25 お疲れの陰陽師たち
幅の広い川沿い――土手の上にある道をてくてく歩む黒衣の男女があった。頭上の曇天と同じくどんよりと覇気のない二人は、播磨兄妹である。彼らは早朝から悪霊の巣食う場所へ向かっていた。
緩慢な動きで、播磨は川を眺めやった。
「最近、川をよく見る……。今日は水かさが増しているのは、昨夜の雨のせいだろうな」
「そうでしょうねぇ……」
元気が取り柄の妹――
仲が悪いわけではなく、二人とも連日の悪霊祓いに疲れきっているからだ。
藤乃が肺の中をカラにする勢いで息を吐ききった。
「最近の悪霊の多さはなんなのでしょう。ようやく春の忙しい時期が終わったと喜んでいましたのに……」
「そうだな、あれも長かったな」
春は悪霊が妙に増える時期だ。毎年、それを過ぎてしまえば、あとは通常に戻るものだ。
だがしかし、今年はそうならなかった。ほんの少し沈静化しただけで、ぶり返す勢いである。おかげで人手不足の陰陽師はてんてこ舞いだ。
疲労は溜まっていても早足な兄妹の行く手に、目指していた水門が見えてきた。
「――兄上、水門が悪霊に大人気です」
「なぜあんな所に……」
川は二手に分かれており、その片方に赤い水門がある。
ただでさえひと気のない寂しい場所は時間も相まって、人っ子一人いやしない。けれどもまるでその代わりのように数多の悪霊がはびこり、赤い水門がほとんど黒になっていた。
一帯を瘴気が覆い、その中心――水門に膜を張る悪霊がボコボコ湧き立っている。パチンと一つの泡が弾け、細長い虫の脚が出てきた。
それを見た瞬間、表情を消した藤乃の手のひらに光の粒子があふれる。
瞬時に粒子は形をなし、薙刀になった。
反りのある刃は、光源などなくとも自ら光り輝いている。
これは、遠い先祖にあたる神からの贈り物。いわば神の武器だ。
悪霊であろうと、妖怪であろうと大根並みにさっくり斬り捨て、祓うことが可能である。そして常人の目には映らない。
幼少期にこの薙刀に選ばれた藤乃は、自らの手のひらから自在に取り出せるうえ、霊力を底上げしてもらえる。
なお、播磨家にはいくつもの武器――もっぱら刀があるものの、選ばれるのは女だけであり、男である才賀では扱うことすらできない。
播磨家の先祖の神――男神は、女贔屓が激しいからである。
藤乃が駆け出しざまに横一閃。斬り裂かれた瘴気が、散りぢりになっていく間を駆け抜ける。
一つに束ねた髪が尾を引く妹の背を、播磨は虚ろな表情で眺めるしかなかった。
「俺の出番はなさそうだな……」
なにぶん藤乃は虫が大の苦手で、いつものごとく完膚なきまでに祓い尽くすに違いない。薙刀の刃が銀の弧を描くたび、水門は赤い色を取り戻していった。
「とてもいい憂さ晴らしになりました」
よき笑顔で戻ってきた藤乃は開口一番宣った。その言葉の通り、今し方までの鬱々さは消え去っている。
己が妹ながら空恐ろしい女だと播磨は改めて胸中で嘆いた。
「――では、次の現場へいくか」
「はい、ここからすぐ近くでしたよね」
悪霊の気配を察知し、そろって勢いよく土手を見上げた。一人の人物が歩いてくる。ひどくゆっくりとした足取りの老いた女は遠くを見ていた。おぼろに浮かぶ朝日を眺めているのだろう。
その嫗の頭上から悪霊が襲いかかる。腰の曲がったその老体を四肢で拘束するように抱きつく。嫗は立ったまま大きく身震いし、白目をむいた。
馳せ寄る藤乃の刃が届く前に、悪霊が嫗に取り憑いてしまった。
が、藤乃は躊躇うことことなく愛刀を振るった。
唸りをあげる銀の刃が嫗を胴斬りにする。しかしその身が二つに分かれることはなく、悪霊のみが切断されて地面へ転がった。
神の武器は、人に取り憑いた悪霊を一刀のもとに引きはがして祓うことが可能だ。他の術者なら、さまざまな手段を講じなければ不可能な行為をいともたやすく行える。
だが今回は、致命傷に至らなかった。
悪霊は土手を転げ落ちながら上半身と下半身をひっつけ、河川敷に四つん這いになって藤乃に吼えた。
その後方、印を結んだ播磨が呪を放つと、悪霊が膨らんで破裂した。
その残滓が風に流されて消える頃、嫗は正気を取り戻す。数回忙しなくまたたきすると、眼前に立つうら若き藤乃と目があった。
微笑みを浮かべる彼女の手には、もう薙刀はない。すでに己が手の内に戻していた。
「おはようございます、いい朝ですね」
そう告げた背後で、雲の狭間から太陽が顔をのぞかせた。束の間のあたたかな陽光が三人に降り注ぐ。
「――ええ、そうね」
嫗はまぶしげに双眸を細め、兄妹に会釈して歩みを再開した。悪霊に取り憑かれた時間はほんのわずかで済んだため、瞬間的に記憶が途切れただけだろう。
「間にあってよかったですね」
「ああ、だが……。おかしいよな」
遠ざかっていく嫗を視界に収めつつ、兄妹は小難しい面持ちになった。
「――はい、どう考えても変です」
「いまの悪霊ももちろんだが、まず水門で悪霊が育つことからして異常だ」
悪霊は基本的に、人の思念・情念が染み付いた場所に集いはびこる。他にも他者から恨まれ、呪われた者の近くに湧く場合もある。
いずれにせよ、人里離れた自然の中で育つことはほとんどない。
そのうえ悪霊は、それなりに時間をかけて強くなるもので、短期間のうちに強くなることがあれば、弱い悪霊もまた多くいるということになる。
陰陽師たちが幾度も祓っているこのあたりではありえないことだ。
にもかかわらず、弱い悪霊が頻繁に湧き、あまつさえ生者に取り憑くこともできるまでに育ってしまっている。
異常でしかないだろう。
播磨兄妹がいまいるここも、先日祓った場所と同様、方丈町と泳州町の境目になる。
二人は川の反対側を見やった。建築物が徐々に増えていく泳州町の町並みが広がり、その果てに海が見える。
悪霊が飛んできたその町は、陰陽師が手を出せない地だ。
いったいそこで何が起きているのか。その地に根ざす退魔師は何をしているのか。
手をこまねくしかない現状に、ただ歯がゆさしかない。
「ひとまず、次にいくか」
播磨が妹を促した時、
「おい、アンタらまたか!」
と、背後からダミ声で罵声を浴びせられた。
聞いたことがあるような、ないような声だった。
記憶が曖昧な播磨が肩越しに振り向くと、肩を怒らせた二人の中年男が歩いてきた。
僧衣の裾を翻し、猛然と迫ってくる片方の男は、先日会った退魔師だ。もう一人も色の異なる僧衣を着ていることから同業者であろう。
いかにも僧籍に身を置くような出で立ちの二人だが、有髪で袈裟もないため違うのだと知れる。
播磨たちの間近まで迫った退魔師たちは水門を一瞥するや、憤怒の表情に変わった。播磨兄妹が素早く目を見交わす。
「アンタには、この前もいったでしょうが!」
狡猾そうな顔つきの退魔師――安庄が播磨を睨み上げた。
その後方で止まった、やや目の飛び出た風貌の男は、播磨兄妹を交互に睨んだあと、遠くにかすかに見える嫗へ視線を流した。
「なぁ、陰陽師さんらよ。ここは俺たちの縄張りなんだから、アンタらがうろついていい場所じゃないんですよ。昔からの決まり事でしょうが。知らないなんてことはありませんよね? それなりの歳でしょうよ。ケツの青い新人でもあるまいに」
安庄は播磨の頭の先から靴先まで見やって嫌味ったらしく告げた。播磨はそんな相手にまったく臆することもなく、無表情で見下ろしている。
暖簾に腕押し、糠に釘。なんの反応も引き出せず、安庄は舌打ちすると、盛大に顔を歪めた。
「――もしかして耳が遠いんですかね? それとも理解できる頭がないんですかね?」
「おい、そこの退魔師! くだらねぇイチャモンつけてんじゃねぇぞ!」
ガラの悪い横やりが入った。土手を駆け上がってきた一条だった。
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