4 永い神生初!



 きび団子を食べにいこう。ついでに南部を散策がてら甘味めぐりも一緒に。


 そう企画した本日、朝も早いうちから、湊と山神は表門前でタクシーを待っていた。

 湊が見上げる空には雲の影もなく、文句なしの快晴である。


「いい天気だね。晴れてよかった」

「――そうさな」


 答えた山神であったが、その眼は一度として空に向けられることはない。ただただ車道にのみ注がれている。

 絶えず耳もあちこちへ動き、妙に落ち着きがなかった。


「山神さん、どうかした? そんなにきび団子が待ち遠しいの?」

「――うむ、楽しみではあるぞ」


 浮ついた声、かつ気もそぞろだ。


 何か他にも理由がありそうだ。

 湊が思っていると、山神の眼が見開かれた。一台のタクシーが細道に入り込んできたからであった。


 その車体がここに至るまでにはしばらくかかるというのに、山神の前足がうずっと進み出た。

 待ちきれぬその様子を見て、湊はようやく思い至った。


「ああ、そうか。山神さん、タクシーに乗ったことないのか」

「左様、乗り物自体が初である」


 大きく振れる尾でふくらはぎを叩かれながらも、湊はあたたかな気持ちになった。


 いつぞや電気屋のクジで、ロボット掃除機を当てたことがある。

 そのロボットは日々、邸内の清掃に励んでいるのだが、山神はたまに体を縮めてその上に乗っている。

 その時、爛々と眼を輝かせ、いつも以上に粒子も振りまき、楽しんでいた。

 そんな山神であるから、より速度が出る本物の乗り物なら、なお喜ぶだろう。


 横付けされたタクシーの後部ドアが開いた。


「おはようございます」


 馴染みのタクシーの運転手がにこやかに告げた。

 むろん、真白の巨体を認識していない。


「おはようございます」


 あいさつを返す湊の足元を山神がすり抜けた。

 後部座席に飛び乗り、何食わぬ顔をした湊も続く。


 そして、ともに腰を落ち着けたが、かなり窮屈だ。


 湊の身体の側面はドアに触れ、山神の頭は傾いている。天井が低いからであった。

 しかも密度が半端ない。大狼は幅もあり、さらには冬仕様の毛量を誇るからだ。


 南部にいく前に疲れたら元も子もないからタクシーを選んだのだが、失敗だったかもしれぬ。

 一度両の目をつぶった湊は思った。だがしかし今さらである。


 いろいろ諦めて行き先を告げると、タクシーは走り出した。


「南部に行かれるんですね。珍しい」

「――はい、ちょっと行ってみたく……なりまして」


 運転手に答える湊の身が、不自然によじれる。

 が、ミラー越しの運転手はとりわけいぶかしんでもいない。

 とにかく山神が落ち着かず、湊までじっとできないのであった。狭い空間でなんとか快適な姿勢を確保しようと、白い巨体が動き回っている。

 座席に深く埋まらざるを得ない湊が目で訴えた。


 ――山神さん、体を小さくしたらいいのでは?


「ならぬ。このままがよき」


 きっぱり一蹴されてしまった。

 彼らは、視線だけで会話するくらい造作もない。


 角を折れたタクシーがまっすぐ進み出したら、山神は床に足をおろし、横向きになった。

 立っていたいらしい。湊の真ん前にある頭部は進行方向を向いているが、その視界には助手席のヘッドレストしか入らぬ。それでは景色も楽しめまい。


「すみません、窓を開けてもいいですか?」


 見かねた湊が運転手に訊くと、すぐに開けてくれた。

 全開になった窓から山神がぬっと顔を全部出す。

 本来なら危険行為だが、実体があるようでない存在のため、許されるだろう。


 山神は吹きつける風に眼を細める。


「やはり、自然の風が心地よき」

 ――エアコンがきいた車内は、快適な状態だったんだけど。


 湊にとってはそうであったが、山神はお気に召さなかった。風に長い毛を遊ばせ、そして高揚を隠せない尾もひっきりなしに動く。おかげで強風が発生するも、窓を開けているから運転手は気づかない。


「にしても、車とはこうも鈍いのか……」

 ――山神さんの普段の歩みよりはるかに速いと思うよ。

「我が本気を出すことなぞ、基本ないゆえ」

 ――セリたち速いしね。

「我はさらに速いぞ。比較にならぬほどに、な」

 ――見たいような、見たくないような。まぁ、車はもっとスピード上げることもできるけど、安全第一だから。

「ぬぅ、ならば致し方なし」


 そう宣ったが、やや不満げである。

 タクシーは快調に車道を突っ走り、御山から遠ざかる。それを一顧だにしない山神は、周囲の景色を眺めていた。


「道も民家もずいぶん増えたものよ」

 ――へぇ、そうなんだ。

「うむ。前はろくに街道もなく、集落が散在する程度であったぞ」


 想像もつかぬ。頻繁に住宅地を通り過ぎ、道も無数に枝分かれしている。


「背後はどうなっておるのか」


 山神は首をめぐらすが、どうあがいても三方しか見られなかった。


 ――そんなに変わらないと思うけど……。こっちは高層建築物が少し多いぐらいかな。あ、大きな陸橋建設中みたい。

「左様か。ぬぅ、そちら側から遠目に見えるハゲ山らは、今はどうなっておるのか……。――やはり己が眼で全方位を見渡せねば、落ち着かぬ。我、山ゆえ」


 言下、山神の体が若干透けて、湊が焦った。


 ――ちょっ、山神さん! 何するつもり!?

「ちと行って参る。上へ」


 よっこらせと垂直に立ち、一蹴りで天井をすり抜けていってしまった。まるで、物理的障害を物ともしない幽霊のようであった。


 広くなった後部座席で、湊が居住まいを正す。その頭上、山神がしかと屋根を踏みしめた。


「ほう。人間らに木が刈り尽くされてハゲ山ばかりになっておったが、すっかり人工林となっておる。――強風のたびに飛んでおったあばら家らも、洋風な家にとって代わられておるぞ」

 ――解説ありがとうございます。


 湊が胸中で答えるも、さすがに離れていては届かない。

 その時、蛇行する道を抜けて直線に変わり、タクシーが加速した。

 カッと山神の眼がかっぴらかれ、毛が逆立つ。

 ついでにその体の鮮やかさも増す。

 気分上々になった山神は、姿を隠しておけなかった。


 何人なんぴとであろうと、その御身が拝観できる状態になってしまった。


 それを、通りすぎざまの店から出てきた少年が目撃してしまう。

 後ろを振り返り、大狼を指さしながら叫んだ。


「みんな見て、見てっ! タクシーの上に犬が乗ってるよ!」

「あー! ホントだー! デケェ白い犬が立っとる!」

「なんかキラキラしてねぇ!?」


 ギョッと目をむいた湊が天井を見上げる。


「我、狼ぞ」


 ボソッと不満げなつぶやきが降ってきた。

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