4 何事も日々の積み重ねが大事





 支障なくその身が動かせるようになったならば、そろそろ方丈山のほうへいかなければならない。

 ここは、山神の神域である。

 本来、複数の神が同一の神域に住まうなぞあり得ない。神気が衝突し合い、ともすれば神域が壊れかねないからだ。


「とはいうものの――」


 湊は箒を地面に置き、エゾモモンガを両手でそっと抱え上げた。その体毛はごわつき、手触りも悪い。昨日、風呂上がりに自ら乾かしていたが、やはり火の粉を散らしたあげく失敗していた。

 はっきりいえば、かなり見栄えも悪く、神様には身綺麗にしていてほしいと思う湊は名状しがたい相貌になった。

 山神も時折、寝起きの際はそりゃあもう威厳など宇宙の彼方へ吹っ飛ぶくらいひどい時がある。

 けれども胴震いさえすれば、あら不思議、どこにお出ししても恥ずかしくないサラツヤヘアーに戻るのだ。


「まだまだ本来の力を遣いこなせないみたいだし、方丈山にはいかせられないけどね」


 己の毛を乾かすこともままならず、そのうえ姿も隠せない。ここから巣立つのは時期尚早であろう。


「この愛らしさだからな……。人に見つかったら、大騒ぎになりそうだ」


 そこが一番心配なところである。

 思いつつゆらさないよう、縁側へと近づく。

 そこには、当たり前のように大狼がいる。

 お気に入りの座布団に横臥し、気だるげにこちらを見ていた。

 その視線を受けても、手の中に横たわるエゾモモンガが眼を覚ますことはない。

 最初の頃、山神の姿に恐れをなし、近づくこともままならなかった神霊であったが、いまではさして怯むこともなく。見つめられていようが、ムニャムニャと幸せそうな寝顔を晒している。


「慣れれば慣れるもんだね」


 喜ばしいことではあろう。同じ釜の飯を食うモノにいつまでも怯えられていては、心安らかに日々を過ごせまい。

 神霊の仮宿――石灯籠の火袋にその身を収容する。

 ふかふかな小座布団の上で、またも豪快に手足を伸ばした。


「おやすみ。良い夢を」


 湊の言葉が終わるや、シャッターめいた窓が閉じた。


――ちりん。


 風鈴が鳴る縁側に戻ると、山神の大あくびが迎えてくれた。その正面に座りながら尋ねる。


「山神さん、眠いの?」

「否、ただの癖のようなものである」


 確かにその開かれた両眼に眠気は感じられなかった。


 昔のように多くの人々に、山神へ信仰を向けてもらうべく、荒れ果てた方丈山の整備とかずら橋の修繕をした結果、人が訪れるようになった。

 連日盛況だといっていい。

 かの山には希少な動物も多い。それを知った愛鳥家が写真に収め、ネットに晒したことで全国からこぞってお仲間が集まるようになったのであった。

 それについては、いまは置いておく。


 肝心の山神に変化はあったのかといえば、とりわけないとしかいえない。

 しかしながら目に見える形で変化を望むのは難しいかもしれない。

 以前からその姿は明確にそこに在るうえ、毎日のんべんだらりと平穏に過ごしてもいるからだ。


「山神さん、調子はどう?」


 わからぬなら直接訊けばよかろうと尋ねてみれば、大狼は軽く顎を上げ、全身から光線を放った。


「すこぶるよき」

「な、なによりでございます」


 言葉とは裏腹に湊は内心で唸った。

 なにせこの現象は山神のお家芸ともいえる。眩さに違いはないように思われた。


「元気ならいいけど――」


 という他あるまい。まさか確かめるために庭の改装をやってみてよなどと言えるはずもない。無駄に力を遣う必要はないのだ。山神が末永く健やかであってくれればそれでいい。

 思う湊はいまだ輝きを放つ御身から目を守るべく、瞼は伏せ気味である。

 しかし完全には閉じていない。必死に山神の姿を見ていた。

 神獣と霊獣の違いを知るために。


 先日、人ならざるモノに造詣の深い播磨の父から言われたからだ。

 両者の違いを知りたくば、もっと注意深くみろと。


 それから一日も欠かさず、山神と四霊を凝視して鍛錬を重ねた。

 気配も探るべくすべての意識も向けるため、かの麒麟が照れて逃走を図るほどである。

 むろん眼前の山神の場合、尻尾を巻いて逃げるなどあり得ない。どこからでも気が済むまでみるがよい、と言わんばかりに座布団の上で食っちゃ寝している。

 ゆえに湊も遠慮せず両者を見比べ、その都度違いを口にしていた。


「亀さんたちも神々しさにあふれてるけど、山神さんのほうが濃いように感じる。こう目に飛び込んでくるというか、絶対に無視できない強さがあるというか。――いまいちうまくいえないけど、気配は山神さんのほうが強いんだと思う」

「当然よな」

「それと気配に硬さもある感じ。痛くはないけど肌がピリピリするし、気を抜いたら身体も押されるくらいの圧があるし。今日はより一層そう感じるような気がするんだけど……?」

「よう気づいた。昨日より若干圧を高めておる」


 山神はこっそり試すようなことをする。

 微苦笑しつつ湊は、山神から庭に散らばる四霊へ順に顔を向けた。


「それと今日気づいたんだけど、香りがするのは山神さんだけなんだよね。――あと動く時に、硬質な音が聴こえるようになった。亀さんたちが動く時も聴こえるけど、だいぶ音がやわらかいような気がする。こっちはまだあんまり聴こえないけどね」


 ほう、とつぶやいた山神が両眼を細める。


「ずいぶんと知ることができるようになったものよ。あの激烈に鈍ちんであったお主がなぁ」


 しみじみと宣った。実に感慨深そうである。


「いや、俺はそんなに鈍くないはず……。いや、鈍かったね」


 しかと意識を向けないと気づけなかったのならば、反論の余地はなかろう。

 山神は組んだ前足に顎を乗せた。


「うむ。霊亀らを、神々しいから神様みたいなどとのんきに思っておったがゆえ、妙なふぃるたーが掛かっておったのであろうよ」

「――そうなのかな?」

「うむ。しかしまぁ、あれらは神の力も内包しておるゆえ、紛らわしくはあろうな」


 四霊は、天の四方を司る四神から力を与えられている。

 それは、四霊が弱いゆえだという。

 通常の動物と同程度の身体能力のうえ、ろくに戦うすべを持たないからだ。

 彼らが生来有する固有の力は、幸運を授けること、動物たちの長であること。その二つである。


 湊は正面を向いたまま、耳をそばだてた。途切れ途切れながらも麒麟と応龍の声が聴こえる。


『――応龍ど……滝登り……速度……落ちて……か?』

『なんの……。優雅……華麗に登ってこそ……霊獣としての……』


 うきー! 麒麟の叫び声が庭に木霊した。


『どれ……予も泳ごうかの。鳳凰のもたまに……どうぞい』

『残念ながら……流れに押し流されるゆえ……遠慮して……』


 霊亀と鳳凰のやり取りがしたのち、羽ばたき音が近づいてくるのと、ぽちゃんと霊亀が川に飛び込んだのであろう音も耳に入った。


 そんな二匹が立てる音の方にばかり気を取られ、言い合う麒麟と応龍の声は聞き取れない。

 湊は座卓の上で両指を組んだ手に力を込める。

 眉間に皺を寄せるその顔を山神が一瞥した。


「目を閉ざし、耳のみに集中するがよい。――四霊の声を聴きたい。そう強く念じつつぞ」

「――うん。昨日より聴こえるようになったみたいだけど……」


 言われるまま瞼を下ろすや、


『おお、だいぶ聴こえるようになったか!』


 羽音とともに座卓に舞い降りた天使――否、ひよこの声が明瞭に聴こえた。

 喜びの感情もありありと伝わってくる。いつものように背を伸ばし、翼をはためかせているであろう姿も想像できて、湊の口角も上がった。


「ちゃんと聴こえてるよ、鳥さんの威厳のある声」


 そう言ったものの、その声は若々しい青年の声である。

 その愛らしい見た目は一時的なものにすぎない。元の姿は目を奪われるほどの美しき成鳥であり、多くの鳥に慕われているため、王めいた声を想像していたのだが、いい意味で裏切られた。


 ともあれ湊も、ようやく四霊と会話を交わせるようになった。

 しかしまだ完璧ではない。気がゆるむと聴こえなくなる。

 集中力が切れて目を開けると、斜め下方の鳳凰がくちばしをパクパク開閉していた。


「ごめん、鳥さん。もう聴こえないよ」

『――うむ、致し方あるまい。だが、聴き取れる時間は確実に長くなってきている。もうコツをつかんだのなら習得は早いだろう。あとは鍛錬あるのみだ』


 また厳しいことを言われてるのかなと思いながらも、そわそわと足踏みする鳳凰がうれしそうなのでよしとする。

 待ち望んでいてくれたのであろう。


 霊獣は、人間の脳に直接声を届けられるのだが、その時、馴れない者は頭が割れるほどの痛みが伴うという。

 ゆえに四霊は決して、その手段を取ろうとしなかった。湊に少しの苦痛すら与えたくないばかりに。


 湊は面映ゆい気持ちをごまかすように、石灯籠を見やった。

 そこで爆睡中の神霊の声はまだ知らない。

 湊が聴こえるようになったことに感づいて話さないのか、たまたまなのか。

 いずれにせよ、そのうち機会は訪れるだろう。


「神霊はどんな声をしているのかな。聴くのが楽しみだ」


 弾んだ声を出す湊を鳳凰と山神が見たあと、顔を見合わせた。


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