9 そろそろ本題に入ろうか





「普通、駆け落ちは好きあっている者同士でするものだよ」

「翡翠の方の字が好きです」

「――それは、どうもありがとう。でも、その好きはだいぶ違うんだよね」


 意気込んで言われ、湊は苦笑したあと真顔になって訊く。


「どうして、逃げたいの?」


 長女はすぐさま己の感情を吐露した。


「まだ、結婚したくないの!」

「その若さでもう結婚するの!?」


 思いもよらない返答に驚愕すると、播磨が説明してくれた。


「いや、結婚はまだだ。つい先日、婚約が決まったばかりなんだが、その相手に会いたくないみたいでな……」

「はぁ、なるほど……」


 世界が違いすぎると思いつつも、気の毒さを感じた。

 長女はふてくされた顔をしている。この様子から彼女の意思に関係なく相手が決められたのだろう。彼女の親である姉夫婦の我が子たちを見る目には慈しみを感じるうえ、当主とその伴侶も同様だ。

 決して長女の気持ちをないがしろにし、婚約を結ぶようには思えないのだけれども。

 そう考えていると、播磨がさらに教えてくれた。


「うちの一族の女たちの結婚相手は、我が家の神――祖の神が決めるんだ」

「ああ――」


 山神が言っていたのはこれか、と湊は後半を口にしなかった。

 播磨以外の親族たちには手厚い加護がついているという。その一環なのだろう。


「おのおののもっとも相性のいい相手も勝手に見極めて、ある日突然『お前の結婚相手が決まったぞ』と突然告げてくるんだ」

「――神様らしい方ですね」


 傍若無人ですね、とは言えず無難な言葉に言い換えた。

 たとえ己がためを思って厳選された相手であろうと、一度も相対したこともない相手と結婚するのに反抗するのは当然だろう。


「拒否することはできないんですか?」

「一応、できる」

「あ、そうなんですね」


 意外であった。融通はきくらしい。湊は長女に向き直った。


「一度会って、どうしても受け入れられないと思ったら、婚約を解消してもらったらいいんじゃないかな?」

「――オトナって……!」


 長女は、さも悔しげに地団駄を踏んだ。遠い目になった播磨が言った。


「俺も先ほど同じことを言ったんだ」

「まぁ、そうですよね」


 湊が膝を起こすと同時に、長女も後ろから抱きかかえられた。


「はいはい、どうもすみませんねぇ。うちのわがまま姫がご迷惑をかけて」


 とにこやかに告げた姉の伴侶が娘を小脇に抱えて離れていった。




 それから、どうにか機嫌の直った長女とテディベア付きの次女に挟まれ、両手に花の状態で昼食会がはじまった。

 主菜のカレーもさすがの味ではあったものの、そう緊張することもなく。

 あまり身構えなくてもよかったと安堵しつつ、湊は神座の山神を見やった。

 休憩を挟むことなく、和菓子を食べ続けている。


「む、もうなくなったか。――そこな娘、この羊羹はまだあるか」


 山神の視線を受けた女性の使用人が、雷に打たれたように震え、直立した。


「ッ、は、はい、ございます! すぐにお持ちしみゃすっ!」


 スカートをなびかせ、小走りで部屋を後にするその目が潤んでいるのは、舌を噛んだせいだけではあるまい。山神に存在を認識され、かつ命じられて歓喜したからだろう。

 その彼女の後ろ姿を目で追う他の使用人たちの顔に、嫉妬の感情が浮かんだ。

 それをしかと見てしまった湊は、水で口内のカレーを流し込んでつぶやく。


「山神さんのモテ具合がすごい。ある意味怖い……」

「だって、山の神様ですもの」

「うん、みんなダイスキ」


 長女と次女にさもありなんと答えられてしまい、湊は瞬く。


「そういうものかな?」


 深々と頷いた長女が、カレーをスプーンで掬った。


「そうだよ。山の神様は人とともにいてくださる神様だもの」

「――そうか。たしかにそうだね」


 身近な存在だといえよう。風神と雷神を知っているからなおさらそう強く思う。気ままな彼らは基本的に人間に興味を示さず、それを隠そうともしないため、かなり冷たい印象を受ける。


 しかし山の神――山は、いつだってそこにある。

 その恩恵を体感もできる。

 かねてよりこの国の民は、山とともに生きてきたといっても過言ではない。

 そのおかげか人々は山に惹かれてやまない。山中他界説がいい例だろう。山はいずれ人間の魂が還る場所だと信じられてきた。


 山神自身もなんだかんだ言いつつ、人間を気にかけ、関わり続けている。人々からほぼ無条件に愛されても、なんらおかしくはないだろう。

 小さな子どもたちに言われ、湊は改めて気づかされたのであった。


「――ところで、こちらの方々は神様という存在に慣れていると思ってたんだけど」


 気になっていたことを言えば、長女が首を横に振った。


「そんなことないよ。お爺様は御姿を見せてはくださらないもの」

「そうなんだ?」

「そう、お祖母様か母上の身体を乗っ取って現れるの」

「一の姫、乗っ取ると言うんじゃない」


 すかさず窘めたのは、斜め前の席に座す椿であった。

 セリもよくウツギにそう注意していた。やはりいい言葉ではないからであろう。

 ともあれ神降ろしは、たいてい拝み屋などの降ろす者と降ろされる者の二人がかりで行われている。しかしながら、神の血が流れる播磨家には降ろす者は不要だという。

 そして神が降りるのは、当主か次期当主のみなのだと教えてくれた。

 ならば、将来的に当主になるであろう長女もその対象になるということだ。

 案の定、長女は唇を尖らせて不満をあらわにした。


「そのうち、わたしの身体にもお爺様が降りてくるのよ。いやになっちゃう」


 ブスッと勢いよくサラダのプチトマトにフォークを突き刺した。曰く、神が降りてきたら己の意識は眠った状態となり、その間の記憶はなくなるという。

 いやがるのは当然だろうなと思いつつ、湊はカレーを口へ運んだ。


 そんな神の血族の特異さをうっすら感じる食事会は、いよいよ終わりに近づいた。

 むくりと神座で怠惰に寝そべっていた大狼が身を起こす。

 長テーブルから見上げている播磨家の一同を見渡し、厳かに宣った。


「しからば、ぬしらの神に会わせてもらおうか」

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