13 強くあれ



 年季の入ったバスにゆられること十五分程度。商店街近くのバス停に停まった。

 鳳凰を肩に乗せた湊がバスを降りた。

 ここから数分程度歩けば、アーケードを備える商店街となる。湊は鳳凰と連れ立って買い出しに来ていた。


 楠木邸からもっとも近い商店街は、行きつけの場所だ。

 一つの大通り沿いに軒を連ねる店で、たいていの日用品、食料品をそろえることが可能である。


 ここにさえ足を運べば事足りるため、ほかの場所の新規開拓をしようという考えはない。冒険心を欠片も持ち合わせていない男だった。


 基本的に出不精のため、定期的にここに訪れ、同じ道筋をたどり、同じ店に寄り、同じ帰路をたどっていく。

 ゆえに、むろんさまざまな動物――もっぱら鳥が寄ってくる湊は、この界隈では少しばかり有名人である。



 アーケード通りに入る前、比較的大きめな店舗沿いを歩く湊の四方を動物――犬、猫、鳥たちが囲っている。

 そんな湊の前後を行き交う人々、さらには家やビルの窓からも多くの人が眺めていた。




 アーケードまであと数メートルの位置まで来た時、後方からとっとこ追いついてきた猫――よく会う三毛猫が、横に並び「にゃあ」と鳴く。

 首輪のついたこの飼い猫は、今日もつやつやの毛並みだ。


「おはよ」


 いつも通り声をかけると、また高く鳴いた。

 こういう時は『ついておいで』の合図だ。

 よくあることである。

 三毛猫は、湊がまず向かわない路地裏のいずれかの商店で特売が行われている際、案内してくれる。


 横にそれた三毛猫はアーケードには入らず、建物の合間の狭い路地へと続くその前で振り返った。

 湊はためらうこともなくその後を追う。そばまで寄ると、三毛猫は路地の先へと軽やかに駆けていく。むろん湊も続いた。


 人一人かろうじて通れる裏路地を抜ければ、一軒の店があった。


 小規模の店で、その前の道も狭い。

 とはいえその店先に、明らかにご近所からお越しであろう風体の皆々様が、多様な容器を携えてたむろしていた。


 その店からかすかに大豆――豆腐の香りが漂ってくる。

 豆腐の安売りだった。


 湊が足元を見やると、三毛猫が見上げていた。たいそう得意げなお顔だ。


「ありがと」


 礼を告げるとスネに首元から胴をすりつけ、元来た裏路地へと引き返していった。

 湊はやや苦笑しながら店に向かう。


 今回のように目的外の店に案内されてしまうことも多々ある。

 けれども、好意なので欠かさず購入するようにしている。

 最近では、あらかじめメニューは考えず、流れに任せる場合も多い。



 目的のモノをすべて入手し終えたら、バス停を目指す。

 むろん大勢の動物たちとともに。

 ぞろぞろと横に後ろに野良猫、および首輪をはめた飼い猫も交えて移動していく。


 そんな湊に時折、羨望せんぼうの眼差しを送る者もいる。


 おおむね若い女性だが、一番多いのは、子どもだ。


 立ち止まってその場を動かなくなり、保護者の方が困る事態になる。そのせいで湊は、若干いたたまれない気持ちを味わう。


 憧れられてもな、という複雑な思いもあった。

 彼らには湊が多種多様な動物に好かれ、懐かれているように見えているだろう。


 そう思われても仕方のない状況だが、実際は少し違う。

 湊に自分たちのおさの加護が付いているから親切にしているだけであって、湊自身を好いて慕っているわけではないからだ。


「鳥さん、今日も大人気だね」

「ぴ!」


 たわいないやり取りをこっそり行う湊たちの周囲で、パササッと絶えず羽音が鳴っている。ひっきりなしに四方から野鳥の群れが飛来してきていた。

 鳳凰とともに家を出たのはひさびさになるため、みんな長を待ちわびていたのだろう。


 湊がぐるりとあたりを見回し、塀の上にサシバが止まったのを発見して少し焦る。

 非常に珍しい猛禽類だ。

 タカの仲間で、中型サイズ。赤褐色の背面、喉は白く、腹部に横縞が入っている。


 鳳凰を食い入るように見つめ、甲高い特徴的な声で鳴いた。

 危惧した通り、ちらほらいる見学者――愛鳥家らしき者たちが色めき立つ。中には、一眼レフカメラを構える者までいる始末。希少な鳥にしかレンズを向けないのは、せめてもの救いである。


 愛鳥家たちのみならず、道の両端に足を止めた多くの人々が湊を見ている。今日は異様に野鳥の数が多く、いつも以上に注目の的になっていた。


 公園に場所を移そうと早歩きになった湊が、一組の親子の前を通りかかる。


「お母さん、あのね。鳥たちはあのお兄ちゃんの肩に止まってる、ピッカピカのひよこちゃんに会いに来てるんだよ」


 あどけない子どもの声だ。

 湊がそちらを見やると、母親と手をつないだ七歳前後の少年だった。

 頼りない細い小柄な体躯。クセの強い巻毛のその少年が、まっすぐな目で鳳凰を見ていた。

 母親がいぶかしげに我が子へと視線を落とす。


「なにおかしなこと言ってるの? そんなひよこなんてどこにもいないわよ」


 つないだ手をゆすりながら、小声でたしなめた。

 少年が不満げに鳳凰を指差す。


「いるもん! ほら、お兄ちゃんの肩をよく見てよ。左の肩にピンク色のひよこちゃんがいるでしょ!」

「やめてよ、そんなものいないったら! お願いだから人前で変なこと言わないでっ。それに人を指差したらダメって前も言ったでしょ!」


 少年の指差す手を自分の手で包み込み、若い母親は湊に誤魔化すように笑いかける。


「ごめんなさいね。うちの子がおかしなこと言って……」

「――おかしくなんてない! なんで見えないの? いるよ、いるってば! ちゃんとそこにいるもんっ」


 悔しげに地団駄を踏む少年は、今にも泣いてしまいそうだ。


「もう、あんたはどうしてそうなの。うそばっかり言うから、お母さん、いっつも恥ずかしい思いするじゃない」


 湊は親子のやり取りを聞いていられなかった。

 自分が目にしている世界を頭ごなしに否定されるのは、どれだけ辛いだろう。どれほど傷つくだろう。

 想像しただけで胸が痛む。


 少年には、鳳凰が視えている。

 普通の人間には見えない――見つからないよう姿を隠した鳳凰を見通せる非凡な目を持っている。



 少年とはやや異なるが、湊も幼い頃から妖怪が視えていた。

 ぼんやりとだが、視えた瞬間にそれらは、明らかに人ならざるモノだと認識できていた。


 それを最初に伝えた相手は、亡き祖父だった。

 幸運なことに、祖父は湊以上に人ならざるモノが明確に視える目を持っていたがゆえに、湊は自分が視えている世界を否定されたことはない。むろんほかの家族にも。


 だが、その時、祖父に告げられている。

 決して、家族以外にそのことを言うな、と。

 頭がおかしい者扱いされたくなければ、この世に妖怪がいると他人には口が裂けても言うな、と。


 当時、戒めてくれていて、よかったとのちのち何度も思った。

 世の中、自分の視界に映るモノしか信じない者が大半だからだ。


 だからこそ、湊はあえて告げる。


「いるよ」


 凛とした力強いその声は、やけにあたりに響いた。

 うつむいていた少年の顔が上がる。涙を浮かべるその目と目が合った湊は、やわらかく笑いかけた。


「いるよ。俺の肩にちゃんといる。かわいいピンクのひよこがね」


 伝えたところで、少年にとって慰めになるのか、わからない。


 けれども、キミと同じ景色が視えている者が、ここにもいるのだと知らせてあげたかった。


 鳳凰が天に向かって高く、細く、長く、鳴く。

 野鳥の大群が大空へと飛び立つ。その鳥たちを追って、人々が顔を上げた。


 種類も、大きさも、色も異なる鳥たちが一つの大きな群れと成し、同方向へと向かう。右へ左へ前へ後ろへ。

 先頭の鳥が方向転換すれば、一斉に向きを変えた。

 今度は、数列の隊列を組み、線状に飛翔し、ついには円をも描く。


 統率の取れたその動きは、さながら航空機の曲技飛行のようだ。


 突然始まった野鳥による天体ショーに、町の人々は歓声をあげ、視線を奪われた。


 その下方、湊の肩で鳳凰が現形する。


 無数の羽根が宙を舞う中、むんっと胸を反らすその姿は、少年の言葉通り、ピンクパールのひよこだ。

 それをしかと目にした母親は両眼を見開いた。


「……うそ。本当にいたの……」


 小さくつぶやき、口元を両手でおおう。

 そんな母親の言葉を耳にした少年が、破顔した。


 湊が肩口を見やると、鳳凰にバサッと翼を広げて見せられる。母親にも見えるよう、サービスしてくれたのだと気づいた。


 大勢の人々が、野鳥の乱舞が終わるまで見上げ続けていた。

  

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