12 山神さんちは荒れ荒れ



「それから三代目はしばらくここにくることもなかったわ。我に助けてもらった時の礼だと云うて甘酒饅頭を持ってきた時は、老いさらばえておったぞ」


 さして気にもしていない口ぶりだ。

 山神的には数十年の時間経過など大したことはないのだと、改めて思い知らされる。


「他にも、さらっと風に吹かれて落ちたのは五代目よ。その時は、川の水かさが増しておって、ずいぶん下流まで流されていったな。しかしさほど怪我もしておらんかったぞ。いたく頑丈なやつであったわ」


 尾をゆったり振る様は、どこか満足げである。


「そうして八代目よ。あやつはうっかり手すりを乗り越えて落下したにもかかわらず、片手一本で踏ん張り、あまつさえ自力で這い上がってきおったぞ。すでに六十路むそじを優に超えておったというに。実に天晴あっぱれであったわ」

「越後屋さん一族、山神さんちで不運に見舞われすぎだと思う」


 家訓は残さないのだろうか。

 我が一族の者、かの御山には登るべからず。かずら橋に近づくことも禁ずる、と。




 ギギギ、と風であおられた橋が軋み音を鳴らした。

 それが止まった途端、上流から飛んできたカワセミが橋の上をすぎゆく。

 細長いクチバシ、背は美しい翡翠、腹は橙。

 陽光を反射する鮮やかな小鳥を湊はつい目で追った。


「今のカワセミだよね。初めて見たけど、綺麗だね。さすが空飛ぶ宝石って称されるだけはある」

「うむ、確かに。我のもとには、それなりの数おるぞ」


 湾曲した川の先へと羽ばたいていくのを一人と一柱は、見届ける。


「さて、橋はもうよかろう。そろそろ戻るぞ」


 踵を返した山神に従い、湊は再び林道を登っていった。




 家路をたどる間も、誰にも行き合うことはない。

 引き換え、野生動物にはちょくちょく遭遇する。

 頭上で絶えず鳥がさえずり、時折、木立の合間から鹿やうさぎが顔を出した。


 みんな、のんびりしている。

 湊を見ても逃げ出さないのは、むろん前をいく山神がいるうえ、湊に四霊が加護を付けているおかげでもあった。


 一面を埋めるニリンソウ群生地の傍らを通りすぎる。

 咲き誇る白い花々は、どこにも踏み荒らされた形跡はない。


 人がいないからこそ、この美しい景色は保たれている。


 人が訪れるようになれば、見る間に変わってしまうだろう。ゴミが持ち込まれるのも避けられない。

 そして野生動物に手を出す者もいるうえ、生態系も乱れるに違いない。

 現状を維持することは、極めて困難になるのは考えるまでもない。


「山神さんは、山に人がくるのは嫌なもの?」

「いや、さしてどうも思わぬ。好きにすればよい」


 山神は何もしない。ただあるがままを受け入れるだけだ。


「たまに越後屋のようなやつがくるのは、愉快なものよ」


 山神の低い笑い声が大気をゆらす。


「他にも面白おかしい一族がおったが、最近ではとんとご無沙汰である」

「数十年くらい?」

「そうさな、もう少し前からであったか。いちおうここの所有者であったぞ」

「え、ちょっと待って。山神さんちには持ち主がいたんだ」


 初耳だった。

 驚く湊を後目しりめに、山神は不遜に鼻を鳴らす。言外にさもくだらぬと示している。


「人間が勝手に作りおった決まり事なぞ、我にとってはどうでもよきこと。我は我のモノぞ。人間風情のモノではないわ」

「――はあ。まぁ、山神さん的にはそうなんだろうけど……いてっ」


 湊は頭上に軽い衝撃を感じた。

 ぽとっと地面に転がり落ちたのは、赤い実――グミ。さくらんぼを縦に伸ばした形状をしている。

 周囲にグミの木は見当たらない。


 湊が見上げると、枝の上に子猿、その傍らには母猿もいた。

 子猿がひょいとグミを放り、湊が片手で受け取る。キャッキャと子猿が軽く飛び跳ねた。

 同じく見上げていた山神が湊を見やる。


「先日助けてもらった礼らしいぞ」


 木から落ちた子猿を風で受け止めた時のことだろう。


「ありがとう」


 子猿はサッと母猿の後ろに隠れてしまった。

 グミを拾い上げる。手のひらにあるのは、たった三粒。

 だが湊は、それを見ながらうれしそうに笑う。


「懐かしいな。これ、美味しいよね。昔、家にあったグミの木に実がなるのが毎年楽しみだったんだ。今はもうないから、長いこと食べてない」

「今の時期であれば、いくらでも実っておるぞ。好きなだけ採っていけばよい」

「山神さんちが人様の山だと、知ってしまったから採りづらいよ」

「気にする必要はない。我がよいと云えば、よい」


 鎮座した山神が後光を振りかざす。

 しかしやや控えめに。眷属からの苦情をおもんぱかってだろう。


「ここのグミの木は、人の手で植えたものにあらず。誰も手入れすらしておらぬ。野生動物らの餌場となっておる」

「――遠慮しておこうかな」


 余計に採れぬ。彼らにとって貴重な食料であろうから。


 その時、キーキーと聞き慣れぬ甲高い声が響いた。

 ガサガサと草むらから出てきたのは、素晴らしく派手な外見の鳥――キジだ。全体的に緑の体色をして、赤い顔周りと金属光沢を帯びた胸が目を引いた。


 とっとこ軽く跳びながら、走り寄ってくる。

 ピンと尖る長い尾羽を左右にふりふり。意外に大きいという印象だ。鶏より大きいだろう。


 よく見れば、後方に一回り小さな鳥が追従している。

 派手派手しい前方のオスと比較すると地味な茶褐色、長い尾羽を備えている。

 おそらくメスで、ツガイと思われた。


 山神の横で二羽が止まり、再度鳴いた。


「『あっちにグミとかいっぱいあるからさ、俺らと一緒に食いにいかね?』と云うておる」

「本当にそんな言い方してるの?」


 そんな軽薄そうな台詞、山神の口から聞きたくなかった。むろん、と山神は澄まして答えた。


 にしてもだ。頭上に猿、キジ、そして傍らに、犬。いや、狼だが、犬かと見紛うほど似ている外見ゆえ、さほど変わるまい。


 この面子がそろえば、かの有名な英雄一団を否が応でも意識せざるを得ない。


 だとすると、自分の役割は……と考えた湊が形容しがたい面持ちになった。

 腰元を一瞥する。そこに肝心な小袋はない。


「そういえば、俺、きび団子って食べたことないな」

「なに、まことか!?」


 山神が急にイキイキし出した。


「ならば、買いに参ろうぞ。よき店に案内しよう。そこには、変わり種のきび団子もたんとあるぞ。白桃、抹茶、黒糖、ますかっともな」


 声に喜色が乗るに乗るあたり、山神はどこまでも山神だった。自分産の山の幸より、加工品を好む。


「詳しいね。さてはまたネットで調べたな」

「いや、情報誌で、ぞ。先月号に載っておったであろうに。しかしやはり、おーそどっくすな物が一番であろうな。まずは、ただのきび団子を食すがよい」


 情報収集に余念がない御方は、ふっさふっさと尾を振った。

 その背後、またも草むらがゆれ、今度はひょっこりとトリカが出てきた。


「その前に、グミだろう」


 冷ややかに言い放つ。湊を見上げ「こっちだ」とくいっと道の先へと顔を向けた。


 先頭にテン、狼、キジ、枝から枝に移る猿。最終尾に湊。ぞろぞろ連なって山中をいく。

 トリカが振り返った。


「湊、行者にんにくもあるぞ。それも採っていけばいい」

「助かります」


 湊は秒で返事した。

 ここが人様の山と聞いてためらいはあれど、今までさんざん山の幸はいただいてきている。

 今さらではある。何より、家計も大助かりだった。



 ふいに風が吹く。湊は耳元で何か聞こえたような気がした。

 立ち止まって首をめぐらすと、間近の木――幹にリスがしがみついていた。


 ずんぐりした体躯。全体的に灰褐色。腹毛は白色。

 ふさふさの長い尾が綺麗に背中に沿っている。少し変わった特徴――尾の先端部分の白色が広いため、見覚えがあった。


 楠木邸周辺によく出没する、ニホンリスだ。


「なんだ、リスさんだったのか」


 幹を駆け上がる途中、ちらっと見られた。

 会えばいつも木の実など何かしらくれるのだが、今日はくれないらしい。


 そっけなく去っていくのを見ながら、湊は耳たぶを軽く引っ張る。

 聞き慣れない人の声だったような気もするが、おそらく気のせいだろう。リスが鳴いたのかもしれない。

 妙に残響があとを引く感覚が気になったけれども。


 気にしつつも、先をいく一団のあとを追っていった。

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