23 今さら知るその名
無事楠木邸に戻され、湊は安堵から地面に倒れ込みそうになる。
慣れ親しんだ庭だ。多少の固さなど問題にもならない。
よろける湊の傍らを素通りしたスサノオは、縁側にどっかりと腰を下ろし、あぐらをかいた。
山神は背中に乗ったヤマタノオロチを、よっこらせと縁側に転がすように降ろす。
八つの頭部は時折のたうちながら、高いいびきをあげ続けている。
傍若無人なスサノオなれど、上座――山神の定位置である場所には座らなかった。
軽く跳んだ大狼が悠々と床を歩み、座布団に身を横たえる。
もしかして、上座に強大な座布団があったからだろうか。
湊はぼんやりと思いつつ、縁側に上がる。空腹だがもうこのまま、ここで眠ってしまいたい。
だが悲しいかな、腹減り神は許してくれない。
「おい、俺のメシは?」
「――しばし、お待ちを」
猫背で荒んだ様子の湊が室内に戻りざま、つぶやく。
「昔、隣んちのおばちゃんが疲れている時に『俺のメシは?』って催促されると、殺意が湧くって愚痴ってたけど、本当だった。初めて実感した」
「上等じゃねェか」
スサノオは膝を叩いてケラケラと嗤う。湊がスサノオをちらりと一瞥する。
「絶対、奥さんには言わないほうがいいよ」
「ッんなこと、俺の奥さんたちに言うわけねェだろォ」
急に真顔に変わって、真剣な声で告げられた。
愛妻家の一面もおありなのか。奥さんが複数形だったのは、言及しないことにした。
可能な限り迅速に、昼食会の準備を整えた湊は座卓を前にへたり込むように座る。
その正面にいるスサノオはただ座って庭を眺めていただけ。手伝いを買って出る気配は微塵もなかった。
いい御身分ですこと。母の口癖が湊の脳裏を掠めていった。
さておき、座卓には所狭しと皿が並んでいる。
どれも大皿ばかりだ。和食中心だが懐石料理よろしく、おのおの方に用意する気力も体力も残っていなかった。
モノども、好きな物を好きなだけ勝手に取って食いやがれ! とばかりの豪快さで、大皿に一品ずつ盛られている。
人数が多い場合はこれに限る。いや、今はそこまでいないけれども。
一人と三柱になるのだろうか。
縁側でながーく伸びて寝こけたヤマタノオロチを横目に、湊は疑問に思う。
ともあれ、健やかにおやすみのため、ヤマタノオロチは放置に決まった。座卓に、湊、スサノオ、山神がついている。
スサノオが湯気立つ品々を見回し、感心したように言った。
「へぇ、この家にこんなに食材があったんだな」
「なんで、そこなんだ」
湊も完全に地が出ている。丁寧語は空の彼方だ。スサノオもまったく気にしていない。
湊は突っ込みながら、向かい側に箸を突き出す。もちろん天――頭を向けて。
案外素直にそれを受け取ったスサノオは、ついでに小皿ももらう。
そうして、ほかほかの
子どもが見たら泣き叫ぶであろう、ご面相である。
「なァ、この食材たちはどっから出したァ? まさか、お前の身体の穴という穴から出したんじゃねェだろうなァ」
血も凍りそうな重低音だったが、困惑するしかない。
「なんでまた、そんなこと考えるんだ……。出せるわけないよ、俺は普通の人間だけど?」
湊は知らぬ逸話――過去の出来事を知っている山神は、バクっと小皿に盛られた揚げたて唐揚げに食らいつく。じゅわっと肉汁が口内にあふれ、しっぽを振った。
「気に入らぬのなら、食わずともよい」
「食うよ、食う! 俺ァ、腹減ってんだよォ!」
そっけなく告げられ、スサノオは遠ざかった飯碗をかっさらい、ご飯に箸を突っ込んだ。
しかし存外綺麗な所作で、もりもりと五穀米もおかずも消化していく。
「この
「お褒めにあずかり、恐悦至極。昨日の晩飯の残り物だけど」
「……ッんが、このナスの煮浸しはいまいち気に入らねェ。つってもまずいっつー意味じゃねェぞ。俺の好みじゃねェってだけ」
「面倒だったから、めんつゆで手抜きした」
「なに手ェ抜いてやがる」
「早く食べたいだろうと思って」
「――それはそうだがよォ」
一切の遠慮もない、途絶えることもない味の品評を聞き流しながら湊もさくさくと腹に収めていく。疲れてはいても、いや、疲れているからこそ食欲は衰えなかった。
にしても、スサノオの扱いが雑である。
地元の友人に対するそれと同じになっていた。
向き合って手も口も動き続けている男たちの間で、大狼は常通り、のんびり唐揚げをご堪能中。
朝からにんにく醤油ダレ――山神のお気に入りに漬け込んでいた、揚げたてである。まふまふと幸せそうに頬張っている一柱の周りだけ、空気が違う。
なお、ヤマタノオロチは縁側をコロコロ転がっていた。
だいぶ寝相が悪いようだ。
ゴスッとスサノオの腰にぶち当たるやいなや、ぺッと後ろに回った手で払い除けられ、ゴロゴロゴロ〜と縁側の端まで転がっていった。
「しかしお前、ほっせェのによく食うなァ。しかも早ェ。ちゃんと噛んで食えよォ」
「お互い様だと思うけど」
「まァ、確かになァ。いっぱい食って大きく……は、もうならねェか」
「結構いい歳した大人なんで」
「俺に言わせりゃ、赤子ぐらいだが……。いや、俺とそこまで変わんねェな!」
「見た目だけならね」
「だからァ、爺扱いすんなって! まだまだ若ェっつーの!」
そこだけは何が何でも譲れないらしい。
「でもまァ、しっかり食って、風神に貸し与えられた力をもっとじょぉーずに扱えるようになれよォ」
つまるところ、それだけが重要なのだろう。
バリンッと湊はたくあんを音高く噛み砕いた。
「はぁ。ところで、前から疑問に思ってたんだけど、なんで神様は『力を
「いや、そうじゃねェ。生きてるうちに取り上げることはまずねェな。お前がこの世を去る時、その力たちはそれぞれ神のもとに
「そういう意味だったのか……」
何も告げていないにもかかわらず、スサノオは湊が二柱の力を持っていると気づいている。
神には見られただけで知られてしまうのだと、改めて湊は思う。
「ああ、神々はお前と直接会って対話し、己が力を貸してもいいと思ったから与えたんだ。お前にとって我が子は特別だろうが――」
ドスッと唐揚げに箸を突き立て、上目で湊を見た。
「神にとっては違う。選ばれたのはお前だけであって、子孫は違ェ。神は、
愉快そうに片側の口角だけを引き上げた。
その顎に米粒さえついてなければ、さぞかしキマっていただろう。
ともかく、湊はいつも引っかかっていた旨が解消されてすっきりしていた。
結婚やその先の子どもについて、いまだあまり深く考えたこともないが、神の力が受け継がれないのは、幸いではあるまいか。
もし数世代後、隔世遺伝で出てしまった場合、湊はすでにこの世にいない。フォローも何もしてやれないことになる。
それに、この世に生まれし時から神の力を有していたら、どうなることか。
想像するだに恐ろしい。
本能のままに生きる赤子が、加減などできようはずもない。
周囲も相当困ることになる。どころかまともに育てることすらままならない恐れもある。
湊が力を貸し与えられたのは、大人になってからだ。
それなりに人生経験も、分別もあったからよかったようなものだ。
そんな湊でさえ、自らのモノにするまで、そこそこ時間がかかっている。眷属たちによる神域で、ある程度力を遣いこなせるようになるまで、加減なく力を振るったおかげでもあった。
その間、何度も倒れている。
そんな無茶ができたのは、常に山神が付き添ってくれていたからだ。
湊は、環境に恵まれていたといえる。
子孫も同様だと楽観はできない。山神が子孫の面倒までみるいわれはないのだから。
真っ先にそんな考えに思い至る湊は『俺は神に選ばれし者なんだ!』と舞い上がる様子もない。
「山神さん、唐揚げにマヨネーズかレモンかけようか?」
「レモンがよき」
平然と山神の世話を焼いている。
それをスサノオが、具だくさんの味噌汁をすすりながら上目で眺めていた。
「つーかお前、風神に聞いてねェの」
「特に、なにも?」
「姉さんにも?」
「――姉さん……?」
スサノオが呼ぶ姉さんなる相手に思い至った湊は、絞ったレモンを落っことしそうになった。
「姉さんって、
「弟である俺が言うんだから間違いないっつーの。どこかで会ったんだろォ? でなきゃ、あの姉さんが力を貸し与えるはずがねェからなァ」
とんでもない高位の神に力を貸し与えられていた事実が発覚し、衝撃を受けた。
が、他にもある。
「あの怠惰な女神様が……? 太陽神と称されるほどの方が、あんなジメジメしたお宅にお住まいってこと……?」
「あー……
スサノオの乾いた笑いが縁側に響いた。
「それはそうと――」
いったん箸も止め、無邪気にニコッと笑う。
「次はいつ
「まだ、やる気かッ!?」
あまりの理不尽さに、温厚な湊もついにブチギレた。
スサノオは腹を抱え、大口を開けてゲタゲタ笑った。
――――――
なにげに大物は、すでに出ておりました。
力まで貸し与えられていたという。
だらしないばかりじゃないかっこいいアマテラスをいずれ書けたらなと思っています、
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