29 いらっしゃい、神の縁者よ



 みんなでぬくぬくになったら、次はお待ちかねの昼食である。

 湊が食材を切る間、眷属たちも自宅から食材を調達してきて、コンロで炭火をおこしてくれた。


 ちょこまかと働く眷属たちを見ることもなく、山神はお気に入りの座布団で丸くなって、まったり過ごしている。


 今日は食べないのだろう。

 己が食す時は、定位置から動かなくとも御業を行使して物を運んでくれる。それがない時は、食べないという意思表示だ。


 山神は湊が一人で食事するのを嫌うため、付き合っている部分が大きい。眷属たちと賑やかに食卓を囲むなら不参加の場合も多かった。


「山神さん、田神さんも呼んだらきてくれるかな」


 湊は座卓に食器を並べながら、訊いた。


「こぬ」


 半眼の山神は、素っ気なく告げた。

 コップを置こうとしていた湊の手が止まり、山神に顔を向ける。


「田神さんは、飲食しないタイプの神様?」

「否、あやつは他の神とは交流したがらぬゆえ」

「お隣さんと言ってもいい山神さんでも?」

「いかほどそばであろうが、な。それなりの間、近場におる我でもまともに相対したことはない。互いによく知らぬままよ」

「――そうなんだ」


 緩慢に首を持ち上げた山神は、湊を見やる。


「あやつは人との交流は好む。お主が一人であれば、くるやもしれぬぞ」

「じゃあ、俺がいくほうが確実だよね。今度、お酒を持っていこう」

「物好きよな……。なかなか肝の冷える思いを味わったであろうに」


 長く鼻息を吹き出した山神は両眼を閉じ、四肢を投げ出す格好になった。




 湊と眷属三匹がコンロを囲う。ぱちっと炭火から火の粉が舞った。

 火箸で炭を均したセリが湊に向き直る。


「湊、そろそろ炭もよき頃合いです」

「じゃあ、肉を焼きますかね」


 網に置いたカルビが、ジュワッと音を立てた。眷属たちも自ら食べたい物を並べる。

 眷属たちとのお食事会は、セルフ方式だ。

 湊もおもてなしの必要はないため、のんびりダラダラ食せる。


 ややあって、第一弾がよい焼き具合になった頃、座卓の上でスマホが鳴った。


「あ、メールだ」


 前足を出してきたトリカにトングを渡した。スマホを見ると、播磨からであった。

 コンロに戻りつつ、湊は言った。


「播磨さん、今からくるって」

「相変わらず突然ですね。もう少し余裕をもって連絡できないのでしょうか」


 小皿に肉を盛ったセリが、お小言めいた台詞をもらした。


「だな。そのための機器だろうに。今昼時だぞ。普通、この時間の訪問は避けるものだろう」


 見事なトングさばきを披露するトリカも同様であった。

 肉の横に己が家の山菜を並べるウツギが、のほほんと告げる。


「我は、本人のせいじゃない気がするな〜。急に護符が入用になったとか、この時間しか都合がつかなかったとか、そんな感じじゃないかな〜? あの人、生真面目そうだもん」

「――そうだね。まぁ、そこまで迷惑ってわけでもないよ」


 いちおう湊もフォローを入れた。

 以前はメールすらなかったから、マシにはなったほうだ。せめて、前日に知らせてもらえないかと思わないでもないけれども。

 不思議と家にいる時だけ連絡がくるため、今まで播磨を待たせたことはない。


「湊、いつ人が来てもいいように、お家綺麗にしてるもんね!」


 ニコニコと告げたウツギが、さっそく焼けた肉を束にしてかぶりついた。


 神聖なるモノは、清浄さを好むものだ。

 いつでも清潔かつ整った楠木邸は彼らのお気に入りの場所でもある。


 ともかく、メールが入ったのなら、あまり時間の猶予はない。気を利かせた眷属たちが、湊の皿にせっせと焼いた食材を入れた。

 そうこうしていると、三匹が同時に田んぼ側の塀を見やった。


「来ましたね」

「あのゴツいのが運転してきたようだな」


 つぶやいたセリとトリカは、また肉を焼き始めた。口いっぱいに頬張ったウツギは無言で頷くだけだ。


 トリカが言った『ゴツいの』とは、姿を隠した神を見通せる目を持つ播磨の部下――由良ゆらである。


 いかり肩の彼は、初めて楠木邸に踏み入った時、大狼を目にした途端、地面に平伏してあいさつの口上と名乗りをあげた。

 そんな彼のことは、相まみえていない眷属たちでも印象深かかったようだ。なお、湊はあ然としていた。



 インターホンで、表門に到着した播磨との対応を終えた湊が庭に戻ってくる。

 その時、コンロ周りにはセリとトリカしかいなかった。


「あれ、ウツギは? もう帰った?」

「ちょっと腹ごなしの散歩に出かけてな。すぐ戻るぞ」


 肉をつまんだトリカが、澄まして答えた。


「まだ大した量食べてないよね……。まあ、いいけど。俺ももう少し食べたかった……」


 名残惜しげな表情で席につく湊を、セリが見やる。


「ともに食さないかと、かの者を誘ってみてはどうでしょうか?」

「――セリたち、いいの?」

「我らは気にしませんよ」

「じゃあ、そうしてみる」


 明るい声で告げた湊は、トレーを手に取った。


         ◯


 肉と野菜が焼ける音と談笑が途切れない庭の反対側――表門。

 そこでは、空気が張り詰めていた。


 格子戸の前に播磨が立っている。

 その手には、いかにも手土産が入っていそうな紙袋はない。バッグを携えていた。

 その彼が見上げる門の屋根には、仁王立ちするテンがいる。

 播磨の視界にも、その白い姿は鮮やかに映っている。


 ウツギはその身を現し、播磨と相対していた。


 ちなみに播磨の後方、乗用車に乗った由良は、合掌して必死に祝詞のりとを唱えている。



「やぁ、いらっしゃい」

 見下ろすウツギが、声をかけた。

 快活に、にこやかに。


 一方、播磨は困惑の表情を浮かべていた。

 播磨才賀は、神系の気配を感知できる者だ。

 そのため、楠木邸で自由に過ごす眷属たちの存在に気づいていたし、眷属側もそれを承知していた。


 それでも今まで、頑なに姿を晒さなかった。

 だというのに、これはどういう風の吹き回しだろうか。

 皆目見当もつかない播磨は警戒し、探るように尋ねた。


「――俺は、中に入ってもいいのか?」

「もちろん。湊が許可したんだから、入ればいいよ――」


 屋根に前足をおろした神の眷属が、ニンマリと黒眼をしならせる。


「神の血を引く者よ」


 播磨が、やや剣呑な雰囲気をまとった。

 言い当てられたからであった。


 彼は、神の眷属とまともに相まみえた経験がない。己にまつわる神・・・・・・・としか相対したことがない。

 ゆえに、自らに流れる薄い神の血を、容易に看破されるのを知らなかった。



 しかしながら、取り立ててウツギにいじわるされることもなく、先導されて播磨も庭へ向かう。

 門を越えるや否や、今日も激烈な重みがくるかと身構えたが、そんなこともなかった。肩透かしを喰らっていたが、ないに越したことはなかろう。


 家屋の脇を通る途中、香ばしい肉の香りが播磨の鼻を刺激した。


「――食事中だったのか?」

「そうだよ〜。みんなでバーベキュー!」

「すまない、邪魔したな」

「いいってことよ。我らは気にせず食うから〜」

「――そうか」


 以前は取引中に、周囲は気兼ねなく飲み食いしていた。

 いつの間にかそれがなくなったのは、居心地悪そうにしていた湊が、やめさせたからであろうと彼は思っていた。



 庭に出ると、コンロの傍らに湊が座っていた。トングと肉や山菜が盛られたトレーを持って。

 思いっきり、バーベキューを満喫している。

 椅子は他に三つ。そこに座るセリとトリカは、姿を隠したままで、播磨の目にはいずれも空席、かつ箸とグラスが浮いているように見えた。


 播磨は、素早く視線を縁側へ走らせた。

 巨大座布団で鼻提灯を吹かすヌシは、それになんの応えも返さない。


 今日は、手土産が調達できなかったせいだろう。

 思う播磨は、己が手元に視線を落とした。


 バッグには、湊がメールで所望した物――さまざまなつくり手の符が入っている。

 山神がそれらにはまるで興味を示さないのは、わかりやすくていっそ清々しい。


「播磨さんも一緒にお昼ご飯どうですか?」


 湊から普通に誘われ、播磨はとっさに返答できなかった。

 ここのところ、とみに悪霊絡みの事案が発生しており、陰陽師たちは多忙を極めている。

 播磨が断ろうと口を開きかけたら、椅子に飛び乗ったテンが振り返った。


「湊もまだ全然食べてないんだよ。お腹すいてるんだから」

「――ありがたくご相伴にあずからせてもらおう」

 即座に気持ちを切り替えた播磨は、しれっと答えた。



 なんという順応性の高いお人であろうか、と湊は感心していた。


「播磨さんは、どこにいってもつつがなく生きていけそうですよね」

「なぜかよくそう言われる」


 湊に席を譲られ、播磨も神妙な様子で同意し、腰を下ろした。


「もう一つ椅子持ってきますね」


 トレーとトングも渡され、播磨はコンロに向き直った。

 もぐもぐとうまそうに頬張るテンが一匹と、二つの空席では食材だけが消えていく。


「己が食べる分は、己でお焼きなさい」

「好きな物を焼いて食うといい」


 やわらかな声たちだけが聞こえた。


「ああ」


 言われた当人は、トングで山菜をつかんだ。


 グースカ寝息を立てる大狼と、ゆれるクスノキの木陰で四霊もへべれけになっている。

 梅雨のひとときの晴れた午後、滝の音が途切れない楠木邸では、ゆるやかな時が流れ続けた。

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