28 推して参る


 門前で横並びになった眷属たちの体から、徐々に光がほとばしっていく。


 門から先は、穢れ堕ちた元神が造り出した神域だ。


 本来、招かれたモノしか入れない特殊な異界を、神の眷属が神力で穴を穿ち、無理やり道を切り開く。


 神域を造れるということは、すなわち壊せるということ。


 まだまだ未熟な彼らは、他神の神域を破壊できるほどの力はない。

 けれども、湊一人が通れるくらいの穴を抉じ開ける程度は、修行を終えて可能となっていた。


 固唾を呑み傍らで待つ湊の視線の先、空間にぽっかりと親指程度の小さな穴が開いた。

 すかさず三匹がその穴の縁をがっしりとつかみ、抉じ開けていく。


 薄闇の中、門の中央に穴が開いた。


 三匹に視線で促され、頷いた湊が穴をくぐり、敷地内に踏み入る。

 即座、穴を跳び越えた三匹が湊の身体に張りついた。左足にセリ、右足にトリカ、頭にウツギ。

 彼らは通常の動物ほどの重さはないものの、がっしりとしがみつかれ、そこそこの重みがかかった。


 神域内は外の景色とは異なっていた。

 吹きつけていた風がやみ、寒さは感じなくなったが、名状しがたい生ぬるい気温は不快でしかない。


 頭上に太陽はないが、薄明るいという奇妙さ。

 のっぺりとした灰色の空が広がる、静まり返った不気味な空間だった。


 参道の先の本堂が、ぼんやりと霞んで見える。

 先ほどより、断然、濃い黒色に見え、湊の喉が上下した。


 本堂に険しい視線を向けていたセリが湊を見上げる。


「あの建物内に大元がいるようです」

「あれしかないしね……いくよ?」


 応! と揃いの勇ましいときの声。


 が、数歩進んだところで三匹の体が震え出す。

 靴の甲部分に乗るセリが脛にしがみつく力を強め、怯えた声で告げた。


「湊、護符の効果が、切れかかってます」

「わかった」


 能力を上げた現状の護符は一枚でも、怨霊クラス五体程度を問題なく祓えるのだと播磨から聞き及んでいる。

 その威力の高い護符が束であろうと、もう駄目らしい。


 素早くボディバッグを開け、中の特殊な袋の紐をほどけば、三匹の震えが止まる。

 後頭部を抱えてしがみついているウツギにより、ブレていた視界も収まった。


 播磨に渡されていた祓いの力を一時的に封印する袋から和紙の束を取り出した。

 その文字は、墨痕鮮やかだ。

 まだ十二分に余力は残っている。


 湊が周囲へと首を巡らす。


「俺の目では、建物とか砂利とかはっきり見えるようになったけど、どう?」

「大丈夫だ。この域に蔓延っていた瘴気が全部消えた」

「あ、危なかった~」


 トリカが見上げて力強く応え、ウツギが後ろ足で両肩をふみふみと踏んだ。


 和紙を両手に持つ湊が、敵本陣たる本堂へと近づいていく。本来なら荘厳さを湛えた本堂であったろうが、今はただ薄気味悪いだけだ。


 ゆっくりと進む湊の足音だけが響く。一歩、一歩、近づくごとに、またしても三匹の体が強張る。

 湊の視界でも、また本堂が薄黒くなり始め、見えづらくなってきた。


「……怒ってますね」

「まあ、無理やり開けたからな。仕方あるまい」

「もお~、うるさーい」


 湊には聞こえない声なり、音なりが眷属たちには聞こえているようだ。

 生ぬるい不快な微風が頬を撫で、呼吸がしにくい。湊が盛大に顔をしかめた。


「こんな所、早く出たい」

「同感です」

「早く済ませて帰ろう」

「早くいかないとお菓子屋さんしまっちゃうんだよね?」


 ああ、と応え、力強く足を踏み出す。

 両脇に石灯籠が立つ合間の石階段を上がり、本堂扉の前へ。

 かんぬきが外れ、片側のみが開かれた古びた木製の観音扉。


 その前に立ち止まった湊の全身に、前方からぐっと見えない圧がかかった。三匹のつかむ前足にも力がこもる。


 セリの鼻筋に深い皺が寄った。


「……もう一度、開かねばならないようです」

「……いける?」

「やる」

「うん」


 そろりと三匹が湊から離れ、扉が開いている前に降り立つ。並んで手を繋ぎ、神力を高めていく。淡い金の光を放つ。


 少しずつ、少しずつ。力が、光が、高まっていく。


 そのあいだ、本堂から威力が増した圧が、皆の全身にのし掛かってくる。


 異様な気配。

 怒りだ。凄まじい怒気を感じる。


 圧倒的で凶悪なモノから威嚇されていると本能で理解させられる感覚に、肌が粟立ち震えがくる。


 かつて体験したこともない身の内から凍りつきそうなほどの恐怖。先日、とばっちりで喰らった山神の神威以上の圧に、身の毛もよだつ。


 なれど、自ずと後退りそうになる足を気合いで留めた。


 一人だけ逃げ出すなどできるものか。

 この地に、なんの縁もゆかりもない山神の眷属たちが頑張ってくれているというのに。


 歯を食い縛り、皮膚に爪が食い込むほど固く拳を握った。

 己ができることはなんだ。

 己にしかできないことはなんだ。


 そんなの、一つしかないだろう。


 和紙をばらまき、つむじ風を起こす。和紙入りの風で三匹を守るように周囲を覆う。


 だがしかし、先ほど以上の時間が経過しても、穴は開かない。


 次第に眷属たちの表情も歪み、体から放たれていた光の明度も落ちていく。

 う

うまくいっていない、と嫌でも知れても湊にはこれ以上成す術はなく、気ばかりが焦る。


 その時。

 ドンッ! と扉の向こう側から叩く破壊音と衝撃波。


 それを受けた湊が押されてよろけた。されど意地でも三匹を守る風だけは止めない。


 回転する和紙の文字が急速に薄くなっていく。

 立て続けに、けたたましい騒音、増していく衝撃波。

 木扉に亀裂が走っていく。

 今にも扉が砕け散りそうだ。


 鳴りやまない音と暴力的な圧力に、耳鳴りで音が聞こえず、激痛が脳を襲う。

 湊が耐えきれずに片膝をついた。

 迫りくる、おぞましい気配。


 くる。

 何か邪悪なモノが、内側から出てこようとしている。


 石畳についた和紙を握る手に力がこもる。

 出てくれば、一瞬で勝負はつくだろう。


 果たして、己に勝ち目などあるのだろうか。

 護符は、残りわずかだ。

 こんな荒れた精神状態で、新たに護符を作成するのはひどく難しい。


 臆病風に吹かれ、冷や汗が止まらない。こめかみを伝う汗が、落ちて地面に散った。


 とうとう光を失ったテンたちが、くず折れる。

 直後、眷属たちの眼の色が、黒から金へと変わっていく。

 そして扉に向けて、三匹の口が開く。


 ウオォーーー……ン……


 大音量の狼の遠吠えが放たれた。

 異界中に轟く力強い咆哮とともに金色の光の圧が、禍々しい黒き圧を跳ね退け押し返していく。


 すぐさま湊の身体から重圧が消え去った。

 耳鳴りも、頭痛も、何もかも薄れていく。


 パリンッと何かが割れる、悲鳴にも似た高い音が鳴り響いた。


 虚空に亀裂が入る。

 闇夜の色をした巨大な裂け目だ。

 そこから巨大な人の手の形をした黒い塊が、のたうち這い出てて迫りくる。


 今だ。


 立ち上がりざま、すべての和紙を横投げで放り、叩きつけるように突風を放つ。

 乱舞する和紙が、一直線に裂け目へと飛び込んでいく。


 湊には聞こえない。

 耳をつんざく怒声交じりの悲鳴が、長く、長く尾を引いたあと、やがて途切れたことを。


 湊に知れたのは、ただ黒い裂け目がなくなったということだけだった。




 傍らのテンたちを見やれば、元の黒い眼に戻っていた。

 やや足元が覚束ないながらも気丈に後ろ足で立ち上がる。

 皆の明るい顔から祓えたのだと詰めていた息を吐き、湊の肩が下がる。


 だが。


「……すべて、ではないようです……」


 残念そうにセリが告げ、三匹は忌々しげに本堂の中を睨んだ。


「でも、ほとんど消えたぞ」

「うん。あと少し残ってるみたいだけど」


 トリカの言葉に、ウツギも頷き、三匹が足元に集まってくる。湊は気になることを尋ねた。


「さっきの遠吠えって、山神さん?」

「はい」

「遠隔で神力を送ってくれたんだ」

「すごいでしょ!」


 誇らしげな顔たちを微笑ましいと思いながらも、しみじみ思う。


「山神さんって吠えられたんだ」

「一応」

「狼だからな」

「張りきったみたい」


 初めて聞いたよ、とかすかに笑う湊に三匹も同意した。


 さておき非常に助かった。

 山神の神力がなければ今頃どうなっていたのか。想像するだに恐ろしい、血が凍りそうだ。

 帰りの土産は奮発せねばなるまい。


 和んだのも束の間、堂内に突入する前に準備はしておくべきだろう。

 服に仕込んでいたメモ紙、和紙をすべて取り出してみれば、すべて白紙になっていた。


 祓う力を込めて書いた紙は、その効力が切れると再び力を込めることはできない。

 何度か試したものの一度も成功した試しはない。

 紙の再利用は不可となっている。


 真新しいメモ帳を取り出す。

 確実に、なおかつ速やかに文字を書き連ねていった。


 半分の枚数を字で埋め、眼前に開かれた本堂入り口を見据える。


「いきますか。本陣へ」


 後ろから両肩にしがみつく二匹、後頭部を抱えた一匹とともに、扉をくぐっていった。

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