21 新たな人ならざるモノ
木枯らしが吹き荒れるようになった今日この頃。
あたたかい汁物が恋しい季節となった世間と違い、いつなんどきであろうと長閑な春一色、冷えた飲み物も美味しくいただける楠木邸の庭先。
優雅な午後のひとときをともに送るべく、山神宅から産地直送便を迎えていた。
久方ぶりに訪れた眷属たちである。
外気の冷えた空気をまとい、後ろ足で立つ年長組セリとトリカが、折り目正しく頭を下げる。
「いつも山神が、大変お世話になっております」
「いつも幅をきかせてすまない。ほんの少しだがこれをもらってくれ」
彼らの前には山の恵みがどっさり盛られた竹籠がある。
ヤマブドウ、ヤマボウシ、栗、柿。どれも色艶よく大振りな旬の果物たちはとても美味しそうだ。
礼を言いながら受け取れば、竹籠の冷たい表面からも秋の訪れが感じられた。
縁側の縁に腰かける湊が苦笑する。
「ふたりとも、なにもそんなに畏まらなくてもいいのに」
「だよね」
湊の横にいるウツギが竹籠内のヤマブドウをむしり取り、次々に口へと放り込み、ムシャムシャと食べ続けていた。
己が山で採れた物には、遠慮しない。
相も変わらず自由な末っ子を年長組が睨むがどこ吹く風。
「湊も食べて。おいしいよ」
さもうまそうにパクついていた。
とりあえず、洗うべきだろう。
ヤマブドウとヤマボウシを洗い、大皿に盛り、洋菓子の袋とともに戻るとやんやの大歓声で迎えられた。
しっかりものの年長組もそわそわと体をゆらす様は可愛らしくて和む。ウツギはいわずもがな。
以前は奇声をあげて跳び跳ねるほどの大騒ぎだったが、今は足を踏み鳴らす程度だ。成長したらしい。
「はい、どうぞ」
「ありがとー!」
三匹が嬉しげにマドレーヌを受け取る。
彼らは、行儀がいい。必ず手渡されるまで大人しく待っている。だがしかしそんな彼ら、仲はよいものの、食べ物が絡むと話は別である。
仁義なき闘いを避けるため、同じ物を同じ分だけあげるようにしていた。
縁側の縁に仲良く並んで座り、嬉しげにかじりつく。
「修行中なんだって?」
「そうなんです」
「みんな前より頼もしくなったような気がするよ」
「そうか? なら、嬉しいが」
セリとトリカが、落ち着きなく尻尾をゆらした。
「うん、前と雰囲気が変わったと思う」
「山神みたいになったってこと!?」
隣からウツギが身を乗り出し、勇んで尋ねてくる。その後ろ、セリとトリカも食い入るように見つめてきた。
目指すところはそこらしい。
彼らは山神の御霊から分けられた存在であり、元を正せば同じモノだ。
確かに山神のごとくゆるぎない安定感が出てきた、ような気がする。
皆の背後。縁側中央の巨大座布団の上、丸くなって目を閉じている山神を横目に見やる。
騒がしさもなんのその。テコでも動きそうにない白い小山が規則的に上下し続けていて、健やかにおやすみ中だった。図太い。
「うん、似てきた」
「やった~! じゃあ、ご褒美にもう一個ちょうだい」
その遠慮がないところもな。
思いながらも、バターサンドの包みを剥がし、小さな前足へと順に渡していく。
いつも初めてのお菓子を与えると、矯めつ眇めつ。
くまなく匂いを嗅ぎ、顔を見合せて頷き、せーので一斉にかぶりつく。
まるで死なばもろともといった心意気が面白い。
噛んだ瞬間、つぶらなおめめに綺羅星が散った。
気に入ったらしく言葉もなく頬張っている。
年長組は山神と同じく噛みしめて少しずつゆっくりと。ウツギは丸ごと口内へと放り込み、口元を前足で押さえながら頬を張らせて。
彼らはバターが利いたものを特に好む。
ちなみにマーガリン、ショートニング使用の物には見向きもしない。グルメ舌も山神譲りである。
ともあれ、本日の逸品は、軽い食感の分厚いバタークリームを、サクサクの薄いサブレでサンドした物。きっとお気に召すだろうと、地域情報誌で見た時から思っていた。
むろん、播磨さまさまだ。
修行を頑張っていると聞き、巷の噂でもある店名、品名を書いた和紙をいつものごとく紛れ込ませてみれば、一発で引き当てられた。
その手土産時、がっくりと気落ちした山神を思い出すとやや胸が痛むけれども。播磨も随分焦っていた。
もっと頑張れそう、と楽しげに語り合う三匹をしばし穏やかに見守った。
やわらかな風に、庭木がざわつく。
葉擦れの音に湊が庭を見やる。視線の先には葉をゆらす若木、クスノキ。その姿は、ひどく頼りない。
食べ終えたセリが、憂い顔の湊に気づいた。
「湊? どうしました」
「……クスノキがさ、成長止まったみたいなんだよ」
縁側を下り、小径を歩いてクスノキへと近づく。
三匹も跳んで地面に下り、あとに続いた。
背景の山を彩る紅葉した木々とはまるで違う青葉を湛えた若木は、一気に成長したあと、今も変わらず目線の高さのままだ。
皆で若木を囲むと、ざわりとささやかな樹冠が身震いするように動いた。
「元気といえば元気なんだ。よく風と遊ぶようにゆれてるし、今も動いたろ? でも急に伸びたあとはまったく伸びてない。毎日神水あげても、一センチも高くなってないし、葉も増えないんだ」
「特に問題なさそうですけど。うーん、どうなんでしょう。この木は通常のクスノキとは違う
「そうなんだ」
「神木だからな」
「……神木。そうか、普通、葉も枝も動かないんだった」
楠木邸の庭にいる時間が長くなり、いつの間にか一般常識がずれていたらしい。
うっかりしていた湊の足元、ウツギがクスノキを見上げる。
「こんなに細いんじゃ、まだまだ登れないねえ」
木登り得意な三匹が根本をそっと撫でた。
細い幹は、小振りな獣の片手でも簡単につかめてしまう。
心配げに囲む彼らの足元へ、御池から上がった小亀が這い寄っていく。
己を一心に見上げてくる霊亀に湊が気づいたのと、眷属たちが裏門へと鋭い眼差しを向けたのは、ほぼ同時だった。
皆の様子で裏門に何かあるようだと察した湊に「来客のようです」とセリが告げる。
素早く這っていく霊亀を追いかけ、ぞろぞろと連なって裏門へと向かう。
湊が振り返れば、山神は座布団上に仰向けで寝ていた。その寛ぎようから問題ない客なのは明白だと知れた。
早くも裏門にたどり着いた霊亀がこちらを向き、待っている。いつもののんびり具合と異なる素早さは、待ち人なのかもしれない。
早足で傍に寄り、見た。
格子戸の向こう、地面にすらりと立つ細長いモノ。
龍だ。
細く長い体躯。長い二本の角。蝙蝠の翼。背中の翼を折り畳み、三本指の後ろ足で姿よく立ち佇んでいた。
息を呑んだ湊と目が合えば、ペコリと頭を下げる。
随分丁寧な方のようだ、と反射でお辞儀を返しながら思う。
門扉を開けて中へと促す。
ゆったりと翼をはためかせ、宙を滑るように傍らを通りすぎる姿は、湊の足元を囲うテンたちより小柄だった。
ついまじまじと見てしまう。凝視しても仕方あるまい、架空の生物だと思っていた存在が目の前に現れたのだから。
霊亀の隣に並び立つと同種の存在であろうと容易に察しがついた。
その体全体が真珠色だ。
ただしこちらは青みが強い。秋空から降り注ぐ陽光がその美しい輝きをあと押しした。
霊亀と向き合い何事か会話したらしい龍がクスノキを一瞥し、次いで視線を縁側へと向ける。
すると寝転んだままの山神の片前足が、ちょいちょいと宙を掻いた。
よきにはからえ。
そういっているのだろうと、そこそこ付き合いが長くなってきた湊にもわかった。
最後に龍が湊を見やる。おそらく許可を求めているのだろう。
「山神さんが許可してるなら、どうぞ?」
心得た、とばかりに頷き、ふわりと舞い上がり、クスノキの傍へと寄っていく。
周囲をくるりと一回転。かすかに眼を光らせ、体全体からも青銀の光を放った。
ほどなくして秋の高い空に浮かぶ無数の羊雲の一つが、すうと音もなく下降してくる。
最上部から一メートル上空で、クスノキを覆うほどの羊雲が止まった。
裏門近くで待機する湊とテンたちが、驚きに目を見開く中、龍体の輝きが増すと、雲から細かい雨が降り始めた。
光る龍が雲の周りをくるくると飛び回る。
さすれば雨が強くなったり、弱くなったり。
雨脚の調整をしているんだ、と思った時、クスノキが大きく震えて――。
ズバァッ! と一気に倍近く伸びた。
「うわっ!!」
見上げて騒ぐ外野に構うことなく、葉擦れの音と家鳴りに似た音を立て、ぐんぐん伸びていく。
大空へと向かい緩やかに上昇を続ける羊雲を追いかけて、高く、高く、のびのびと育っていく。
見る間に太くなる幹、伸びる枝、繁る葉。
縦へ横へと巨大化した。
戦く湊の傍らにいた霊亀が首を伸ばし、口を開閉する。
途端、屋根の倍近くの樹高になったクスノキの成長がピタリと停止。上昇を続ける羊雲だけが、仲間たちのもとへと帰っていった。
あとには、大木と呼ぶに相応しい、立派に育ったクスノキがある。
まるで喜びを表すように、こんもりとした球状の樹冠をぶるぶると震わせている。
呆気に取られて口を開けていた湊たちのもとに、上空を飛んでいた龍が近づいていく。
その顔は一仕事やり終えた達成感に満ちあふれていた。
霊亀の傍に降り立ち、期待の眼差しを向けてくる。
「……池に住みたい、そうです」
「……あ、はい。亀さんがいいなら……どうぞ」
通訳するセリも答えた湊も驚き冷めやらぬまま会話する。
ゆるりと長い髭をなびかせた応龍が、再度、深くお辞儀した。
新たな同居神である応龍は、ワイン好きだった。
若干酒癖が悪く酔っぱらうと飛んでしまうようで、夕涼み中の湊の周囲をご機嫌に漂っている。
ワイングラスを抱え、どこにも、誰にもぶつかることなく、ふわふわと。
器用だな、と湊は感心して眺めた。
霊亀によって強制的に上げられた酒運のせいで近頃、日本酒のみならずワインまで頂くようになり、消費者がおらず、どうしたものかと悩んでいたが解消された。
おそらく霊亀から応龍への歓迎の品だったのだろう。
ついでに霊亀の御池内引っ越し疑惑の謎も解けた。
玉砂利だけになったほうには応龍が住むらしく、己のすみかは己好みにしたいだろうとの配慮だったようだ。
先ほど山神に教えられたが、応龍も長いあいだ、悪霊に取り込まれていたという。
それを祓ったのが、播磨の手甲の家紋だったとのことで、相当湊に感謝しているらしい。
実際に祓ったのは、播磨ではないかと思うのだが。
ともあれ、霊亀と応龍はとても仲がよく寂しかった御池もにぎやかになり、喜ばしいことだ。
山神は今日もゆるがぬ和菓子一辺倒である。
夕飯後のデザートのみたらし団子を頬張る。
もちろんてんこ盛りこし餡乗せだ。見ているだけで胸焼けしそうだ。
縁側下に足を投げ出した湊が、頭に被ったタオルで髪を拭く。
「風呂入りすぎた。あっつい」
「珍しいな。いつもはしゃわーというやつで烏の行水であろう」
赤い顔の湊を見やる山神は、横文字が少々苦手である。少しばかり辿々しくなるところが、亡き祖父に似て、いつも懐かしさを覚えていた。
「ついね。実家は、ほぼ二十四時間いつでも温泉入り放題だったし、自分だけのためにお風呂入れるのも手間だし」
「……温泉が恋しいか?」
「まあ、多少は。疲れの取れ方が違うって実家を出て、初めて知ったよ」
うちは硫黄泉で疲労回復に効果ありなんだ、と湊が笑って語る。
それを聴くのは、みたらし団子を咥えた山神、大杯入り日本酒をガブ呑み中の小亀、ワイン瓶に切り替えてラッパ呑み中の龍。
湊が気づかぬところで、神々が静かに目配せした。
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