27 導きの翼


 先導する羽ばたく鴉に導かれて横道に入り、着いていくことしばし。ゆとりある間隔で個人宅が建ち並ぶ住宅地の合間、フェンスに囲まれたささやかな公園があった。


 申し訳程度に設置された遊具とベンチのみであたりも閑散とし、人気はない。ここならよさそうだ。


 一目散に駆けたテンたちが滑り台の下に向かった。

 追いついた湊が渡したアップルパイを受け取ると、中心を向き合い、一斉に頬張る。


 彼らが互いの体で隠し合ってもまったく意味はないが、人目を憚りこそこそする様子がいじらしく、湊は黙っておいた。


 通りに面する側に湊がしゃがみ込む。

 これで万が一の人目は遮れるだろう。


「り、林檎が、しゃきしゃきですっ」

「パイとはこんなにもサクサクの歯触りなのか!?」

「……もごもごっ!!」

「ウツギ、全部飲み込んでから話しなさい」

「行儀の悪い。一気に詰め込むからそうなるんだぞ」

「……ッ」


 背後から絶賛の声といつものやり取りが聞こえる。

 肩越しにペットボトルを差し出せば、即座に持っていかれ、喉を鳴らして飲み干された。


 漂ってくるアップルパイの香りに己の分も買うべきであったかと少し後悔しつつ、公園出入り口の両側に立つ石柱を見やる。


 そこには案内してくれた鴉が止まっていて、こちらを見ている。鳴くこともなく、動くこともなく。


 待っている。そう感じられた。


 なるべく急ぎながらも、しっかり味わって食べ終えた三匹が湊の背後から出てくる。


「湊、ごめんなさい」

「すまない、迷惑かけて」

「美味しかった。焼きたてってすごいんだねえ、別物みたいだった!」

「いいよ、パイは焼きたてに勝るものはないからね。ところで、あの鴉なにか言ってる?」


 空になったペットボトルを受け取り、バッグへ入れて立ち上がる。湊の斜め前に立つセリが首だけで振り仰いだ。


「はっきりとはわかりませんが、案内してくれるようです」

「わからないもんなんだね」

「動物は人ほど知能は高くはないし共通の言語は持たないからな。強い感情をぶつけるように伝えてくるんだ」


 トリカが鴉を見ながら補足してくれた。公園の出入り口に向かうと、鴉が飛び立つ。先ほど入ってきた細道とは逆方向へ。

 皆で顔を見合わせ、頷く。低空飛行の黒い影を追った。



 数分後。住宅地合間の細道を早足で歩く。

 両脇には何軒もの家々が建ち並んでいる。広い庭を持つ昔ながらの日本家屋。稀に今時の瀟洒な洋風の家。入り組む細道だが決して迷うことはなかった。


 なぜなら案内してくれるのが鴉一羽だけではなかったからだ。


 相次いで四方の空から飛来する羽を持つモノ――鴉、鳩、雀たちが両側の塀に鈴なりになって目指す場所へと導いてくれる。

 足を止めることなく進んでいけた。


 頭上に張り巡らせられた電線にも鳩と鴉で埋まっている。

 無数の視線を一身に浴びながら、鳴り続ける羽音に急かされるように先を急ぐ。


 誰も彼も鳴き声一つもあげない。

 ただ列を成し、湊一行を出迎える。


 端から見れば、さぞ異様な光景だろう。

 湊は彼らから期待されているのだと痛いほど感じた。


 次第に湊の前を四つ足で駆けるテンたちが険しい顔つきになっていく。


「……ひどいですね」

「こうまで穢れがひどければ、とてもじゃないが人は住めまい」

「汚い~、臭い~」


 異様なのは周囲の家もだった。

 昼日中にもかかわらず、すべてのカーテンが閉ざされ、庭木も方々に枝葉を伸ばし荒れている。空き家の立て看板つき家も多々あった。

 物悲しい廃れた気配に満ちていた。


 しかし湊はそんな寂れた景観は知れても、他は何も感じ取れない。


 深く呼吸すれど、とりわけおかしな匂いもしない。

 目を凝らせど、これといって汚れも見当たらない。


 進めば進むほど、三匹の歩みが遅くなっていった。

 濃さを増していく瘴気を五感で知覚できない湊の表情が曇る。


「大丈夫? 無理そう?」

「まだいけます」

「大丈夫だ」

「いける、いける」

「俺が先にいくよ」


 わかった、と声を揃えた三匹が、歩く空気清浄機と化している湊を先頭に後ろから囲む陣形に変更した。


 テンたちの気配から安堵がにじむ。

 修行により、穢れ耐性は上がったものの、周囲の穢れ具合のひどさに辟易する。


 視界は最悪だ。臭気も同様に。


 雲に遮られつつあるが、いまだ太陽が健在であろうと、前方から大波のごとく流れてくる黒き瘴気により、一帯は夜と見紛う様相を示していた。


 そんな中、服のあらゆるポケットに入った護符の効果で、翡翠色の輝く膜が球状に覆う湊が進むたび、瘴気と襲ってきた悪霊が次から次へと霧散していく。


 汚泥の黒を切り裂く一筋の清廉な翡翠の光。


 湊が活路を切り開いていく。


 一気に晴れ渡っていく様は、いっそ笑いが込み上げてくるほど爽快だ。

 問答無用で祓われていく元人間、元動物の悪霊たちが絶え間なくあげ続けている怨嗟の声、断末魔の叫び。


 それを何一つ聞こえていない湊は、きっと幸せであろうと神の眷属たちは思う。




 やがて正面に二重門を構えた厳かな寺院が見えてきた。

 すると寺に一番近い家の塀を境に、ふつりと鳥たちの出迎え行列が途絶えた。


 湊が首だけで振り返る。

 薄曇りの空を背景に、電線、家の屋根、塀を埋め尽くす鳥の大群から見送られていた。


 まばゆい翡翠をまとう湊に向かい、全鳥が大声で鳴く。

 大気がゆれた。


 大声援を受けた湊たちが足を止めたのは、そびえ立つ重層楼門の前だ。

 掲げられた扁額へんがくの文字は黒いもやがかかって読めない。

 その下方、二体の金剛力士像が立っている。

 仁王立ちしたその逞しき御身も、険しくも勇ましい表情も薄ぼんやりとしか見えない。


 ここにきてようやく湊は、瘴気を視認した。


 ゆえに、ひどく穢れた場となる。


 この寺院は、それなりに有名で絶えず参拝者が訪れていた。だが相次いで住職、僧侶が不幸にあい、参拝者も寄りつかなくなってしまい、今では廃寺になっているという。


 あたりに人っ子見当たらず、不気味に静まり返っている。


 湊がスマホを取り出し、操作して耳に当てる。

 三コールでつながった。


「……楠木です。はい、今、着きました。播磨さんはどちらに」

『裏門側にいる。君は表門側か?』

「ですかね。金剛力士像があります」

『では表門だ。すまない。俺たちはそちらへ近づくことすらできない』

「……はい」


 わりとあっさりたどり着きました、とは言えない。


 視線を落とすと、両足にぴったり寄り添うテン三匹が門の中をじっと見つめている。

 その厳しい顔つきはこの先、決して楽観できないであろうことを如実に物語っていた。


「中に入っていいんですよね」

『……依頼しておいて今さらだが、絶対に無理はしないでくれ。……最悪、逃げても構わない』

「やれるだけやってみます」


 通話を切り、門と向き直る。

 延びる参道が門を越え、奥へとまっすぐに続く。薄闇に染まる四角く切り取られた向こう側に本瓦葺きの本堂が見えた。


 湊が低い石階段をゆっくりと上り始める。


 厚みを増した雲が太陽を遮っていく。

 冬風が吹き荒れ、寺院を取り囲む木々が唸りをあげる。まるで拒絶するように激しくざわついた。

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