5 行きがけの駄賃



 南部の中央からやや離れた地で、タクシーは停まった。

 湊は後部座席から、山神はルーフの上から降車する。

 シュタッと路上に降り立った大狼は、大層満足そうな表現だが、いらぬ冷や汗をかく羽目になった湊はやや猫背になっている。


「――まぁ、うん。無事に着いたからヨシとしよう。バスを選んでいたら、もっとひどかったかもしれないし……」

「そやつはしばしば停まるのであろう。帰りも今の小粒な車がよき」

「そうだね、そうしようか。――それにしても、妙にタクシーのスピードが出ていたような気がしたんだけど、気のせい……?」


 スマホを見たら、到着予定時刻より十五分も早かった。


「気のせいであろうよ」


 澄まして答えた山神は、腰を高く上げ、前足を伸ばしている。

 山神が何かしたのではあるまいか。そんな疑いが晴れぬ湊であったがあえて追求しなかった。

 ボディバッグから情報誌を取り出し、開いて眺める。


「えーと、まずはどこにいこうかな」


 いちおう昨日、散策マップを見ていたが、ざっと流し見ただけであった。

 現在地は、散策マップの端――北部からもっとも近かった所だ。


「ここから一番近いのは、あじさい遊歩道だよね」


 路傍に掲げられた道案内板を見ながら、湊は言った。

 遠目に見える雑木林の影へ、山神が鼻先を向ける。


「あのあたりにあじさいを植栽して、見せ場としたようぞ。つい最近であろう、我は知らぬゆえ。今時分はさぞかし見頃であろうよ」

「じゃあ、そこを通って行こうか。あ、結構近くにきび団子屋さんがあるんだね」

「うむ。うっかりすれば見落としかねぬ、あばら家ぞ」

「改装して今風になってるかもよ?」

「あの頑固な一族が今風になぞするものか。大事に大事にあばら家を守っておるであろうよ」


 辛辣な言い方だが、その尾は軽快に振られている。


「着いてからのお楽しみということで。あとは……和菓子屋さんもいっぱいあるみたい。しかもほとんどこし餡……。山神さんの嗅覚に任せるよ。惹かれた所にどうぞ」

「うむ!」


 尾の勢いがとどまるところをしらない。

 風圧を受けて身体がやや傾いた湊であったが、その口角は上がっている。

 そうそうない機会を大いに堪能してくれたらいい、と思っていた。

 山神も眷属と同様、出来立てを好むのだから。


 満足げな山神を横目に、湊は今一度地図を見やる。

 中央付近に、やけに主張する建物が描かれていた。


「ああ、これ、この雑誌の出版社なんだ。南部にあるんだね」

「左様。昔はただの粗末な小屋であったが、今はどうなっておるのか……。我も気にはなる」

「じゃあ、ここにも寄り道しようか。絵からしてビルみたいだから、建て替えたんだろうね。あとは、雑貨屋さんとかあったら……そこの近くにあった。……ありがたい」


 親切極まりない。この特集記事を書いた記者に礼を言いたいくらいだ。




 山神と湊は、起伏のない平地を進む。家屋が減り始め、やがて道が二手に分かれているのが見えた。

 その片方の路傍に、双体そうたいの像が安置されている。

 とはいえ茂る草に埋もれかけて、その顔から上しかのぞいていない。


 道祖神どうそじんである。

 集落の境界や道の分岐点、峠などに置かれた像で、外からやってくる疫病えきびょうや悪霊を防ぐ神である。


 むろん、そう願う人によって置かれたモノだ。

 その像の先端を遠目に見た山神は双眸を眇めて、かすかに毛を逆立てた。

 ちょうどその時、湊は道祖神に注目していたため、山神の気配が尖ったことに気づかなかった。


「あのお地蔵さん、じゃなくて道祖神だっけ。そっち側だよね」


 無言の大狼と湊の歩調は変わらず、道祖神へ近寄っていった。


 もちろん本日も、湊のボディバッグには、外出時の必需品が入っている。

 祓いの力を込めて書いた字が記された、お馴染みのメモ帳だ。

 安価な物であっても、その効果に恥ずべきところは微塵もない。雁首そろえた悪霊すら瞬時にはっ倒せる。


 そんな悪しきモノにとって災害に等しい湊の足取りは、至ってのんびりしている。それに伴い、その身をすっぽり覆う翡翠の光も移動する。


 一帯に漂っていた瘴気が、光の先端に触れた先から祓われていった。双体の道祖神にまとわりついていた悪霊さえも。

 湊がそこに到達する前、黒々とした塊が上空へ逃げ出した。


 しかしいくら素早かろうと、逃れられぬ。

 あっけなく翡翠の光線に灼かれ、粉微塵になって風に流され、消えていった。


 一呼吸の間に片が付いてしまった。

 それから金色の波動が広がり、その場を浄化していく。生い茂る雑草が一挙に大きくゆれた。

 その様はまるで、喜び、歌うかのようであった。


 それらを横目で見届けた山神が、喉で嗤う。

 その御身が小刻みに震えるのを、湊も横目で見ていた。


「山神さん、なんかいやらしい笑い方してる」

「悪しきモノが消えゆく様はいつ見ても爽快ぞ」

「いたの!?」


 湊はバッグからメモ帳を引っ張り出した。


「――ん? 墨、全然薄くなってないけど……」

「雑魚であったゆえ」

「そっか。じゃあ、気にしなくてもいいね」


 基準がおかしい。湊も大概である。

 とはいえ、多少気にはなっていた。

 埋もれかけの道祖神の正面で足を止めた湊は、じっとそれを見つめる。


「道祖神の中に、神様が……いらっしゃるよね」

「ほう、気づいたか」


 足元の山神が感心したようにつぶやいた。


「なんとなくね。そうかも程度だけど」


 湊は、神の気配を察知できるようになってきていた。

 なんといっても神域住まいだ。

 加えて、あらかた山神がそばにいて、他の神ともそれなりの頻度で遭遇している。しかも神格の高いモノばかりだ。

 いつまでもわからないままのほうがおかしかろう。


「でもこちらの神様、神気が弱々しいような……」


 依然自信を持って断言はできないけれども。


「もとよりさして強い神でもないうえ、それなりの期間、悪霊に憑かれておったようぞ」


 相対する道祖神をじっと見ながら山神は言った。


「道祖神は、悪霊を防いでくれる神様だよね……?」

「云うてやるな。だいぶへこたれておる」

「申し訳ありませんでした」


 湊は道祖神に向けて手を合わせ、謝罪した。


「そのまま放っておけばよい。参ろうぞ」


 歩み出した山神に促され、湊も足を踏み出す。

 一人と一柱が遠ざかっていくのを、双体の道祖神が静かに見送る。その二つの容貌がより柔和になったのは、山神だけが知っていた。


         ◯


 車道の両側を街路樹が彩る一本道、やや背が高い街路樹の横を湊と山神が通り過ぎようとした。

 その時突然、異変が起こる。

 湊の身体のみが大きく傾いだ。

 何モノかに横から腕を引っ張られたような不自然さであった。

 それは、神域に引き寄せられたからであった。


 湊は神域に住まうようになって、神との親和性が上がり、よその神域に引き寄せられる体質になっている。


 神域は、至る所に存在する。

 その入り口に共通点はない。


 今回のようになんでもない場所にあることが多く、警戒のしようもなかった。

 おかげで外出したら、それなりの頻度で招かれている。



 足に力を入れ、湊はその場に踏みとどまった。

 今回の神域の吸引力は、そこまで強くない。

 身体が引っ張られるほうを見ると、街路樹の前に歪みがあった。目線より下、人の頭部程度の大きさだ。


 神域の入り口である。


 神威を乗せた風でそこを斬れば、逃れることは可能だ。


 だが、しない。できない。

 そんなことをしてしまったら、もし中に神がいた場合、喧嘩を売ったことに等しい行為になる。

 相手の力量と性格次第で、明朝のお天道様を拝めなくなるだろう。


 ゆえに引かれるまま中に入ってお邪魔して、神の有無を確かめる必要がある。



 湊はため息を禁じえなかった。

 今日はせっかくゆっくり散策しようと思っていたというのに。

 その傍ら、よその神域になど引き寄せられるはずもない大狼は、どっしりと佇んでいる。


「山神さん、神様がいないか見てくるよ」


 湊は、その身を持っていかれながら、山神に声をかけた。


「その必要はない」


 のそりと山神が動いた。

 前足で神域への入り口をペッとはたき落とし、がっちりと地に踏みつけた。

 神域は、正六面体の形状をしている。

 その一面に波打つ歪みがあり、今そこは、山神のほうを向いている。


 山神が吸引力を抑えたことで、湊は解放され、たたらを踏んで飛び退った。


「あ、ありがとう、山神さん」


 身構える湊を山神が見やる。


「うむ。毎回、わざわざ中に入るなぞ煩わしかろう」

「正直、めんどくさい。いつもかなり時間がかかってるんだよね……」

「ならば、外から判断すればよいだけぞ。神がおらぬなら、遠慮せずたたっ斬ればよき。今までじっくり観察する余裕もなかったであろう。そこから、とくとこやつを見るがよい。――この中に神がいるか否か、見極めよ」

「わかった。やってみる」


 木漏れ日を浴びる湊が真剣な表情で、じっと見つめる。

 歪む範囲、たわみ方、色の変化、周囲の空気の流れ。一つ一つ丹念に観察する。

 さらに全神経も尖らせ、内部の気配をも探った。


 そんな湊の傍らを自転車、通行人が相次いで通り過ぎていった。

 が、湊はそれらに頓着しない。

 はたから見れば、街路樹の根元を凝視する怪しげな人にしか映るまい。

 案の定、若めの男が子どもを抱え上げ、足早に去っていった。


 眼球の乾きを感じた湊が両目をつぶった。

 いったん逸らしたその目に映ったのは、遠ざかっていく親子の後ろ姿であった。


「……俺を変に思ったのかもしれないけど、ここから離れてくれてよかったよ」

「あやつらが引き込まれることはない。うっかり神の家に入り込んでしまうのは、神と親和性が高い者のみぞ」

「――そうだったね。思えば、今まで引っ張られた神域で人と会ったことないけど、いる場合もあるってことか」

「あろうな。俗に云う、神隠しの被害者にな」


 今まで無人だったのはたまたまか。幸運だったのか。

 神妙になった湊は、またもや歪みに見入った。

 果たしてその中に、神はいるのか、人もいるのか。



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