8 カレーなる一族





「やあ、翡翠の君」


 気さくに声をかけてくれたのは、播磨の父――宗則むねのりであった。

 会うのは、これで二度目だ。

 先日、悪霊に憑りつかれている時に、助けを求められたことがあった。その最中は具合が悪そうであったが、祓ったあとは快活そうに振舞っていた。

 もともとそういうタイプだろうと思われるが、いまは表情に陰りが見えた。


「はい、お久しぶりです。――あの、播磨さんどこかお悪いんですか?」


 うるっとその目が潤んだかと思うと、突然隣に立っていた伴侶――芙蓉ふように抱きついた。唖然としたが、死んでも離さないと言わんばかりの必死さが伝わってくる。


「翡翠の君、どうかお気になさらないで」


 抱きしめられているというより、しがみつかれている芙蓉は笑顔である。一見、華奢な身体だが、ゆるぎなく佇むその姿に当主たる威厳を感じた。

 播磨もなんでもないような口調で言う。


「気にするな。母が少し遠い場所へ出かけていたものでな」


 ただ外出しただけでこんな風になるのだろうか。

 まるでどこかよその世界へでも行って、もう二度と会えなくなるかもしれないと思っていたような態度にしか見えない。

 とはいえ、播磨が気にするなというのなら、気にしなくてもいいだろう。芙蓉があやすように宗則の背中をさすっているその横に立つ播磨の姉――椿も、同じようなことを言ってきた。


「そうだ。あれが常態のようなものだからな」


 低い声に男言葉である。次期当主だという椿は、立ち姿からも貫禄があふれ、そのうえあまり表情が動かないため、人外感がより強調されて冷たい印象を受けた。

 が、その氷の美貌がほんの少しだけでも笑みを浮かべようものなら、様相が一変する。女神もかくやのそれを向けられ、つい見惚れてしまった。

 すぐさま、ずいっと隣の伴侶――佐輔さすけが顔を割り込ませてきた。


「翡翠の君、ちょーっと俺の椿さんを見すぎじゃねぇか?」


 笑顔だが、目は笑っていない。射貫くような鋭さに、湊は反射的に謝りそうになった。即座に椿が佐輔の耳を引っ張った。


「佐輔、無駄に牽制をするんじゃない」

「だーめ、俺の椿さんは見世物じゃねぇから」

「いつも言っているが、多少見られた程度ではなにも減らんぞ」

「いや、減るって。俺の椿さんの美しさが減る!」


 いちゃついているのだろうか、いや、間違いなくそうだ。仲睦まじいのは両親だけでなく、姉夫婦もらしい。

 乾いた笑いが出た時、姉夫婦の反対側から視線を感じた。妹――藤乃ふじのの伴侶だという由良であった。厳つい体格の彼とは面識がある。


「由良さん、最近播磨さんと一緒にうちにこないんですね」


 以前は播磨の送迎をしていたのだが、しばらく前から別の人物に替わっていた。


「はい、結婚したので異動したんです」

「あ、新婚さんでしたか。ご結婚おめでとうございます」


 ありがとうございますと二人は声をそろえた。妹も終始愛想のいい笑顔を向けてくる。

 女性が当主に立つという家柄だと聞いていたため、女性上位の一族なのかと想像していたが、そんなことはなさそうだ。

 いずれも仲がよさそうで、結構なことである。


 そういえば、播磨は結婚しているのだろうか。

 この場に相手はいないから未婚だと思われるが、これだけの家柄なら婚約者がいてもおかしくはあるまい。あえて訊く気はないのだけれども。

 そう考えていると、右の手のひらにやわらかな感触がして、湊はぎょっとした。

 見下ろせば、すぐそばに姉夫婦の次女が佇んでいた。

 ここまで接近されてもまったく気づけなかったのは、異様に気配がないせいだろう。やはり神の血を引くせいか一般的な子どもとは異なるようだ。


 その次女がテディベアの頭を手のひらに押し付けてくる。

 式神かと一瞬思ったが、もこもことした素材から異質な気配は感じられない。普通のぬいぐるみのようだ。千鳥柄の蝶ネクタイをつけているのが特徴的であった。

 それはさておき、次女の行動の意図がわからず、湊は困惑した。


「えっと……?」

「ヒスイの方、おててを見せてください」


 こんな小さな子にまでその呼称で呼ばれるのかと、いたたまれなくなったが、その名の由来となった翡翠色を紡ぎ出せるこの手に、興味があるのかもしれない。


「――はい、どうぞ」


 膝を折って、そろえた手のひらを差し出した。

 ずいっと顔を近づけてきた次女は、順にまじまじと眺めたあと、テディベアの丸い耳に内緒話をし、次に己が耳元にテディベアの口を持ってきて、うんうんと幾度も頷いた。

 一人芝居だろうが、表情は真剣そのものである。

 一端の医者のようで、湊は患者を装って尋ねてみた。

「先生、俺の手はどうでしたか? なにかおかしなところがありましたか?」

「モンダイありません」

 と厳かに診断をくだしてくれた。が、テディベアのまあるい手を左手に乗せられた。

「でも、ひだりのおてては、ぜんぜん通って・・・いませんね」

 その慧眼に湊は舌を巻いた。


 祓いの力を意識して出す時、心臓部から腕を伝って手のひらへ通じる一本の筋めいた感覚がある。

 それは利き手の右側だけだ。左側にまったく感じないのは、意識的に使わないせいである。自覚はあったが、つい楽な方を選び、右手ばかりを使っていた。


「これからは左手も使っていこうと思います」


 神妙な調子で言うと、次女はにっこり笑ってテディベアの手で頭をなでてくれた。


「翡翠の方」


 唐突に間近から呼びかけられ、またも湊は飛び上がりそうなほど驚いた。

 バッと顔を向けると、今度は長女が佇んでいた。

 ぐっと迫ってこられ、反射で避けたところ、よろける。その腕を長女が引きつつ、鬼気迫る勢いで斬り込むように告げてきた。


「翡翠の方、わたしと駆け落ちしてください!」


 あまりに想定外で、湊はポカンとなった。その斜め上で播磨がため息をつく。


「一の姫、駆け落ちの意味をわかって言っているのか」

「もちろんよ、叔父上。親に結婚を反対されたアベックが手に手を取り合って北の国へ逃げる行為でしょう?」

「アベックではなく、カップルと言った方がいいんじゃないか? 幼稚園でからかわれるぞ。それに行き先は、北の国とは限らない」

「才賀、正すのはそこじゃねぇよ」


 佐輔が指摘するも、播磨は一顧だにしない。

 そんな播磨家のやりとりがされている間に湊も驚きが冷め、冷静な目で長女を見やった。必死な形相の中に、焦りを感じる。むろん己に対して恋をしているようには見受けられず、オトナの対応を取った。

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