32 表札職人のこだわり


「これ以上大きくなるのは、さすがにまずいだろ」


 湊が慌てた直後、ぷつっとしめ縄が切れた。

 かなり余裕を持って長めに作っていたが、耐えきれなかったようだ。

 すると、ビシッと成長が止まった。

 湊が安堵している中、さわさわと葉だけが微弱に振動する。

 悲しんでいる。

 そう感じた湊がクスノキに近づくと、頭上の葉だけが震えた。


「俺が怒るかと思ってる? いや、怒りはしないけど、体、なんともない? まだ大きくなりたい?」


 ひたすら謝っているように感じられた。

 これは、意思疎通は難しそうだ。


 どうしたものかと思っていれば、傍らに霊亀が寄ってきた。そのまま通りすぎ、よじよじと太い根を登って下りて、少しずつ幹に近づいていく。

 太い幹にたどりつくと、労うようになでた。さすれば、クスノキの震えが止まった。


 説得か、なだめてくれたのか。いすれにせよ、クスノキは落ち着いたようだ。

 さすが亀の甲より年の功。いや、年の功より亀の甲。どちらも当てはまる。四霊の中で、霊亀が一番歳上だ。


 湊がクスノキを見上げる。

 一体何メートルになったのか。

 下手をすれば、国内で十指に入る高さにまで成長してしまったのではないだろうか。


「……とりあえず、山神さん待ちだな」


 山神は庭の改装が自在にできる。あれでなかなか庭に一家言を持つ御方でもあるからして、きっとなんとかしてくれるに違いない。


 眺めていると、地面に近い一本の枝がつるっと伸びた。

 その枝先で地に落ちていたしめ縄を拾い上げ、差し出してくる。

 受け取ってみれば、精麻せいまで作ったしめ縄の輝きは変わっておらずとも、無惨に引きちぎれていた。

 もう使えないだろう。クスノキのサイズ的にも巻けもしない。


「また新しいの作るよ」


 ちょんちょんとしめ縄に触れて、枝は元に戻っていた。

 クスノキは、ますます異常性が増してしまったらしい。


「そのうち、歩き出しそうだ」


 頭上で葉が大きくざわついた。幹幅も樹冠も広がり、圧迫感はあれど、クスノキ自体が元気なら、湊的にはオールオッケーではある。

 しかし、こんな異色の巨木付き物件は、無事売れるだろうかとわずかな不安が過った。

 

 かたん、かたん。

 突如、奇妙な音が鳴った。裏門からだ。

 クスノキから離れ、裏門へと向かうと格子戸越しに山神がいた。その体はいまだ小さい。

 とはいえ存在感はある。堂々と胸を張って鎮座していた。


「今、変な音鳴ったよね」

「我が表札を鳴らしたからな」

「なんでまたそんなことを……」

「切れかけておるぞ」

「あ、そうなんだ」


 湊が表札の前に立つ。それはまだ真新しく、木の香りまで残っている。


「ひと月前に交換したばかりなんだけどな……」


 湊には視えないが、もう祓いの効果は切れかかっているらしい。

 表札を取り外し『楠木』の字に触れる。効果が切れてしまえば、ただの表札にすぎない。もったいないが、処分するしかない。


「割って知らせてやればよかったか」

「やるなら真ん中に切り込み線のように入れてほしい。うち実家童子わらしさんみたいに」


 実家に住まう座敷童子は、ものの見事に真ん中を割ってくれる。その技は、熟練の域に達している。


「次はそうしてやろう」


 山神が喉奥で笑いながら門を抜けた。

 が、即、止まる。

 その視線の先にはもちろん、六階建てビル相当まで高くなってしまったクスノキがある。


「異様な気配を感じてきてみれば、これであったか」

「わかってたんだ」

「むろん」


 眇めた眼で、巨木を見上げた。


「クスノキは大丈夫?」

「ぴんぴんしておるわ。調子に乗って育ちすぎたと反省しておるな」

「不可抗力じゃないかな」

「まあ、そうであろうよ」


 ふたりが御池を見やる。

 御池の真ん中、眼から上を出した応龍がいた。いたくバツが悪そうだ。

 その背後、太鼓橋の欄干に乗った麒麟はそっぽを向いてすっとぼけていた。



  ◇

 


 裏門に真新しい表札を取りつけ終わった湊は、数歩後ろに下がる。腕を組んで、門、表札をじっくり眺めた。

 次第にその顔がしかめられていく。ひどく不満そうだ。

 表札の出来が気に入らぬ。線の太さがバラついていて、『楠』と『木』のバランスもどことなくおかしい。

 こんな不出来な物は、立派な数寄屋門に似つかわしくないだろう。

 小学生の頃から表札を作り続け、すでに職人となった男は己の作品に妥協を許さない。


「……せっかく作ったけど……気に入らん……」


 はっきりいえば、楠木邸裏門の表札を目にする人は皆無である。山神一家と時折遊びにくる動物たちくらいだ。

 しかし職人たる者、家に掲げる表札が不格好など許せるものではなかった。たとえ誰の目にも入らずとも、裏側であろうとも。


「これを作った時、山神さんが笑わせるせいで、つい刃が滑ったから……」


 湊は口をつぐんだ。人のせい、いや、神のせいにしてはなるまい。

 己の集中力を途切れさせたのは、己が未熟なせいである。

 決して、座布団上に仰向けで寝ながらにして、滔々と甘味語りをしていた山神のせいではない。


 その山神は、先ほど縁側へと直行し、ひっくり返って寝てしまった。

 腹を晒して寝るなど、気を抜くにもほどがあるが、それだけくつろいでいてくれているのなら、単純にうれしくはあった。


 子どもの頃、近所の犬を預かった経験がある。

 一緒に遊んでみたい。散歩にもいってみたい。そんな期待を胸に、

 心待ちにしていたのだが、いざやってきてみれば、懐くどころか、気も許してくれなかったのは苦い思い出だ。

 目が合えばうなられ、近寄れば吠えられ、歯をむき出しにして威嚇された。

 むろん遊べもしなければ散歩もできなかった。

 思いもよらぬ拒絶に、切なさもひとしおだった。


「山神さんは犬じゃないけど」


 見慣れた今となっては、狼以外の何モノでもないと思う。

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