30 狂騒のあとで

 

 楠木邸の庭は今日も春うらら。

 中央にそびえ立つクスノキが、その身にまとう湊お手製しめ縄をゆらし、風と戯れて枝葉をざわつかせる。


 御池にせり出した大岩の上で、霊亀がのんびり甲羅干しに勤しんでいる。その傍、神水を掻き分けた応龍が横切っていった。


 水紋が広がる上に架かる太鼓橋に横たわる麒麟が、こっくり、こっくりと舟を漕いでいる。


 穏やかなまったりとした時間が流れる神の庭。


 そんな神庭をあますことなく見晴らせる一番いい場所は、縁側の中央である。

 そこに、いつも通り座布団に寝そべる山神が大あくびした。


 その傍らで背筋を伸ばした湊が、護符作成に励んでいる。それをテン三匹が対面と両側から見守っていた。


 そしてもう一匹。座卓に乗る、鳳凰だ。


 桜色がかった真珠色の毛並みをした、手乗りサイズのふくふくとしたひよこである。


 そのひよこが真正面を陣取り、湊の手元を食い入るように見つめている。

 見目は子どもだが、中身は霊亀たちと同じく悠久の時を過ごしてきたモノだ。


 すこぶる好奇心旺盛でなんにでも興味を示し、とりわけ人間の創り出すモノを好んだ。


 悪霊に取り込まれていた時間が長かったせいもあって、知識のアップデートに余念がない。


 湊の異能にも並々ならぬ関心を寄せ、護符作成時には、つきっきりで監視する始末。

 見目の愛らしさにそぐわぬ鋭い眼差しを常に注がれ、書きづらさを感じた湊が身動ぎした。



 播磨からの依頼で怨霊退治のため、他県まで赴いたあの日から半月経った。

 風神により、たたっ斬られ、雷神により、業火で半分焼かれた怨霊が造った異界。問答無用で現世への道が開かれて無事に脱出成功。


 一歩、その界を出た途端、鳥の大群に取り囲まれた。

 安堵したのも束の間、隙間なく鳥たちに包囲され、再度度肝を抜かれる羽目になった。


 彼らが待ち望んでいたのは、淡い桜色真珠の珠だろうとバッグから取り出せば、皆一様に喜び、さえずった。


 騒音紛いの歓喜を乗せたその大合唱に呼応するかのごとく、珠が強弱をつけて明滅。

 ほどなくして、珠が溶けるように消えて桜色のひよこが現れた。


 湊の手の上で元気よく羽をばたつかせ「ぴっ」と力強く鳴き、場がどっとわいたのだった。


 その後、耐えがたい疲労により現地で一泊を余儀なくされ、翌日、楠木邸に戻った。


 のちに山神から聞かされた話だ。


 ひよこは、鳳凰。吉祥をもたらす瑞獣たる四霊の一角である。


 四霊とは、動物四分類の長を司るモノたちだ。


 固い殻や甲羅を持つ甲殻類の長、霊亀。

 鱗を持つ魚や蛇類の長、応龍。

 毛を持つ獣類の長、麒麟。

 羽を持つ鳥類の長、鳳凰。


 無数の鳥は、己たちの長の身を案じていたのだ。


 ちなみに霊亀が初めて楠木邸を訪れた際、妙に道端で甲殻類の生き物から何か言いたげに見られたのは、「うちの長を頼みます」だったようだ。

 彼らの力を借りて楠木邸までたどり着いたという。


 ともあれ、なぜ四霊は悪霊に取り込まれていたのか。


 それは、霊長の長だからだ。


 彼らを慕う動物霊たちが集まってくるせいで、餌として利用された。


 悪霊は、喰い合って力を増していくもの。

 四霊獣を餌に動物霊を引き寄せてむさぼり、怨霊化していったのだった。


 瑞獣は自ら戦う術を持たない。

 抗う術もなくあっさりと捕獲され、ただただ己の身を守るために耐えていた。


 長きに渡って取り込まれていた鳳凰は、珠に還るまで弱体化してしまった。


 霊亀、応龍、麒麟も、いまだ完全に力は戻っていない。


 近頃、霊亀がやや大きくなってきており、元の力を取り戻しつつある。


 それはむろん、楠木邸の庭にいるおかげだ。


 湊が新たに作成した表札で護りは万全。本来の神力を取り戻した山神によって神域化した場所でもある。

 悪しきモノなど微塵も寄せつけはしない。

 四霊は安全地帯のここでゆっくり養生できるだろう。



 湊が御池に架かる太鼓橋を見やる。

 そこには寛ぎきった麒麟の姿がある。頻繁に裏門、塀の上から覗いていたのぞき魔だ。


 入りたい、でも入れない。あと一歩が踏み出せない。

 そんなためらう気持ちがありありとわかる様子だった。


 いつでも振り向けばそこにいる状態であった警戒心の塊が、今では悠長にうたた寝するまでになっていた。


 決め手はビールだったと確信している。

 霊亀情報で『ビール好き』と知り、ピンときた。


 アレしかない。

 任せろと購入してきた、麒麟と似た絵姿のラベルつき瓶ビール。それをなみなみと注いだジョッキを縁側の端に置いた瞬間、一目散に裏門から飛んできた。

 相変わらずの爆速具合であった。


 恐れていたであろう湊に上目でお伺いを立て、頷けば嬉々としてジョッキに顔を突っ込んだ。

 傍で笑いを耐えている湊に目もくれず、実にいい呑みっぷりであった。


 それから四霊は、毎晩晩酌している。

 鳳凰は、焼酎を好む。甘いお菓子もいけるらしく、つぶ餡もいける。

 頻繁に山神と『こし餡とつぶ餡、どちらが至高か』と意見を戦わせている。極めて平和だ。


 湊が和紙に流れるように毛筆を滑らせいく。


「ぴっ」

「あ、ごめん」


 力の入れ方が少しばかり雑になっていた。

 鬼教官と化した鳳凰が、気を引き締めておやりなさい、とばかりに卓上をトントンと軽やかに跳ぶ。


 バターケーキにフォークを刺す途中だったセリが、ひよこを見やった。


「厳しいですねえ」

「ほんの少しだったぞ」

「細かすぎない?」

「ぴぴッ!!」

「駄目って、そんな大きな声出さなくたって。カリカリしないでよ、ケーキ食べる?」

「ぴぃ~」


 食べかけバターケーキを手ずから差し出すウツギのもとへ、いそいそと羽をはためかせた鳳凰が向かう。

 至って扱いの楽な鳥類の長である。


 露天風呂から上がった雷神が縁側に飛んでくる。

 さらに赤い色になった足が床に降り立った。


「熱い~、けど、温泉いいわあ。ついつい長湯しちゃう」


 遅れて飛んできた風神が、音もなく磨き抜かれた床に足をつける。


「喉渇いたねえ」

「冷酒要りますか?」


 嬉しそうに華やぐ彼らをもてなすため、湊は卓上を片付けた。


 その時、パチンッと山神の鼻から盛大に出ていた鼻提灯が弾けた。

 クワッと眼も開く。

 さらにくいっと耳が横を向き、尻尾も盛大に振られる。


 そして期待感を乗りに乗せた濃い神気を撒き散らした。


 皆、即、理解。


 播磨が来訪したようだ。

 播磨の訪問は依頼を終え、礼として大量の和菓子を奉納されて以来になる。もちろん、全て完食済みだ。


 風神が天上を指差す。


「じゃあ僕たち、上にいくよ」

「別にここにいても問題なくない? アタシたちのこと、気づいてるじゃない」


 さも不思議そうに雷神が首を傾げる。


 その通りだが、正直遠慮してもらいたい。神々は好き勝手に話すから、挙動不審になってしまう。


 されど命を救ってもらった二柱にきっぱりと断りを入れるなぞできるはずもなく。


 答えあぐねた湊に向け、バターケーキをむさぼる四匹の上目遣いの駄目押し。さらには霊亀と応龍も御池から上がった。

 鳳凰の住みかである石灯籠を通りすぎ、こちらへと向かってくる。

 そのあと、麒麟も軽やかな足取りで続いた。


 宴会決定のようだ。あえなく敗北した。


「……なるべく、お静かに願います」


 やった~、とはしゃぐ声々を背中で聞き、素早く冷酒を筆頭に酒類を準備した。




 座卓を挟み、播磨と相対する湊の頬が引きつる。

 卓の片側で次々と消えていく大量の酒類、菓子類。

 挙げ句の果てには、手土産という名の神への供物である和菓子も。


「あれも食べて、いーい?」


 真横から乗り出してくるウツギに訊かれ、滝涎を垂れ流し続ける山神を見やる。


「……いいよ」


 と小声で許可を出す。

 即座、包装紙が剥かれていく。もはや言い訳のしようもない。


 彼らは一応、お隣さんである。

 楠木邸の庭を我が物顔で占領しているといっても過言ではない、厚かましさここに極まれりな山神一家だが、あくまでも隣神。


 勝手にこの家の物を食べたりしない。


 そこのところの線引きだけはしっかり守り、必ず許可を求めてくる。駄目と言った試しはないが。


 そんな不自然なやり取りを前にしても、端に座る播磨はすぐに順応し、涼しい顔でいつものように取引を続けている。


 鋼鉄製の強心臓をお持ちか、と感嘆する湊も似たようなものである。


 わいわいと好き勝手に揶揄ったり、呑んだり、食べたり、にぎやかに騒ぐ隣の神々を横目に、湊が緩やかに微笑む。

 なんにせよ毎日、楽しくて、充実して、幸せなのだから。




 世間は身も心も凍てつく真冬の真っ只中。

 空を覆う厚い灰色雲から降り始めた雪は、神庭には落ちてこない。積もることもない。

 くすんだ枯れ色の冬山を背景に、鮮烈な緑一色の春の神庭がある。

 四季の移ろいはなくとも、居心地のよい楠木邸、自慢の庭園。

 穏やかな風に撫でられたクスノキが、こんもりと丸い樹冠を嬉しそうに、楽しそうに大きく震わせた。

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