7 予想外の播磨邸
白手袋の運転手によって後部ドアが開かれ、湊はそそくさと車から降りた。
何しろ播磨家から迎えに来てくれたのは、リムジンだ。乗り心地はすこぶる快適であったが、不相応さしか感じず、居心地が悪いったらなかった。
外気を吸い込むと、ようやく生きた心地を取り戻せたような気がした。
が、眼前にそびえる堅牢な洋館を目にし、口元がひきつった。
「げ、迎賓館……!?」
呆然とつぶやいていると、大狼ものっそりと地に降り立った。
グッと前足を伸ばしてストレッチをし、ぶるりと胴震いをして金の粒子を振りまくその様を、ドアをつかむ運転手がまぶしげに見つめている。
山神はいま、その御身を隠していない。
自らが訪問すると事前に告げたゆえ、晒していた。
湊が浅く口を開けて洋館を見上げていると、山神が隣に並んだ。
その気配で我に返り、運転手に尋ねた。
「あの、ここが播磨さんのお宅なんですか……?」
「はい、左様でございます」
いやそうな顔をすることもなく、にこやかに肯定されてしまった。
「お主が想像しておった御殿とはかなり違うようぞ」
山神に揶揄われ、湊は力強く肯定する。
「ほんとに。洋館なんて予想外にもほどがある。それに――」
言葉を切った湊は洋館を背に、三方を眺めた。庭木や花壇、通路や噴水もシンメトリーに配置された、異国式の庭園である。
「ここどこ? いつの間に外国へ出たのかな?」
そう混乱しても致し方ないだろう。そこの敷地内はあまりにも日本離れしていた。
冷や汗をかきつつ、湊は己の胸から靴まで見下ろす。
「しまった。スーツでくるべきだった……!」
多少なりともめかしこんできたものの、場違い感が半端ない。つい恨み言が漏れた。
「播磨さん、普段着でいいって言ったのに……!」
「なあに、その出で立ちで問題なかろう。いかほどデカかろうが、様相が変わっておろうが、個人の家ぞ。そこの家人が普段着で構わぬと云うたなら、構わぬ」
山神が呆れ気味に言った時、玄関ドアが開き、播磨が出てきた。ようこそおいでくださいましたと山神へと歓迎の意をあらわしたのち、
「その通りだ。気にするな」
と言ってきた。
歩み寄ってくるその格好もたしかに、いつもの堅苦しいスーツではない。軽装とは言いがたいが、普段着なのだろう。とはいえ、いつもと外見が異なっていようと眼鏡が同じ物であることに、湊はなぜか異様に安心感を覚えた。
これでもしコンタクトだったのなら、戸惑いもひとしおであったろう。なにせ眼鏡使用者にとって眼鏡は顔の一部なのだから。
緊張感から明後日な思考を回していた湊は、それをおくびにも出さずあいさつすると、播磨に促された。
「とりあえず、中に入ってくれ」
その後方で、さりげなくいかにも執事といった人物が佇んでいる。あまりにこの家に似つかわしかった。謎の感動から湊もこれを機に非日常体験を楽しもうと思った。
隣にいつだって平常運行の山神がいることでもある。
お邪魔しますと口にし、湊は玄関をくぐった。
「っ!」
床の大理石を踏んだその足から、全身へ電流のようなモノが流れた。痛みをともなうほどの激しさはなく、常人であれば気づかない程度であったろうが、戸惑った。
そのため少し歩調が乱れると、山神に追い越された。
「しかと
笑いを含んだその言い方から、播磨家の神に歓迎されていないわけではないらしい。
そう、今しがたの感覚はよその神の神域に迷い込んだ時の感覚とよく似ていた。
湊はちらりとエントランスに佇む執事を見やった。
播磨はむろんのこと、山神の存在に動じることもないこの人物の前でなら、とりわけ気を遣う必要もないだろう。己のことを何もかも承知で迎えてくれたのだから、いつも通りで構うまい。
普通の声量で山神に言った。
「あれかな、こちらの家は神様が護ってらっしゃるのかな」
「左様。人間らのつくった、せきゅりてぃーしすてむとやらより、はるかに強力なやつでな」
「やっぱりそうなんだ。子孫の方たちを大事に思ってらっしゃるんだね」
ふんと山神が鼻を鳴らし、打ち払うように尻尾を振る。
「過保護がすぎよう」
独り言に近い小声であったが、吹き抜けの天井にはよく響いた。それよりも湊は別のことに意識を奪われた。
「うわぁー……」
ステンドグラスが嵌め込まれた丸い天蓋である。きらめくそれを見上げ、あんぐりと口を開けた。
しかしすぐさま顎を引き、真顔で言う。
「掃除が大変そうだ」
「そこを気にするのか」
ぼそりと後方の播磨に言われ、湊は頷いた。
「もちろんです。仕事柄そこはまっ先に頭に浮かびますね」
「そうか……」
播磨は複雑そうな表情になった。
いまだ己は、ただの家の管理人兼温泉宿の従業員としか思っていないからだろうか。
気持ちを切り替えたらしき播磨にじっと見られた。
「今日は護符は持ってきていないよな」
「ああ、はい。入り用でした?」
「いや違う。うちの女たちは目がよすぎるから、君の護符を眩しがるんだ」
「えっ、じゃあ、使うのも大変ってことですか?」
「一、二枚程度なら問題ない。束であると目を開けていられないようなんだ」
思わぬ情報であった。やや申し訳なさを感じた。
「これからは力を込めすぎないようにした方がいいですか?」
「いや、それは気にしないでくれ。込められることに越したことはないんだ」
そう言う播磨に連れていかれたのは、やたらめったら広いダイニングルームであった。
そこはかとなくカレーの香りが漂っているのは、山神が勝手に所望してくれたせいであるが、いまはいい。
部屋の中央を占める長テーブルは、あと食事が運ばれてくるばかりの準備万端具合だが、それもいまはいい。
巨大なシャンデリアのもとに集った、播磨家の者たちの異質さが問題だ。
そろいもそろって上方の輝きに負けぬきらめきを放っている。衣装ではなく、その容姿そのものがである。
ことごとく長身で腰の位置が高く、左右対称の顔は、職人が丹精を込めてつくった人形のようだ。笑みを浮かべていなければ、人間とは思えなかったかもしれない。
とりわけ播磨家当主だという播磨の母、そして姉と妹が顕著だ。けれども彼女たちには、薄いながらも神の血が流れているのなら納得でもある。
が、おのおのに寄り添う伴侶までも容貌が整っているのはなぜだろうか。
美形同士ならば、非の打ちどころのない子が生まれるのは必然であろう。姉夫婦の前に大人しく立っている、子役モデルも難なくこなせるであろう二人の娘のごとく。なお六歳と四歳だという。
そんな八名の親族を順に紹介してくれた播磨自身も美男なのだと、いまごろ気づいた。
他者の美醜にさして興味のない湊でも、さすがにこんなカレーなる、否、華麗なる一族を前にしたら、回れ右をして帰りたくなった。
が、そうもいかない。
大歓迎されている山神を置いていけるはずもないからだ。
播磨に続き、大狼が部屋に踏み入るやいなや『山神様は、どうぞこちらへ!』と使用人たちに促され、あれよあれよという間に長テーブルではなく、その傍らにしつらえられた高台に鎮座することになったのだ。
むろんそこから長テーブルを見下ろせる、紛うことなき
そして間髪いれず、山神の周囲に蝶足膳が並べられた。個々に山と積まれているのはもちろん、こし餡の和菓子だ。
「いずれもよき」
それらを前に、山神はよだれを垂らしている。そんな様子を目の当たりにした使用人たちは、感極まったように震えた。
ちらりと山神に視線を送られ、かすかに頷くと山神が嬉々として和菓子にかぶりついた。激しく尻尾が振られ、使用人たちの髪が逆立ち、スカートが翻っているが、みな歓喜の涙を流しているからいいだろう。
そのうえ、
ひとまず湊は、歓迎の意を示してくれている播磨家の面々と交流することにした。
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