間章
働きすぎですよ、管理人さん
うららかな春の気候は、うたた寝に最適である。
毎度のごとく楠木邸の縁側を陣取る大狼が、くわわっと大あくびをかます。うとうと微睡む頭部を巨大座布団が優しく受け止めてくれた。
怠惰がすぎる。早朝の清々しさを蹴散らす勢いである。
そんなまったり幸せそうに過ごす山神に反して、湊は常に動いている。
生真面目な管理人は、律義にルーティンワークをこなす。
室内清掃から始まり、庭の掃除、川のチェック、そして水まきか、あるいは敷地外の清掃の流れとなる。
外の清掃が、もっとも骨が折れる。
室内は汚さないよう気をつけているうえ、湊自身ほとんどそこで過ごさないため、大して汚れず時間もかからない。
庭も同様だ。特殊な木々のおかげでさして枝葉は散らず、一般的な庭木のように手間もかからない。
問題は、敷地外の木々である。敷地を護るようにそびえる大木たちは、盛大に葉を落としてくれる。
これが植物として当たり前なのだと日々痛感している。
それでも、文句一つこぼさず黙々と作業をこなす湊を、山神が半眼で視界に収めていた。
やがて太陽が真上あたりになった頃、湊は最後に回した水まきに勤しむ。
むろんホースではない。この世で楠木邸の庭でしかお目にかかれぬであろう、風を駆使した方法である。
滝壺にいる応龍が尾で川面を叩く。
まるで生き物のように神水が軌跡を描き、湊のもとに届く。それを風で掬い上げ、巻いてミスト状に変えた。
「龍さん、ありがとう」
いいってことよ、とはねる水の音を聞きながら、湊は小ぶりなクスノキを風の繭でやんわり包み込む。
すべての枝葉がざわざわと動き、喜んでいる。ついでに幹までうにゃうにゃ動かす様は躍るようだ。
「――ダンシングフラワーみたいだって、いつも思う。ダンシングツリーと言ったらいいのか」
最近、ヘッドバンめいた動作までするようになってしまった。
楽しそうで何よりだが、どうしてこうなった。
「よくぞここまで柔軟性のある木に育ったものよ」
山神の呆れ声に湊は笑う。
その物言いはつぶやきだったが、よく通るせいで明確に聞こえた。
湊はクスノキの気が済むまで神水を与え、今度は、他の庭木たちに移る。
「そろそろ昼餉ぞ」
余すことなく入念にあげていると、山神から言われてしまった。
湊は時間を忘れて作業に没頭することが多い。
「この列で最後だから、その後お昼にするよ」
それから、昼食を飲むようにかき込んだら、お次は護符作成となる。
毎日、書いているため、徐々に一日に書ける枚数は増えたものの、ここのところ滞っている。
原因は、木彫りを始めたからである。
今日も集中してさっくり護符を書いたら、木彫りに取りかかる。
記念すべき木彫り第一弾は、鳳凰をモデルにした物だった。それはやや失敗して、仕上げ段階で大事なトサカを折ってしまった。
ゆえに妥協を許さない男は、現在鳳凰の二体目を作成中である。
なにぶんまだまだ初心者。手探りの状態ゆえ、すべての工程が異様に時間を食ってしまう。
木彫りは片手ですっぽり包めてしまうサイズだが、より綿密な作業を強いられていた。
「もっと大きい木彫りから挑戦すべきだったかな」
「小さきモノで数をこなしたほうが上達は早かろう」
「――俺もそう思ったんだけど。一個にこだわりすぎか……」
細部が気になって仕方ないのである。おかげで想定以上に小さくなっていく。
「誰しも最初からうまくはいくまいよ。むしろ失敗はすべきぞ。そこから学べることのほうが多いゆえ」
「はい……」
「納得のいくまで仕上げればよき」
「そうする」
「だが、明日でよかろうよ。もう夕刻ぞ」
はたと気づいた湊の手元は薄暗くなっている。やや慌てて彫刻刀を片付け始めた。
それを山神は横目で眺めている。
湊は働きすぎだ。
ここの管理人となって、完全に休日とした日はない。何もせず怠惰に過ごしたことなど、一日たりともなかった。
温泉のおかげで肉体的疲労は溜まっていなくとも、その身が有する異能――祓いの力の根源は、減った状態から回復していない。
休むべきである。
山神が視線を落とす。
その前足の下には、地域情報誌がある。
紙面にはマップが描かれており、その片隅に〝きび団子屋〟の写真が掲載されている。
つい先日、湊に案内すると告げたきび団子屋だ。
「ふむ」
ここにいくという名目ならば、休まざるを得まい。
どう切り出すべきか。
「はい、どうぞ。お待たせしました〜」
思案する山神の鼻先に、トンと夕飯が置かれた。
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