第5章

1 食後のお仕事




 昼を過ぎた頃から雨が降り出した。頂に雨雲の冠を乗せた御山が見下ろす楠木邸には、一滴すら落ちていかない。

 普段通りの陽気に包まれた縁側で、二人の青年が座卓を挟んで相対している。


 ここの管理人たる楠木湊と陰陽師の播磨才賀だ。

 今し方、眷属を交えた昼食を終えた二人は仕事中である。

 そこには、山神と眷属三匹もいる。縁側の中央、大座布団の上に伏せた大狼を囲むようにテンたちがひっそりと控えていた。


 先頃、湊と眷属たちがバーベキューを楽しんでいる途中、急遽訪れた播磨を加え、腹を満たしたばかり。いつもであれば、さっさと自宅に帰る三匹が珍しく残っているのを湊はやや怪訝に思っていた。


 ともあれ、隣神たる山の神は、まるでここのヌシのごとき顔をしてそこにいる。

 毎度のことである。湊と播磨が真剣にやり取りしていようと、歯牙にもかけずゴロゴロと寝返りを打ち、大あくびをかます。

 軽やかな滝の音を聞きながら、とても自由に過ごしていた。


 なお、敷地外に停まっている乗用車に待機中の播磨の部下――由良ゆらにも、肉と山菜を差し入れてある。彼は、頑なに楠木邸に入ろうとしないため、無理には誘わなかった。

 ついでにいえば、四霊――霊亀、応龍、麒麟、鳳凰は、いまだ呑んだくれ、千鳥足でクスノキの周囲を回っていた。こんもりとした樹冠を抱くクスノキは、小粒な四霊たちに心地よい木陰を提供している。


 さておき、仕事である。

 湊の前――座卓にいくつもの並んでいるのは細長い和紙だ。黒や朱色の文字や図案が描かれ、それぞれ様相が異なっている。それらは播磨が持参した、さまざまな術者の手による符だ。

 それらを前のめりになった湊がしげしげと眺めた。


「人によってこんなに違うんですね」

「ああ、これでもごく一部だ。とりあえず、いま手に入る物を全部持ってきた」


 言いながら播磨は最後の一枚を並べた。碁盤の目のようにそろう和紙は、彼の几帳面な性格を物語っている。


「それにしても、どうしていきなり他者の物が見たくなったんだ?」


『他の方の護符が見てみたい』とメールで伝えたのは、他ならぬ湊だ。座卓を埋めるほどの枚数を持ってこられたのは、予想外だったけれども。


「ただ興味があったからといいますか、なんというか……」


 言い渋った湊がちらりと山神へ視線を流すと、半眼で舟を漕いでいた。本日は残念ながら播磨の和菓子の手土産がなかったから、微塵も興味を示さない。

 そんな山神には申し訳ないが、己のつくる――和菓子の名前を記した護符にやや思うことがあったからだ。


 先日、町でたまたま見た和紙がきっかけだった。

 それには〝悪霊退散〟と記述されていた。

 お世辞にも上手い字とはいえず、和紙自体も粗悪品なのは明らかだったが、非常にわかりやすかった。それが本物の護符なのか知らないが、一目で理解できる代物ではあった。


 ゆえに思ったのだ。己もいかにもな文言を記すべきではないかと。


「そろそろ護符に和菓子の名前を書くのは、やめようと思いまして……」


 素直に打ち明けたら、ピクッと山神の耳とヒゲが動いた。眷属の三対の眼に同情的な色が浮かぶ。


「しかし、もうそれで書き慣れているのだろう」


 播磨は怪訝そうだ。

 そのそばで、山神が何か言いたげにムズリと口吻を動かし、爛と眼を見開いた。

 むろんのこと播磨には見えていない。


「まぁ、そうなんですけど……」


 正座する湊が足指を組み変えた。


「無理して他者の真似をしなくてもいいだろう。文字や図案自体に効力はないからな」

「そうなんですか?」


 陰陽道の術をかじったこともない湊には、並ぶ和紙に書かれ、描かれたモノたちの意味など皆目理解できない。


「どれも意味深で、効果がありそうに見えるんですけど」

「まぁ、見慣れない者にとってはそう映るかもしれないな。陰陽道にはいくつもの流派があるんだが、それぞれが連綿と伝え続け、洗練されていった結果だからな」


 まるで他人事のような素っ気ない口ぶりだ。訊けば播磨家の者で護符をつくる者は滅多にいないという。

 播磨が手近な二枚を手に取った。片方は字のみ、もう片方は字と図で記されている。

 湊には、ただ朱色で流れるように描かれた字とも絵とも判別しがたいモノにしか見えない。


「書かれてある内容が重要なんじゃない」


 静かな声で告げた播磨の視線が湊の心臓部に向く。


「書き手の霊力がすべてだ」

「霊力……」

「ああ。ただ、キミの能力は我々の持つ霊力とは別のモノだが……」

「え?」


 初耳だった。


「我がいままでさんざん〝祓いの力〟と云うてきたであろうに」


 ぽそっと山神がこぼした。

 会話は聞いていたようだが、その意識の大半はよそ事に向いている。いつの間にかその手元に地域情報誌があり、そこから視線を上げもせず、


「どれも、よき……」


 と、うっとりつぶやいた。

 むろん紙面には、山神が愛してやまない和菓子の写真がふんだんに掲載されている。

 この情報誌は、毎度の武蔵出版社から発行された物だが、ここ方丈町ほうじょうちょうのみならず、市の和菓子屋が網羅された特集号である。

 年に一度しか発行されず、季節物ではない定番商品だけが載っている。


 どれもこれもこし餡のため、つぶ餡愛好家たちの不興を買っているが、致し方あるまい。

 なにせこれは、記事担当者が半泣きになりながら山神だけに捧げる意味を込めて書いた物だからだ。

 その甲斐あってか、特集号は山神のお気に入りである。

 頻繁に眺めるせいで少々紙がよれており、折り目もたくさんついていた。


「ぬぅ、志摩屋しまやのやぶれまんじゅうか……。久しく食うておらぬぞ。白い皮から見え隠れするこし餡がなんとも小憎いものよ。かのなめらかな舌触りを思い出すだけで……」


 つつーっとよだれが口端から垂れる。


「山神、滝は庭にある分だけで十分です」


 ピシャリとセリにたしなめられ、ひゅっとよだれが引っ込んだ。


 それを横目に湊は思い返していた。

 確かに己が力を山神から一度も〝霊力〟と称されたことはないなと。

 山神一家の会話は、播磨には聞こえていない。けれども、やや遠慮がちに語り出した。


「我々が有する霊力は汎用性が高いんだ。この護符――俺たちは、呪符じゅふと呼んでいるが、悪霊を祓うだけでなく、人それぞれの願望を叶える符をつくることもできる」


 恋愛成就、除災、招福、金運・運気の向上などなど。陰陽道に基づいた術を用い、個人の願いに応じて作成するという。

 さらには、九字切りや印を結んで悪霊を祓ったり、調伏ちょうぶくした妖怪を式神として召喚したり、式神を一からつくり出したり、結界を張ったりも可能らしい。


「――だが、キミには祓うしかできない」

「不器用だからですかね?」

「いや、そうではなく……。言い方が悪かったな、悪霊や穢れを祓うことに特化した力だからだ」

「――そうだったんですね。まぁ俺、陰陽師じゃないですし、なりたいとも思ってないからいいですけど」

「――そうか。特化した力だからこそ、強力でもあるんだろうな」


 あとのほうは、目を伏せて小声だった。播磨が視線を上げる。


「だから我が播磨家の者は、キミの書いたモノを〝護符〟と呼んでいる。対象物を護る効果が高いからな」

「そうだったんですね」

「ああ。符に書く字の内容は気にしなくていい。何が書いてあっても構わない。悪霊を祓えさえすればそれでいいからな」


 ――いかなる方法であろうと、祓えればいいんだよ、祓えれば。

 正統派を主張する陰陽道宗家から邪道と蔑まれる播磨家の基本理念である。

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