28 気の毒な体質たち
しかし麒麟が居心地悪そうなことを不憫に思った湊は、宗則の関心を逸らすため、気になった事柄を尋ねた。
「ところで播磨さん、どうして悪霊に憑かれていたんですか?」
人となりは知らないが、うっかりさんには見えない人物だからだ。なんといっても祓い屋として名高い播磨家の一員であり、しかも現当主の伴侶である。
悪霊が視えるかどうか定かではないけれども、彼自身が祓えないならなおのこと、対策を怠るのは考えにくい。
宗則は厳しい顔つきになった。
「そもそも私は悪霊が知覚できないんだが、憑かれやすい厄介な体質をしていてね。どこに行くにも必ず符を持っていくんだが、今日赴いた場所がとてつもなく悪霊が多かったようで……。君の護符の効果がたった半日で切れてしまったんだよ」
「それは……」
ありえないのではないのか、と瞬時に思ってしまった。
うぬぼれではなくただの事実として、自らのつくった護符は類を見ないほど強いのだと知っている。
それが半日も持たずして効果を失うとは。
それだけ強力な悪霊がいたのか、もしくは弱くとも数が多かったのか。
湊は悪霊の気配は、さほど知覚できない。
強い
試しにあたりの気配を探るも、やはり異常は感じ取れなかった。
「播磨さんは、今日どちらにいかれたんですか?」
「泳州町の中心街だよ」
南部の端を流れる川を堺にして、向こうは泳州町になる。湊もつい先日、山神の眷属たちとともにその町の果てにあたる海へ遊びにいったばかりだ。
海への行き帰りはバスを利用したから、悪霊に気づかなかったのだろうか。
しかし眷属たちもとりわけ様子がおかしくなりはしなかったし、むしろ出かけた直後に比べて元気だったくらいだ。帰りのバスでは、そろって湊の膝に顎を乗せて眠っていたけれども――。
『湊殿!』
湊の思考を断ち切る、麒麟の声があがった。
鋭きその声が聞こえたのは、宗則だけだ。
急に表情を強張らせた宗則が麒麟を見上げ、次に毛を逆立てた麒麟が注視する方角を見やった。湊も倣う。
そこは、またも大通りへ続く路地だった。
一人の男が歩いてくる。こちらも足元がおぼつかなかった。それは、その肩に掛けられた大きなバッグのせいなのか、具合でも悪いのか。
うつむきがちの顔が上がり、その凡庸な相貌があらわになった。
先日、会った十和田記者だ。
彼は路傍に佇む湊と宗則には気づく様子もなく、一軒の店舗の前で立ち止まった。戸口へ顔を向けて、大きく息を吐き出している。
「播磨さん」
湊が小声で呼び、自動販売機の陰へ促した。
「翡翠の君、彼は知り合いかい」
「顔見知り程度です。あちらは俺の名前も知らないでしょうから」
男が何者か手近に説明した。
山神が愛読する地域情報誌の記者で、山神のために和菓子の記事を書いていること。
先日、山神とともに会ったこと。
その時悪霊に憑かれていた彼は、湊が持っていたメモで祓われたが、山神に祓われ、救われたと勘違いしていること。
聞き終わった宗則は顎をさすった。
「いまの彼の様子を見るに、また憑かれているのは間違いないよ」
「ですよね」
「祓ってあげるのは、やぶさかではないのだろう?」
「もちろんです。でも俺が出ていくのはちょっとマズイんです……」
顔を知られているからだ。十和田は山神に信仰心を向けてくれる貴重な人物である。
ゆえに、山神に救われたと思ったままでいてほしい。それらも全部伝えた。
「――ですから、俺はしゃしゃり出たくないんです」
「わかった、いいだろう。私に任せてくれたまえ」
額に悪霊を祓う線の入った宗則は、大仰に胸を叩く仕草をした。なんのことはない、そのまま十和田のそばを通ればいいだけである。
二人が自動販売機の陰から片目をのぞかせて見ると、十和田はまだ店先で佇んでいた。いまにも倒れそうな顔色の悪さだ。
「では、いってくるよ」
「お願いします」
陰から出た宗則は颯爽と歩き出し、大股で十和田記者の背後を通った。
たったそれだけだ。
にもかかわらず、十和田の背筋が電撃を喰らったように伸び、首が取れそうな速度でかえりみた。
そんな十和田を宗則は一瞥することもない。そのまま大通りへ靴音を鳴らして、去っていった。
「な、な、なっ」
十和田は二の句が継げないようだ。
大通りから視線をはがせないその背中を湊は自動販売機の陰に身を隠してこっそりと、麒麟は屋根の上から堂々と眺めていた。
ややあって、十和田は一軒の店へ入っていく。その足取りに危うさはなく、静かに戸口が閉ざされた。
店構えをよく見たら、和菓子屋のようだった。おそらく取材に訪れたのだろう。
しばらくしたら、大通りから宗則が戻ってきた。
途端、湊は申し訳なさで心が痛んだ。その額に入った横線はさぞかし人目を引いたことだろう。
「お手数をおかけいたしました。そして本当に申し訳ありませんでした」
つい謝罪の言葉が出て頭も下がった。
傍らへ来た宗則は悪戯っ子めいて笑う。
「気にしなくていいといっただろう。多少抜けているくらいでちょうどいいんだよ、私みたいな者はね。それに私の奥さんもこの素敵な線を見たら、かわいいといってくれるのは間違いないよ」
まさかの惚気だった。
――その後、帰宅と同時に奥方と長女から顔を背けられる――目から脳天にまで刺さりそうにまばゆいため――未来が待っているが、この時の彼は毛ほども知る由もない。
さておき、宗則は表情を改め、神妙に告げた。
「それより翡翠の君。先ほどの記者も相当難儀な体質をしているようだね」
「そうみたいなんです。実は十和田さんに憑いた悪霊を祓うのはこれで三度目です。一度目の翌日にも憑かれかけていたようで、山神さんの言付けを伝えにいった眷属が祓っているんです」
「それはよほどだ。私よりひどいじゃないか」
宗則は痛ましそうに十和田が入った店舗を見やった。同じモノに苦しめられる者に親近感が湧いたのかもしれない。
「今回もまた祓えましたけど、たぶんまた憑かれるんじゃないかと思うんですよね」
湊が言い終えると、宗則は周囲を見渡した。
「ああ、間違いなくそうなるよ。この一帯もあまり空気がよくないようだから」
「――そうなんですね。じゃあ、やっぱりこれを十和田さんに渡そうと思います」
ボディバッグから取り出したのは、霊亀の木彫りだ。
一つだけ持ち帰ってきたおかげで助かった。出来は気に入らないが、致し方あるまい。
「こっちのほうが護符より効果が持続すると、山神さんから聞いていますので――」
突如、宗則が湊の両肩をつかんだ。全身から発せられる気迫に湊がのけぞる。
「翡翠の君、私もその木彫りがぜひともほしいのだが……!」
「えーと、まぁ、はい――」
押しが強い。印象がまったく異なる親子だが、このあたりはそっくりだ。
「いくらかね!? いくら積んだら譲ってくれるんだね!?」
「あ、あの、これを卸した店がありますので、そちらへ足を運んでいただけたら――」
「場所はどこだ!? どこにあるッ!?」
『そこの者、落ちつきなさい! 湊殿が困っているでしょう。それに腰が折れそうです』
屋根から麒麟の叱声が飛んだ。
氷水をぶっかけられたように宗則が我に返った時には、湊の腰は弓なりになっていた。
「す、すまない、翡翠の君。つい興奮してしまってっ」
よいしょと湊の上半身を引き戻した。
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