27 初対面の気がしない




 ――そうだ、きび団子を買って帰ろう。


 いづも屋を離れた湊は、大通りをそぞろ歩きながら思った。

 せっかく南部へ出向いてきたのなら、山神のお気に入りを買って帰るべきだろう。


 幸いにして、老舗のきび団子屋――周防庵はここからそう離れていない。先日、山神と散策したおかげで、ここら一帯の地図は頭に入っていた。

 行く手に白いレンガのビルが見える。


 ――あの白いビルを曲がれば、周防庵へいけるはず……。


 その前に麒麟が気になり、後ろを向いた。つい先ほどまでいたはずの姿はなかった。

 麒麟は、気まぐれだ。買い物中に出没することは多々あれど、終始そばにいるわけでもない。惹かれたモノを見つけたらすっ飛んでいき、戻ってこなくなることも珍しくない。

 ゆえに湊も待つことはなかった。


 まぁ、いいかと前方へ首を戻した時、ガシャンと何かの割れる音が通りに響いた。

 一軒の店から出てきた中年女性の落とした袋が、音の発生源だった。その傍らに焦った様子の青年がいる。ぶつかったらしい。


「ああ! いま買ったばかりのお茶碗が割れちゃったわ!」


 袋から割れた欠片を取り出した中年女性が苛立たしげに叫ぶと、若い男は距離を取った。


「すんません。よそ見してたもんで……」

「なにやってんのよ!」

「わざとじゃないっすよ」

「どっちにしろ、弁償してちょうだい!」

「え、なんで俺が? マジで?」

「当たり前でしょっ、アンタが悪いんだから! アンタがボサッと歩いてるからこんなことになったんでしょッ」


 こればかりは庇いようがない。とはいえ正当なる主張と思われるも、中年女性の言い方は過剰ではないだろうか。

 まるで普段からの鬱憤を青年を詰ることで晴らすようだ。

 湊が思っていれば、今度はキキーッと耳をつんざくブレーキ音が響いた。


「おい、そこをどきやがれ! 邪魔だ!」


 自転車にまたがるしなびた翁が、己が進路に立ち塞がる子どもを怒鳴りつけていた。腕を大きく振るう仕草付きで。

 悪態をつきつつ、自転車を転がして人々の間を抜けていく。それを不快そうに見る者、ツレと文句をいう者がいる。


「なんだろう。町全体の空気がすごく殺伐としてるような……」


 湊は首をめぐらす。誰一人、楽しげにしている者はいない。暗い表情で下を見ている者たちがやけに目についた。

 ここが通りだからだろうか。否、そんなことはない。

 先日、山神とここを練り歩いた時、笑い声をたくさん耳にし、道行く人たちの笑顔も頻繁に見た。


 このいやなムードはたまたまなのか。それとも町民たちの生活に影を落とす何事かが起こったのか――。


 思案する湊の足元へ、空から麒麟が舞い降りた。

 見上げてくる麒麟と目があって苦笑した。麒麟はいつも通りだ。今し方起こった一連の出来事は見ていなかったらしい。


『湊殿、申し訳ありません』

「ん?」


 なんら変化がないと思っていたが、少し妙だった。

 前足を持ち上げた麒麟は、己が首にかかる木彫りにしきりに触れている。


『御守りの効果が切れそうなんです』


 湊は目を細め、その木彫りを注視した。


「ああ、翡翠の光が薄くなってるね。ごめん、もっと早く気づくべきだった」

『いいえ、湊殿が気づかなかったのは仕方ありません。ここに来て一気に効果を失ってしまったのです』


 その声が聞こえてない湊は、麒麟を促して大通りから外れて横道へ入った。

 活気のない店舗に挟まれた道をしばらくいくと、人通りが途絶えた。

 自動販売機の脇に寄り、ボディバッグから筆ペンを取り出し、麒麟へ手を差し出した。


「とりあえず、応急処置として木彫りに字を書くから、こっちに渡してくれる?」


 麒麟は人嫌いである。恩人とはいえ、人の身である湊と接触するのは生理的嫌悪が抑えきれない。

 それを湊も承知しているため、普段から触れるどころか、そばにも寄らないよう気をつけている。

 人の目がないここでなら、その木彫りを渡した時のように、麒麟が不思議な力を用いて自ら外して渡してくれるだろう。


 狙い通り、麒麟の首から木彫りが浮き上がる。

 が、途中で止まり、麒麟の頭髪が逆立った。

 そして間髪いれず、跳んだ。


「なんで!?」


 視界から消え失せ、度肝を抜かれた湊が空を仰ぐと、店舗の三角屋根に麒麟が降り立つところだった。

 なぜか身構え、下方を睨みつけている。

 大通りの方向だ。そこから、一人の男が歩み寄ってくる。

 前屈みになったその壮年の男は、ふらつき、息も絶え絶えでまともに歩けないようだ。ずいぶん様子がおかしい。


「ひ、ひすいの、き、み……っ!」


 言いかけた途中で、膝をついてしまった。苦しげに上向いたその顔に見覚えがあり、湊は目をむく。


「播磨さん!?」


 おそらくそうだ。馴染みの陰陽師、播磨才賀とよく似ていたからだ。

 才賀があと二十年ほど歳を重ねたらこうなるであろうと予想のつく容姿だった。

 その男は、白髪の割合の多い髪を振り乱し、告げた。


「わたしは、は、播磨宗則むねのり。才賀の父だ……!」


 荒い息の合間に自己紹介してくれた。

〝翡翠の君〟なる呼称で呼びかけてくるなら、湊のことを知っているらしい。

 それはそうと顔色が恐ろしく悪い。土気色をして、髪や上質なスーツも乱れている。


「大丈夫ですか!?」


 湊が駆け出す。そうして、あと数歩の位置まで寄りついた時、全身に鳥肌を立てた。


 この気配は、悪霊だ。宗則に悪霊が取り憑いている。


 己で対処できないらしい。ならば、彼は陰陽師ではないのだろう。

 思いつつ湊はその手に持ったままだった筆ペンのキャップを抜き取った。

 そこで、一瞬ためらった。

 しかし背に腹は代えられまい。冷や汗のにじむ宗則の額に、横一文字の線を引いた。

 その背中にしがみついていた二体の悪霊が膨れ、爆散。黒い粒子となって消えていくのを、麒麟だけが見届けていた。


 深く息をついた宗則が膝を起こし、しかと大地を踏みしめて立った。その額を湊が上目で見る。墨痕鮮やかな墨の線は、目立つことこの上ない。

 それが書かれた皮膚の色に生気が戻っていくのだけが救いである。


「そんな所に書いてしまって申し訳ありません。咄嗟だったもので」


 なんといっても見るからに上質な衣服をお召しだ。そのうち消えるとわかっていても、それらには書けなかった。

 宗則は憤るどころか、愛想よく笑う。


「いいや、助かったよ。文句なんてあるはずがない。むしろありがたすぎる」


 お世辞でもなんでもなく、心からそう告げているようだ。

 宗則は額に軽く触れ、指先を見た。


「おお、もう乾いている。素晴らしい……!」


 感極まって打ち震えている。

 宗則は、神秘的なモノをこよなく愛する御仁で、それが講じて神や霊獣にまつわるモノの蒐集家でもある。


「ふんだんに神気の入った文字を私にも入れてもらえるなんて、なんたる僥倖か……! いつも才賀が羨ましかったのだよ」

「――じゃあ、よかったです」


 引き気味な湊と打って変わり、宗則は朗らかに笑った。

 息子と面差しは似ているが、浮かべる表情と醸す雰囲気がまったく違うため、いささか戸惑う。

 ともあれ彼は、以前才賀に渡した、山神と霊亀の足跡スタンプの入った護符を部屋に飾っている。

 そんな宗則は屋根を見上げ、陶酔しきった声を出した。


「――実に美しい……」


 嫌そうな雰囲気を放っている麒麟が彼には明確に視えていた。


「麒麟さんがはっきり視えるんですね」


 感心した湊がいうと、宗則は髪を整えて襟を正した。ようやく通常仕様に戻ったようだ。


「もちろん。その身を覆う黄みの強い真珠色も鮮やかに視えるよ」


 その熱視線は麒麟から外れない。

 一方、麒麟は人間観察が趣味でつぶさに観察するものの、人間から注目されるのは御免被る性質である。身を起こして足踏みを繰り返し、落ちつかないようだ。

 けれども逃げ出そうとはしない。

 宗則は悪人ではないと見抜いているからだ。崇拝に似た感情を惜しみなく向けてくる相手を無下にしなくなっただけ、麒麟も多少は成長している。



―――――――


※書籍版をご存知の方へ

播磨の父について。

あちらでは登場済みで、湊となんやかんややり取りがありましたが、WEB版では今話が初登場なので、湊とも初対面になっています。

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