17 山神さんちは大所帯


「……雷鳴? まさか天気崩れてきた……?」


 山の天気は変わりやすいものだ。

 セリ、ウツギと山道を歩いていた湊が振り返る。片側は木々が茂っているものの、もう片側は拓けており、あかつきの晴れ渡る空が見えた。

 入山した時と変わらず、雷雲の気配は感じられない。

 湊が不思議そうに空を眺めた。傍らを歩くセリが、湊の持つ懐中電灯の明かりの中に入ると、その黒眼が光った。


「先ほどのは神鳴かみなりだったので、雷神ですね」

「……恐ろしや。雷様、荒れておられるのか……酒は追加して置いてきたんだけどな」


 以前、圧倒的な力を目の当たりにした湊は、雷神は一番怒らせてならぬ御方だと心に刻んでいる。

 軽く身震いし、前へと向き直った。

 

 湊とセリとウツギは夜も明けぬうちから家を出立し、山に芝刈り、ではなくタケノコ掘りに向かっていた。


 天を目指して伸びる竹の合間を湊たちが抜けていく。

 一面を埋める厚い枯れ葉の上を通るたび、カサカサと鳴った。

 湊と眷属二匹の分、そして大勢の分。

 湊たちを囲うように至る所でかさかさコソコソと音がしている。

 跳ねるウサギ、地を駆けるリス、とことこ横を歩くタヌキ。山の生き物たちが同方向へと向かっていた。


 山に入ってすぐから増え始め、今では野生動物集団といって差し支えない数にまで膨れ上がっている。

 その中心にいる湊が従えているような構図である。

 人にでも見られようものなら、悲鳴を上げて逃げられそうだ。

 とりわけ何かしてくることもなく、ただ物言いたげに見つめてくるだけなのだけれども。


「……ここまでたくさんの野生動物が集まってくるとは、想像もしてなかったよ。鳥さんと出かける時も鳥はそれなりに寄ってはくるけど」

「確かに、みんな普段は単独行動ですからね。ここまで一堂に会するのは我らも初めて見ます」

「山神さんちは大所帯だよね」


 他愛もないことをやり取りしていると、前方からカモシカまで向かってきた。湊より体格がいい。思わず立ち止まる。 

 しずしずと歩み寄ってきて、前に立ちふさがった。


「『うちの長がお世話になっております』ってさ」


 ウツギが通訳してくれた。


「どういたしまして」


 ひと声かければ、頭部を振ったカモシカが道をあけてくれる。


「動物たちの言葉、わかるようになったんだね」

「うん、頑張ったからね!」


 いかような鍛錬を積んでいるのか知らないが、彼らは努力次第でいくらでも成長するよう創られている。そう山神から聞き及んでいた。


「できないことができるようになると、うれしいし、楽しいよね」


 二匹も同意してくれる。彼らも己の成長を楽しんでいるようで、山神の思惑は成功しているのだろう。

 不意にウツギが横を向いた。


「あっちに芽が出ていないタケノコがいっぱいあるらしいよ」

 ウツギが指すほうを目で追うと、二頭のシカが前脚で落ち葉をかき分けている。

 そばに近づけば、尖った芽がわずかに土から頭を出していた。


「急だったから、くわを用意できなかったんだよね……」


 膝を折ってバックパックから、スコップを取り出す。


「これでいけるかな……」


 実家の専用鍬に比べるとなんとも心許ない。それを眺めていると、手元に陰が落ちる。


 見上げたら、クマから見下されていた。


 己の二倍近くはあろう巨躯のツキノワグマに、背後から覆いかぶさられ、覗き込まれている。

 その眼光の鋭さ、頬に走るキズ跡。並々ならぬ強者ツワモノの風格を漂わせていた。

 さまざまな所から聞こえてくる葉ずれ音に紛れ、背後を取られても気づけなかったのだった。


 ビシリと身を凍らせた湊とクマが見つめ合う。


 どうすればいい。野生のクマに遭遇した時の対処法はなんだ。死んだふり? 今さら? 思いっきり視線合ってるのに?


 脳内で自問自答する。冷や汗が吹き出してきた。


「『ワシに任せろ』だそうです」

「……あ、はい。オネガイ、シマス」


 騒がしい心臓部を押さえながら、素直に場所をあけた。

 のっそり屈んだクマは芽の周りの土を前足で円を描くように、ごっそり抉り取る。

 たったひとかきで真白のタケノコがお目見えした。

 地中に張りめぐらされていた無数の根が、ベキベキバキボキとへし折れる音は情け容赦なかった。

 固い土を物ともしないその長い爪の威力。

 斜め後方から見ていた湊は、首に巻いていたタオルで額の冷や汗を拭った。味方でいてくれて本当によかったと思いながら。

 ウツギが湊のすね部分をつかんでゆする。


「ねぇ、なんでクマにそこまで驚くの。今まで会った動物たちみんな友好的だったでしょ」

「……それは……体の大きさと思い込みかな……」


 動かせない視線の先で、丸まった背中の下、ずぶっと爪でタケノコを突き刺し、ボキッと折り、いとも簡単に採取していく。その手腕、熟練の技なり。湊の心臓の高鳴りは収まりそうもない。

 周囲を見回せば、動物たちがそれぞれ土を掘ってくれていた。

 そうして十分もかからず、タケノコ掘りは終わってしまう。

 足元に築かれたタケノコの小山を見下ろし、湊は苦笑いするしかなかった。


「朝掘りには少し時間が遅くなったと思ってたけど……間に合ったね。しかも俺、なにもしてない……本当ならこれだけ採るのにどれくらい時間がかかったんだろう……すごいズルした気分になる」

「みんなの気持ちだよ」

「みんなありがとう」


 声を張ると、あらゆる所から鳴き声があがった。

 屈んで軍手を嵌めた手でタケノコを持つ。その身は真っ白だ。

 タケノコは光を感じると硬くなり、アク――えぐみが強くなる。

 夜間、親竹から養分・水分を吸い上げ、朝に成長する前、土の中にある状態で掘り出すと、一番美味しいといわれている。

 クマから爪で挟んだタケノコを差し出された。


「『今が一番うんめぇから、さっさとお食べなせぇ』といっています」

「……アリガトウゴザイマス。ですが、家に持ち帰って頂こうと思います」


 セリから教えられ、恭しく両手で受け取った。

 この場でクマに観察されながら、呑気にタケノコを頂ける気はしない。畏まった湊の態度に、ウツギが前足で口元を押さえて笑う。

 しかし次の瞬間、その前足を下ろし、尻尾をブンブン左右へと振り出した。

 湊が眉を寄せる。

 おかしい。ウツギはというより、テンはそんな動作はしないはずだ。今まで一度も見たことなかった。

 まるで、今頃まだ家で呑んだくれているであろう、どなた様のようだ。

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