番外編

31 あっつあつ甘酒饅頭を求めて 1


※ 山神の設定が本編とやや違います。


 右側を御覧くださいませ。


 屋台の艶めく鉄板の上でどら焼きの皮が職人の巧みなこて捌きによって、またたく間にひっくり返されていく。

 均一の大きさ、厚さに焼き上がった皮はこんがりきつね色。

 漂ってくるあまやかな香りが、優しく鼻先をくすぐった。


 左側を御覧くださいませ。


 屋台の焼き台に乗る金網の上で薄く煙を上げているのは、モチモチ串団子。

 職人が慣れた手さばきで上下をひっくり返し、両面にいい塩梅の焼き色がついた串団子を醤油タレ壺へ入れる。

 じゅわっと弾ける音。

 醤油と砂糖のあま辛い香りが、ダイレクトに鼻先を撫でた。


「選べぬ」


 どら焼きとみたらし団子屋台のあいだで、仁王立ちする小狼がしきりに唸り続けている。


 魅惑の和菓子に誘惑され、ちんまりとした黒い鼻先を、右に向けて、左に向けて、また右に、と大忙しだ。


 その耳の合間に乗ったピンクパールのひよこともども、かれこれ五分以上、鼻を鳴らしっぱなし、唸りっぱなしである。


「団子にすべきか、どら焼きにすべきか。選べぬ。まことに、まことに悩ましい選択問題よ。いかんともしがたいわ。のう? 鳳凰の」

「ぴぴッ!」

「甘酒饅頭、どこいった」


 いくら体が小さかろうと、態度、仕草はいつでも大山の子狼サイズの山神に、斜め後ろでだらけた姿勢で立つ湊が小声で突っ込んだ。


 湊と二柱がいる一本の通りの両側にずらりと並ぶのは、和菓子の屋台の数々。

 地元和菓子屋集結イベント会場で、各店の職人たちがこぞって、その腕を振るい、実演販売の真っ最中である。


 どこもかしこも暴力的なあま~い芳香に満ちている。

 辛い物が好きな湊には少しばかり厳しい環境だ。


 会場は人でごった返しているにもかかわらず、悩ましく佇む彼らを、人々は綺麗に避けていく。


 そこだけぽっかりと穴が空いたかのごとき奇妙な様相になっている。それを数羽の鴉が上空を滑空し、さも愉快げに鳴き声をあげて横切っていった。




 そろそろ梅が綻び始める今日この頃。

 朝から湊、山神、鳳凰は、待ちに待った町のイベントへと馳せ参じていた。


 春特有の薄曇り空のもと、一箇所しかない会場出入り口からたった数歩の位置を山神御一行が陣取っている。

 本来なら、しこたま邪魔で営業妨害も甚だしい行為だ。


 けれども、続々と背後から老若男女が入ってきても、きっちり分かれて通りすぎていく。

 なんとも不思議な現象が起きていた。


 皆、自ずと避ける。とりわけ嫌な顔も訝しげな顔もしていない。眷属の時とは様子が異なっていた。


 格の違いなのか、それとも瑞獣効果か。

 なんにせよありがたい。

 さすがに、こうもあからさまに人様の通行を阻害しておきながら、悠長に構えてなどいられないので。




 絶賛お悩み中の白い背中を後ろから見守る湊は、そこそこリラックスしていた。


 両手を薄手のダウンジャケットのポケットに入れた湊の足元、ちんまりとした小さな狼のちび尻尾が懸命にアスファルトを掃き続けている。


 数百年ぶりに山を下りて町に赴いたお上りさんは、うれしそうだ。


 ほとんどの食べ物は出来立てに勝るものはないだろう。すっかり香りと音に魅了され、全神経を奪われていた。


 たとえ一番の目当てである、あっつあつ、かつ、ふっかふか蒸したて甘酒饅頭を販売している山神御用達『越後屋』出店屋台が、斜め前に見えていたとしても。


 目もくれやしない。

 かの白き珠を受け取らざるを得なかった御贔屓の十二代目たる翁が、あくせく働いているというのに。


 さておき、なぜ山神がこんなにも小粒サイズになっているのかというと。

 基本的に山の神は、己の山から動かぬものだが、動こうと思えば動ける。

 御神体に力の大部分を残し、少しだけ力を分け与えた存在を造れば可能となる。


 動かざる山である怠惰な山神が、その重い腰を上げる気になったのは、ひとえに眷属に触発されてのことだった。


 いかにパン屋と洋菓子屋の出来立てがうまかったかを力説され、なら我も数百年ぶりに参ろうぞ、となったらしい。


 そんな時、都合よく開催されたこの地元和菓子屋集結イベント。むろん情報源は、定期購買の地域情報誌だ。山神の情報収集に抜かりはない。

 いざいかん、と新たな小狼を産みだし、今に至る。


 戻り次第、本体に融合予定だ。

 しかし湊はちょっと残念だと思っている。大きさだけは可愛らしいので。


 余談だが、“山の神”の中には一年の半分を“田の神”にクラスチェンジしなければならない多忙な神もいらっしゃるようだが、山神は違う。

 これまでも、これから先も、未来永劫、のんべんだらりの山の神オンリーである。


 今回、大本たる山神が動くため、眷属は張り切ってお留守番中である。霊亀、応龍も同様に。人嫌い麒麟はいわずもがな。


 基本的に瑞獣たちは人混みには近づかないものだが、好奇心旺盛な鳳凰だけは、なにがなんでもともにいくと勇んで着いてきた次第だ。



 山神の頭上を陣取るひよこの眼も絶え間なく屋台を往復している。


 やがて鋭い眼光が獲物を捉えた。

 焼き上がったどら焼きの皮を手に取る職人の背後、ケースに入った大量のつぶ餡。

 ぷわっと全身の毛が広がると、あら不思議。


「おーい、そこの黒いダウン着た兄ちゃん。これ食ってみな」


 職人が湊を見つめて呼ぶ。

 その手には、どら焼きの皮一枚にたっぷりとつぶ餡を乗せ、二つに折った半どら焼き。目が合うと作務衣の中年男性が、屈託なく笑って手招く。


 どうやら湊を認識できるらしい。

 理由なぞ、艶々つぶ餡を向けられている時点で、推して知るべし。


 鳳凰が飛び立ち、湊の肩に止まる。「ぴ!」と鳴き、さあ早く頂きなさい、と催促。どら焼き屋へと足を踏み出せば、ささっと通行人がよけて道を開けてくれる。


 貴重な体験だ。

 人を掻き分けることもなく悠々と鉄板前まで近寄る。肌に当たる熱気に混じる芳しい香りに、胃袋を刺激された。


「どっちを買うかで迷ってんだろ? お試しってことで、ほら。気に入ったらうちの買ってくれや」

「ありがとうございます」


 鳳凰御所望ゆえ、遠慮なく頂く。

 熱い鉄板越しに受け取ると、手首に乗り変えた鳳凰が早速啄む。そのおちょぼ口で食べる量などたかが知れている、と言いたいところだが、このひよこなかなかの大食いである。


 火傷しかねない熱さなど物ともせず、ズドドドッと嘴を突き入れる。残像が見えない。恐るべき速度で嵩が減っていく。


 湊が焦る。ついさっきまで、屋台に群がってスマホで職人の絶技を撮っていた者たちがいたはずだ。


 慌てて首を巡らせる。

 職人は再度どら焼きを焼き始めており、屋台を囲い、こて返しに魅了されていた人々もいない。

 誰にも見られていないようだ。


「ぬう、鳳凰の。やるではないか」


 傍らで見上げてくる山神は唸りはしても、その眼に物欲しげな色はない。


 なぜなら山神は、つぶ餡は絶対に食べないからだ。

 食べると、コレジャナイ感がひどくて悲しくなるのだという。


 単に小豆の皮があるかないかの違いだけではないのか、とどちらでもいい湊は思う。

 こだわりが強い方にはそれが許せないのだろう。

 そもそも製法、砂糖の分量、栄養価なども違うのだが。


 鳳凰が無心でつぶ餡を唾む最中、斜め後ろ、越後屋の蒸籠蒸し器から湯気が立ち上る。

 ふごふごと小狼の鼻がうごめき、くいっと耳が後ろへ倒れた。


「鳥さん、どら焼きいる?」

「ぴ!」


 煌めく眼、広がる産毛。小豆まみれの嘴から熱望なのは一目瞭然である。どら焼き屋から、湊が注文するあいだ、鼻をひくつかせた山神がゆっくり振り返った。

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