8 どちら様ゆかりのモノ?




 いつぞや楠木邸の竜宮門からひょっこり現れたえびす神。その時以来会っていないが、その御身を忘れるはずもない。


 海の方角を見て座す銅像は想像で作ったのだろうが、かのえびす神とよく似ていた。

 狩衣に烏帽子と釣り竿。そして、膝上に鯛。えびす顔と称されるふくふくしい笑い顔のその銅像を目にして、えびす神だと察せられない日本人はほとんどいないだろう。

 それだけ、日本の地に浸透している海の神である。


 その銅像の横に、木造の建物があった。

 おそらく休憩所であろうそれは、船の形をしている。一枚の帆を張った船だ。


「あの建物、七福神が乗っていそうな船だね」

「七福神……。ああ、正月にお馴染みのおめでたい七神ですね」


 セリも知っているようだ。


 宝船に乗った七福神は、縁起物の代表格である。

 それぞれバラエティーに富んだ霊妙なる力を兼ね備えており、えびす神はそのメンバーの一員で、なおかつ唯一日本の神だと言われている。

 実際、えびす神が楠木邸で呑んでいる時、他の神々について話していた。


『他の神さんたちはワシとノリが違うんよなぁ。いや、決して嫌いやないんよ。誤解せんといてな。やないと永いことつるんどらんし』


 と少しばかり愚痴めいたことをこぼし、さらには――。


『いうて、やっぱり日本の神のそばはええね。落ちつく。実家に帰ってきたみたいな安心感があるわ。実家なんて持ったこともないし、知らんけどな』


 と山神の横で底知れぬ笑顔で、ビールジョッキを呷っていた。ちなみに麒麟とよく似た絵柄が入ったビールだった。


『ワシの絵柄が入ったビールはないん?』


 とやや残念そうにされたけれども。

 えべっさんにはすまんかったと思い、こっそりご所望のビールを準備している湊だった。


 湊とセリ、トリカが銅像を眺めていると、砂浜に下りてくる若い男がいた。肩につく髪を無造作に掻き上げ、こちらへ向かってきた。

 そろそろ引き上げ時だろう。眷属たちは姿を隠していても足跡は残る。不自然なその現象を見られるわけにはいかない。


 湊は首だけで海を見やる。

 ちょうど陸へ上がってきたウツギが身を震わせ、水気を飛ばしている。それだけで元のサラサラヘアーに戻り、跳ねる足取りで湊たちの元へ近づいてきた。


「すごい楽しかった! 海面白いね。山にはいない生き物がいっぱいいたよ〜」

「そっか、それはよかった。人が来たから、帰ろうか。みんな俺の体に乗って」


 足跡対策である。促すように手を差し伸べるも、眷属たちはいつものように飛び乗ってこなかった。

 様子がおかしい。そろって後ろ足で立ち、車道側をじっと見つめている。


「おーい、見てくれよ。ネズミ拾ったぞ!」


 喜色のこもったその声につられ、湊もそちらを見た。

 砂浜で立ち止まった長髪の男に駆け寄る短髪の男がいた。その手にネズミをぶら下げて。つまんだ尻尾の先で、逆さまになった小さな体が振り子のようにゆれている。


「あれは……」


 セリが言いかけて、ただならぬ気配を感じた湊もそのネズミを注視した。

 ちーちーと甲高い声をあげてもがいているその身は白い。純白といっていい混じりっけのない白。そうセリたちと同じだ。

 集中すると、うっすら金粉をふりまいているのが見えた。


「あのネズミ、神様の眷属だよね!?」

「そのようですね」


 セリが頷いたあと、トリカが鋭い声を発した。


「あれは、ちょっとまずいぞ」

「なにが――」


 湊が問いかけた時、長髪のほうが声を荒らげた。


「お前、そんなもん拾ってくんなよ!」

「や、なんか。とろくさいヤツでさ。あっさり捕獲できちゃたんだよね〜」


 笑いながら短髪の男はネズミを目線まで掲げる。

 顔のそばにきたその白き小動物から長髪の男は大げさに顔を背け、距離を取った。


「オレ、動物嫌いなんだよ。どうすんだよ、そいつ」

「んー、どうしよっかな。――あ、そうだ! さっき猫がいたからそいつにやろう。小さいけど腹の足しにはなるよな」


 ネズミがひときわ高く鳴いた。悲壮なその絶叫に湊が足を踏み出す。男たちは向きあってこちらには注意を払っていない。それをいいことに眷属たちも湊のあとに続く。


「すみません、その子、うちの子なんです」


 湊が告げるや、男たちはともにこちらへ顔を向けた。


「なに、あんた。ネズミなんか飼ってんの?」

「――はい。海を見せてあげたいと思って、つれて来たら逃げちゃったんです」


 咄嗟についた噓だった。けれども、できるだけ憐れみを誘う声と表情もつくってみた。


「探していたので、助かりました。捕まえてくださってありがとうございます」


 さらに言い募り、両手を差し出した。


「へぇ、そう。じゃあ――」


 短髪の男がネズミを湊へ差し向けた時、


「ほんとかよ……。籠とか容れ物とかなんも持ってないみてぇだけど」


 と長髪の男がそっぽを向きながらいった。ネズミに興味はなくとも不審な点は見過ごせなかったらしい。


「え、なに? 噓なの?」


 短髪の男がネズミを湊から遠ざけた。

 その時、突風が吹いた。三人の男に襲いかかり、髪と衣服が音を立ててはためく。


「うわっ、なんだよ急に!」

「いてぇ! 砂が目に入ったっ」


 男たちが舞い散る砂塵を避けようと手や腕で顔面を庇った。

 そんな中、湊だけは動じない。その髪をゆるやかに波打たせ、真顔で立っていた。

 やわらかな風の繭に守られ、その身には一粒の砂すらかからず、腕は伸ばされたままだ。


「お願いします。そのネズミをこちらに渡してください」


 静かなる威圧を感じた男二人の喉が上下し、半歩あとずさった。


 あいにくと湊は何もしていない。

 男たちの視界には映っていないが、湊を中心に数多の風の精が舞い踊っている。皆一様に不機嫌そうな顔つきで、中には歯をむいて威嚇しているモノもいる。

 そのうえ湊の左右と背後にいるテン三匹が黒眼を光らせ、その全身から神威を男たち目掛けて放っていた。

 三匹分は、山神がくしゃみ一つした時と同等の神圧を誇る。


 短髪の男の手がゆるみ、ネズミが砂地に落ちた。


「おいで」


 湊が静かに告げた瞬間に風がやみ、跳ね起きたネズミが駆け寄ってくる。

 膝を折った湊の器と化した両手へ白いネズミが飛び込んだ。

 それを見届けた男二人が顔を見合わせ、長髪が車道へ顎をしゃくった。


「おい、もう帰ろうぜ」

「――そうだな」

「ありがとうございました」


 立ち上がった湊がネズミを抱え、男たちの背中へ礼を述べた。

 遠ざかる二つの足音を聞きながら、湊は手のひらへ視線を落とす。

 まだ幼体のネズミだった。その身は片手で覆ってしまえるサイズしかなく、一心に湊を見上げていた。


「ちー! ちー!」

「えーと……? 人の言葉は話せないのかな」


 湊が接してきた神の眷属は、たいがい流暢に人語を話せていたため、戸惑った。

 これでは詳細が訊けないではないか。どちら様にまつわるモノか、どこから来たのか。皆目見当もつかない。


「湊、その子はまだ話せないようです」

「だな。幼すぎるからだろう」


 セリとトリカの声がして、見れば下方でテンたちが首を伸ばしていた。

 湊がもう一度屈むと、三匹が群がってその手を取り囲み、上から覗き込んだ。


「チ゛ィ゛ーーーーッ!」


 脳に突き刺さる叫び声がネズミの喉からほとばしり、テンたちが両耳を押さえて離れる。あらわになった湊の親指にネズミがしがみついていた。

 手の中から逃げはしないが一向に泣きやまず、震えている。

 セリたちの表情が曇った。


「そんなに怯えなくても……。我ら、取って喰いやしませんけど」

「だな。こうまで怖がられたら、複雑だ。我らは動物を狩って喰わないし、まして神の眷属を喰らうこともないぞ」

「そうだよ。だいたいなんでこんなに怯えるの? 我らが自分と同じ眷属ってわかるよね? こちとらフツーのテンじゃないんだからね!」


 ウツギはたいそう納得がいかないらしく、太い尾で砂を散らしている。ネズミの怯えようは、本来の野生動物の関係性を示しているようだ。

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