31 応龍 VS 麒麟
湊が視線でその先を追う。
太鼓橋の向こう、水面から美しき龍体がするりと出てきた。
こちらも昨日までの荒々しさはない。音もなく波立てることもなく、静かに天に昇るように姿を現した。
青みの強い緑の体。白い
誰しもが思い浮かぶであろう、神々しい龍神様の
すっと縦長の瞳孔の眼がこちらを向いた、ゆったりと一対の羽をはためかせながら近づいてくる。
その三本爪が、しかとつかんでいるものは、ブルーパールの皮だ。
立ち尽くしていた湊の前までくると、差し出してきた。
『受け取れ』その眼が告げている。
「あ、ありがとう」
正直、触るのも恐ろしい輝きである。まさか彼らが害のあるものを渡しはしないだろう。
片や満足気に、片や一抹の不安を抱きながらも両手で恭しく受け取る。滞りなく贈呈式を済ませた。
それは、とても薄くすべすべとした手触りだった。
日に透かしてみると向こう側がうっすら透けて見える。
試しに軽めに伸ばしてみても、切れたり、破けたりする気配はない。
頑丈そうだ。広げてみれば、角、ヒゲ、羽の部分がある。
明らかに龍だとわかる。
うっかり他者にでも見つかろうものなら、一騒動起きるのは
霊亀の分も、尖った甲羅が明白に知れるモノに違いない。山型の甲羅の亀に心当たりはない。
こちらも同じ扱いをすべきだ。ともに大切に保管しておこうと思う。
『人間は、財布なるモノに抜け殻を入れておくものだと、いつぞやか我が子に聞いたことがある。我が子らのはなんの効果もありはしないが、
『喜ぶまいよ』
『何故』
『金どころか、あらゆる幸運をかき集めてしまうぞい。向かう先々で洪水のように押し寄せてくる。人間一人の身には余るほどにな。世のぱわーばらんすなるモノも崩れかねん。
霊亀と応龍のかけ合いは、神妙な様子の湊には知れない。
応龍が残念そうにしている。だがその表情はわかりにくく、湊は推し量れない。
『滅多に取れぬモノゆえ、礼になるかと思おうたのだが……』
『確かにな。一部だけでも……ヒゲ部分だけでも入れておけばええぞい』
『何故ヒゲのみなのだ。どうせなら頭部全部にせよ』
霊亀と応龍が何かいいたげに見てくる。やはりその真意は汲み取れなかった。
託されたのだと思っている。
「亀さんのも大切に保管しておくよ」
湊は山神に相談しようと決めた。
大岩でくつろぎ始めた二瑞獣の傍らに、煌めく二枚の皮を広げる。皮は本体と違い、濡れていたので乾燥が必要だった。
応龍もすっかり落ち着いたようだ。庭は、ただ静かに桜吹雪が舞っている。
昨日までその桜をかき分け走り回っていた麒麟もいない。
一番の問題児が気にはなる。なにせ、一番行動力もあるからして。
「よそ様に迷惑かけてないならいいけど……」
危うい。竹箒を片手にした湊が太鼓橋に近づく。その足がぴたりと止まった。
太鼓橋に無数の光るモノが落ちていた。湾曲した石の道にクリームパールに光る水玉模様ができている。
手前の一つを拾い上げた。
鱗だった。親指の爪程度の大きさで、魚の鱗に似ている。
「色的に麒麟さんのモノだろうな……」
麒麟は皮がむけたわけではないのだろう。見てみたいが、肝心の本体はいずこに。
ふいに背後に気配を感じた。振り返れば、そこにいた。
まるで最初からここにおりましたといわんばかりの涼しい顔をして佇んでいた。
麒麟も、脱皮といっていいのかわからないものを終えていた。
その身は、全体的に黄みを帯びている。
長めの背毛は黒、白、赤、青、黄の五色。部分的に鳳凰と似たきらびやかさだった。
こちらも体のサイズに変わりはなく、頭部が己のひざに届くかどうかくらい。
しかし、より一層、存在感が増している。その体躯から放たれる真珠の輝きは三瑞獣とも共通していた。
麒麟が前足でちょいと手招く。橋の上に散らばっていた鱗が一斉に宙に浮き上がり、湊の目前に集結した。
その量は、両手に余るほどあるだろう。
「……預かっておくよ。……保管しておくだけなら、為政者になったりはしない……よね?」
ぱちりと大きく瞬いた麒麟が、にんやりとその両眼を細めた。
『預けるのではありません。あなたに差し上げるのです。とれたて新鮮ですから、お好きにされるとよろしいですよ』
『そのいい方、もう少しなんとかならんのか』
『そうですか? 本当のことじゃないですか』
霊亀にたしなめられ、麒麟は澄まして答えたが――。
『いかなる効果があるものか、知れたものではないな』
『応龍殿は黙っていてください!』
ぐわっと応龍には牙をむいた。
応龍と麒麟のじゃれ合いを最初に見かけた時は慌てた湊だったが、もう慣れた。それだけ頻度が高いからだった。
いつものことだと見守っていると、なにやら様子がおかしい。
毎回、角同士の押し合いに発展するのだが、今日は違った。
大岩上に浮き上がった応龍から閃光がほとばしる。空に向かって一直線に光が走った。
まさか、と湊が空を見上げる。
急速に青空に雲が発生。もくもくと形を成した雲が瞬時に降りてきた。
その速度たるや、以前と比べ物にならないくらい疾い。
しかも雲を自らの力で作り上げ、そのサイズは敷地を完全に覆ってしまうほどだった。
脱皮したおかげで力が増したのだろう。
完全に太陽が遮られ、薄暗くなってしまった。そんな中でも、三瑞獣は真珠の光を発しており、よく見える。
雨が降り始めた。麒麟の頭上に向かって一斉に降り注ぐ。
だが、麒麟はすぐさま逃げ仰せた。
敷地内を縦横無尽に逃げ回り、そこに向かってだけ雨が降る。
「……まあ、うん。平和だよね」
雷を落とさないだけ優しいというべきか。
瑞獣は戦う術を何一つ持たないと聞き及んでいる。
あちこちで局所的に土砂降りの雨が降るものの、さしたる被害もない。湊の周囲にだけ麒麟がこないのは、気を遣ってくれてるのだろうか。
麒麟がクスノキの上に下にと逃げるせいで、思いっきりクスノキも雨を浴びているが、うれしそうに葉で弾いて遊んでいた。
「水やりしなくてもよかったな……」
クスノキはおろか、庭中が水浸しになってしまった。これでは掃き掃除の続行も不可能だ。
竹箒を片付けようと歩き出したら、クスノキが激しく身震いした。
いつも以上のざわつきに、湊が弾かれたように振り返る。
クスノキの真上にいる麒麟が『あ、しまった』という顔をしたのがはっきり見えた。
大岩を見やると、霊亀が首を左右に振り『やれやれ』とため息を吐いた。応龍はヒゲを逆立て、まだまだ麒麟を狙い撃ちにしていた。
「なに? まずいの? どっち?」
こういう場合、通訳がいないと本当に困る。
ぐにゃりとクスノキが幹をくねらせた。
固いはずの幹があり得ないほどの柔軟性に富み、飴細工のように自在に動いている。
異様な挙動だが、苦しんでいる様子はない。むしろ――。
「……喜んでる?」
ざわざわとすべての枝葉を振る様は、まるで歓喜の舞を躍るよう。
そして次第に、幹が縦に伸びて横にも広がり出した。
さらなる高みを目指し、枝が上へと伸びていく。花開くように、葉の数も激増していった。
家の屋根をはるかに超え、巨大化していくクスノキは止まらない。
異様に、はしゃいでいる。さながらマタタビに酔った猫のごとく。
今や、幹幅は三メートルに達しようとしていた。
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