減にしなよ」


 突然、背後から声がかかった。まったくその気配を感じ取れなかった播磨たち三人が弾かれたように振り返った。

 数歩先に佇んでいたのは、播磨には初見の若い男だった。

 黒染めの僧衣をまとうその体軀は、細身ながらもしかと筋肉が付いている。

 竹刀袋を肩に担ぎ、亜麻色の前髪をかき上げるその若者は、女性たちに人懐っこく笑いかけた。


 ちっとまた小さく舌打ちが鳴る。今し方と同じその音は、むっつりと押し黙ったままのもう一人の退魔師の口から発せられていた。


 安庄は新たな登場人物を見るや、一条のことは眼中になくなったようで、その若者を凝視していた。そうして苦々しそうにつぶやく。


「――鞍馬くらまのとこの倅……帰ってきたのか」

「そ、昨日ね。しばらく実家にいるつもり。だからさぁ――」


 鞍馬は表情を一変させた。

 竹刀袋で手のひらを叩き、鋭く乾いた音を響かせる。途端、その身から蜃気楼のごとく霊力が立ち上った。その量・圧ともに並大抵ではなく、背後の景色が歪んだ。

 年嵩の退魔師二人を真っ向から見据え、鞍馬は抑えた声で告げた。


「おっさんら、あんまり調子に乗んなよ」


 一気に殺伐とした雰囲気に変わり、陰陽師たちは不可解そうに視線を送りあった。


「いくぞ、園能えんのう


 安庄が声をかけ、もう一人の退魔師と二人で悪態をつきながら去っていった。

 その背たちを見送ることもなく、鞍馬は陰陽師たちに笑いかけた。


「災難だったね、綺麗なお姉さんたち」


 その視線が女二人にほぼ固定されているあたり、女好きなのかもしれない。

 思いつつ、播磨は礼を述べた。


「すまない、世話になったな」

「べっつにぃ、大したことじゃないよ。気にしなさんな」


 播磨へ向かってひらひらと手を振る鞍馬は、いかほど歳上であろうとも、物怖じしない性分らしい。

 タメ口の若者に、やや離れた位置にいる一条は眉根を寄せている。


 ともあれ、鞍馬を近くで見た播磨はその若さにやや驚いた。

 おそらくまだ成人していないが相当な霊力も内包しているようで、腕も相当なものだろう。だからこその傲慢さなのか。

 しかしながら、気安そうな人柄のようであるから尋ねてみた。


「退魔師同士は、仲が悪いのか?」


 いままでさほど退魔師に興味を持ったことはなく、彼らの内情を知らない。

 同じ地域の同業者だろうに、関係が良好とは言いがたそうな様子が気になった。


 鞍馬は、固まる播磨たち三人から距離を開けた位置にいる一条までを流し見た。


退魔師俺らも一枚岩じゃないってこと。そちらさんもそうでしょ」

「――まぁ、そうだな」

「でっしょ。悪霊祓いは一番実入りがいいからさ、退魔師同士で取りあいになるんだよね。公務員のそちらさんにとっては違うだろうけど、俺らには死活問題だからさ」

「そうか……」


 悪霊祓いがあろうがなかろうが、多かろうが少なかろうが、公務員である陰陽師たちの給金は変わらない。

 だが、個人で仕事を請け負う退魔師は違うのだ。

 播磨は、毎回退魔師たちに追い返される理由にようやく思い至った。


 穏やかに会話する中、一条が従妹へ顎をしゃくり、促す。


「おい、次いくぞ」


 背を向けてさっさと歩いていく。その背後で従妹は大げさに肩をすくめ、兄妹に会釈して追っていった。

 その手元を注視した鞍馬がニヤリと笑う。


「へぇ、〝くすのきの宿〟の守護神サマ、呪符もつくってるんだ。知らんかった……」


 聞き捨てならぬ独り言に、播磨が眉を寄せる。


「宿の守護神様?」

「ん? 知りたい? あの呪符と同じ効果のある表札を掲げてる温泉宿があるんだけど、それを誰がつくってるのかわかんないからさ、宿の守護神サマって呼んでんの。俺らの間じゃ、ちょっとした有名人だよ」

「そうなのか……」


 湊の実家が温泉宿を経営しているのまでは知っていたが、詳細までは調べていない。まさかの情報だった。


「わざわざそこに泊まって、部屋の表札やキーホルダーを失敬する情けない退魔師までいるんだよねー。あと――」


 鞍馬は頬に人差し指を当て、縦になで下ろした。


「その筋の連中にも大人気だってさ」


 播磨兄妹がそろって剣呑な気配を漂わせた。


「あれ、お姉さんそこの人たちと知り合い? 大丈夫、そっちはあんまり心配しなくていいと思うよ」


 藤乃へ向かい、爽やかに笑いかける。


「あっち側の連中の素行は褒められたもんじゃないけど、守護神サマにはめちゃくちゃ感謝してるみたいでさ。宿に迷惑かけないようにしてるし、陰ながら温泉郷の治安も守ってるんだって。これ確かな筋の情報だよ」


 あとさ、と声をひそめた。


「その宿に棲み着いてるつよーい妖怪もいるから、心配するだけ損だよ、損」

「そうですか、安心しました。教えてくれてありがとうございます」


 藤乃が愛想よく微笑むと、鞍馬は顔を赤くした。まだ純情さを持ち合わせているお年頃らしい。


 ――あとで調べるか。

 ――ええ、もちろん。


 そんな彼を前にして、兄妹は目だけで会話をしていた。



―――――――――


たまには若い子を出すかと思い立って、出してみました。

小生意気な若造ですが、以後お見知りおきを。


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