18 己にできることを
己と同じ目の色をしたあの男は誰だったのだろうか。
他人の空似か。いや、妙なつながりを感じた。
ならば先祖という線はないだろうか。母の生家はこちらにあるから、あり得ない話ではなかろう。
遠い先祖に陰陽師がいたのならば、己に祓う力があるのも納得できる。
――いや、違う。己の力は霊力ではないのだ。
それはそうと、他にも気になることがある。
あの男とともにいた若い男は誰だ。
播磨と同じ仕草をしていた、あの若者は……?
奇妙な邂逅後、播磨のあとをついていきながらも湊は終始上の空であった。
数歩前を一定の歩調を保ち続ける播磨の背中はいつも通り伸びている。
播磨は気にしていないのだろうか。
あれからろくに言葉を交わしておらず、その心情はうかがい知れない。
そもそもこの世界はなんなのか。ただの神域なのか、それとも過去の世界なのか。あまりにリアルで判別できない。いままでお目にかかってきた神域とはまったく様相が異なるからだ。
もっともそう感じるのは、人々である。
本当に生きて、ここで生活しているようにしか見えないのだ。
四方へ視線を投げると、いつの間にか周囲の様相は変わっていた。
上り坂の両脇に構える屋敷が異様に古びている。築地塀は崩れ、戸も外れて室内が見えていたり、建物そのものが傾いていたり。中には屋根の重さに耐えかねたのか潰れた家屋まである。
廃墟といった体を示す区画だが、そこには多くの人間がいる。やせこけた身体に襤褸をまとい、髭や髪も伸び放題の浮浪者だ。
そんな者たちは、至る所の屋敷の壁や柱にもたれかかり、ゴザに横たわってもいる。
一様に覇気がないのはその境遇ゆえか、それともこの一帯には瘴気が蔓延しているゆえ具合が悪いのか。
人の様子でそれを探るしかないため、判断ができない。
異臭もするからなおさらであった。
うっと思わず湊は鼻周りを覆った。
覚束ない足取りで行き違う男から強烈な悪臭が漂ってくる。その饐えた臭いは本物にしか思えず、その身に
幸いにしてその者に絡まれることはなく、離れてしまった播磨に早足で近寄った。
「播磨さん、目的の場所までまだかかりそうですか?」
「いや、もう近いはずだ」
安堵の息をつきつつ、気になることを訊いた。
「このあたりに悪霊はいますか? 瘴気は?」
「悪霊はいないが、瘴気はかすかに漂っているな」
さもいやそうな口ぶりである。
「そこまでではないなら、このあたりの人たちは、瘴気が原因で具合が悪くなっているわけではないんですね」
「――おそらく」
そうではないにしても、この惨状は直視しがたかった。現代の日本、とりわけ田舎ではまずもって目にすることはない光景だからだ。
とはいえ、湊の視線は絶え間なく周囲をさまよった。人々ではなく、景観を見ていた。
先ほど通り過ぎた橋の形から、右手の屋根の飾り、左手の巨樹の樹形、通りの幅、やや遠くに見える連山の形まで。ことごとく見覚えがあるような気がしてならない。
もしや過去世で、この道を通ったことがあるのではないか。
そう思えてならない。播磨も同じように感じていないだろうか。彼も奇妙な邂逅から、否、それ以前からやけに口数が少ないことからその可能性もあろう。
心に浮かんだ疑問を尋ねるべく、呼びかけた。
「播磨さん――」
その時、いくつもの悲鳴が聞こえた。
示し合うことも視線を送り合うことすらなく、播磨と同時に駆け出す。通りを曲がってすぐ、崩れかけた山門から薄汚れた者たちが雪崩を打って出てきた。
度重なる悲鳴と怒号。押し合いへし合い、我先にと通りへと逃げていく。そんな中、道に伏した者の擦りむけた膝から血が流れ、湊は激しく動揺した。
やはりここは過去の時代で、彼らも実在している。
そう強烈に感じ石像と化していると、耳障りな音に鼓膜を打たれた。こけつまろびつする多くの者たちの後方――廃寺の山門から、ゆらりと出てきたモノがあった。
それは一見人間のように見えた。
しかし違う。
全身が墨をかぶったように黒く、性別も年齢も判然としない。さらにその胴体には、人の腕や脚、動物の手足までもが生えた異様極まりない姿の悪霊であった。
おそらく喰らったモノがその身から生えているのだろう。
そんなおぞましい悪霊が歩むたび、幾本もの手足が暴れる様を目の当たりにし、湊は自ずと片足を引いた。
一方播磨は動じず、両手を組み合わせる。
が、その印相が完成する前に悪霊が横手へと跳んだ。同時、己が腹部から人の腕を引き抜き、こちらへ向かって投げつけてきた。
湊はとっさに風を放ちそうになったが、思いとどまった。
手を出すわけにはいかない。これは播磨へ課せられた試練なのだから。
湊の腕が下がるなか、悪霊はあろうことか、今度は逃げ惑う人間をつかみ、播磨へと投げ飛ばした。
さすがに播磨もやりにくそうだ。しかしながら、次から次に砲丸並みの勢いで飛んでくる成人の身体を受け止め、地面に置いていく所業はいかがなものか。片手のみでつかみ取る場合もあるのだ。
「どんだけ剛腕なんですか!」
つい叫んでしまった。
播磨に流れる神の血は限りなく薄い。ゆえに病気にかかりづらい、怪我をしにくい程度しか神の恩恵はなかろうと山神が言っていたのだが、違うようだ。
播磨はこちらへ視線を向けることなく答えた。
「この領域でなら遠慮はいらないからな」
「――その言い方なら、普段は力を抑えているということですか」
「ああ、明らかに異常だろう。騒がれることはわかりきっているからな。なにせ俺は純粋な人じゃないんでね」
先ほどとは違い、開き直っているようだ。
二人の小太りな男を軽々とせき止め、播磨は肩越しに湊を見やった。
「俺が人間離れした筋力を持っていることは、我が一族の者とその配偶者しか知らない。知られないようにしている。我が一族が神の血を引くこともな。あえて言うまでもないだろうが、言いふらすような真似はしないでくれ」
はい、と湊は神妙に返事した。
それはともかく悪霊である。
その悪霊は近くに投げられる人間がいないと見るや、山門の屋根へ飛び上がった。明らかに播磨から距離を取っている。
術者を見れば襲いかかってくるか、逃げるかのどちらかしかしない悪霊にしか馴染みのない湊には、新鮮に映った。
「あの悪霊、行動が人みたいですね」
「ああ、そうだ」
曰く、悪霊は喰い合ってその力を上げるという。
熾烈な戦いの末、勝利した方の形態がベースとなる。
つまり、人型の悪霊は思考が人間のままなのだ。
「だから人型は、獣型、昆虫型の悪霊よりはるかに小賢しい」
播磨はさも忌々しげに締めくくり、地を蹴った。
その背を見送りながら湊は気づいた。
印を結び、呪を唱えて祓うには、ある程度対象まで近づかなければならないのだと。
遠方から祓えないのは不便のように感じる。しかし致し方ないかもしれない。人間に備わる力が万能なはずはない。限界もあろう。
播磨が屋根の上の悪霊を祓った。塵と消えゆくのを見上げていると、ただならぬ気配を感じた。
妖気だ。
しかもとてつもない濃密さだ。
見上げると、山門の向こうにある多層塔のてっぺんに獣がいた。
ネコ科の大型獣に似ている。茶色のその身を縮めるように座し、こちらを見下ろしていた。
目が合った途端、巨獣が跳躍した。
たったひと蹴りで数十メートルの距離を詰め、山門に降り立った。
身構えるも、巨獣はそこから降りない。そわそわと落ちつきなく左右へ身をゆらし、長い尾の先端で忙しなくリズムを取っている。
その様子はやけに愛らしかった。
輝く眼も好奇心いっぱいといった風で、人間を襲う邪悪な妖怪には見えなかった。
巨獣はこちらを見据えつつ、山門の瓦屋根をうろうろしはじめた。
「けひゃひゃっ」
うれしさを隠しきれないような笑い声であった。
しかしながらその全身から陽炎のように立ち昇る妖気の量、圧はいまだかつて感じたことはないほどだ。
物理的に身体を押されて冷や汗をかくも、播磨に動じた様子は見られない。
同じように見上げるその顔は、妖怪を始末する気しかなさそうだ。相手の容姿になぞ惑わされることもないのだろう。
だが湊は心苦しさを覚えた。
仲のよい実家と御山の妖怪たちの姿も次々に頭に浮かんだ。
とはいえ同族である人間同士でも争いは絶えないのだから、種族の違う妖怪と円満な関係を築くのはなおさら難しかろう。
「手を出さないように」
抑揚のない声でそう告げた播磨は傍らを通り過ぎ、山門へと向かっていく。湊は言葉が喉にひっかかったように出てこず、拳を握るだけだ。
ただその背を見送るだけしかできないのは、こんなにも悔しさを覚えるのか。
――己にできることはないのか。
その思いに駆られ、湊は播磨越しの巨獣を見た。
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