13 神霊の系譜




 ツムギは前回のことを反省しているようで、白い狐を楠木邸の上空から離そうとしている。けれども白い狐は執拗に楠木邸近辺に戻ってくる。


「あの若い子は学習しないのかな……」


 思わず湊はつぶやいた。山神に光の矢で射貫かれ、ふっ飛ばされたであろうに。

 それもあるが、楽しいお食事会が台無しではないか。

 たとえ神域内に影響はないにしても、狐同士の戦いを鑑賞しながら飲み食いするのは気が進まない。

 嘆息した湊が箸を下ろした時、鯛めしを咀嚼し終えたスサノオが口を開いた。


「おい、ウカノミタマんとこのガキ。うっせェぞ」


 怒鳴ったわけではない、普通の声量であった。

 にもかかわらず、ツムギに躍りかかろうとしていた白い狐の毛が総毛立ち、凍りついたように動きを止めた。

 白い狐が恐る恐る斜め下方を見た。スサノオは背を向けている。

 ちらりと振り仰いだだけで、ふたたび飯碗に箸をつけた。


「ス、スサノオ様ッ! なぜこんな所に⁉」

「あァ? 俺がどこにいようが俺の勝手だろォ。――鯛めし、うっめェ。すげぇ味が染みてるぞ」


 スサノオに言われ、湊は目を瞬いて苦笑した。


「よかった。鯛がうまいのはもちろんだけど、炊飯器のおかげだよ」

「あれだろ、イマドキの炊飯器はあらかじめ米を浸水させる必要はないんだろ」

「そう、炊飯の工程に浸水が含まれてるからね。昔と違ってすごい便利になってるよ。って、詳しすぎでは?」


 まったり日常会話が繰り広げられる地上と違い、上方で白い狐が焦りまくっている。ツムギとの諍いを再開するわけにもいかない。


 なにせスサノオは、己が主であるウカノミタマの父神だ。


 箸を止めることのないスサノオが、再度不思議な声を白い狐に向ける。


「わかってんのか、いま真っ昼間だぞ。テメェらの争いが視える人間も少なからずいる。だいいち――」


 スサノオの身から神気が立ち上り、後方の景色が歪んだ。


「よそんちに迷惑かけんじゃねェ」


 ドスのきいた低音に、白い狐は震え上がった。


「も、申し訳ありませんでしたっ」


 来た時の倍の速度で南部方面へとすっ飛んでいった。

 ツムギは宙に座って浮かんでいる。楠木邸へ向かい、一度深くこうべを垂れると、己が住まい方面へと歩んでいった。



 二色の狐が去った空にはやわらかな風が吹き、野鳥が羽ばたいていく。青い空に映えるその姿が山の木立に紛れるのを見送った湊は、ほっと息をついた。

 やはり楠木邸近辺は静かでなければ。喧騒は御免こうむる。


「スサノオさん、ありがとうございました」

「おう。わりぃな、まだまだ青くせェガキんちょでよォ。いくら気になる相手だからって、ちょっかい出すにも限度があるよなァ」


 刺し身を口へと運ぼうとしていた湊の動きが止まる。


「あれって、そういう意味だったんだ」


 白い狐は、ツムギに気があるらしい。

 おそらくイチャモンをつけないと、構ってすらもらえないのだろう。それにしても手段がマズすぎると思いつつ、山神を見やると軽く鼻を鳴らされた。その細められた両眼から、気づいていたのは明らかだ。


「ツムギは物腰がやわらかくとも、気位はべらぼうに高い。赤子のごとき小童なぞ歯牙にもかけまいよ。果てしない力量差でもある。あの小童では、埋めるのにいかほどの時がかかろうか……」


 クククッと底意地の悪い笑い方を披露してくれた。


「ところで――」


 そう口火を切ったスサノオが石灯籠へと視線を流した。その柱の陰に身を潜めたエゾモモンガがいる。様子をうかがっていたようだ。


「あ、起きたんだ」


 湊が言うや、スサノオが顎をしゃくった。引っ張られたようにエゾモモンガが宙を飛ぶ。弧を描いて向かってきた白い小動物をスサノオは片手でつかみ取った。

 顔色を変えた湊が席を立つ。


「ちょっ、いじめないでくださいよ!」

「そんなことするわけねェだろォ」


 スサノオはエゾモモンガの後ろ首を摘み、目線に掲げた。

 神霊は怯えることもなく、真っ向からスサノオの目を見ている。


「お前は、ここでなにをしている」


 平坦な声で問われても、神霊は口をつぐんだままだ。

 神霊が声を発しないのはいつものことで、スサノオも何も言わないことから、念話で会話をしているのだろう。

 心配から立ち上がった湊であるが、二神を取り巻く静謐な空気に口を挟めなかった。

 横を向くと、山神が酒坏から面を上げた。


「そやつらは身内ゆえ、気にやまずともよい」

「身内⁉ じゃあ、神霊も神格が高いってこと?」

「そこそこぞ。我の足元にも及ばぬ」

「はあ、そうなんだ……」


 ふんぞり返る大狼には呆れるしかない。


「まぁ、身内ではあるが、かなり遠い。そやつはイザナミの子、カナヤマヒコとカナヤマヒメの系譜である。一般には二神の子であるカナヤコが、鍛冶に関連する神として知られておろう」

「ああ、だから火を扱えるんだね」

「左様」


 湊が着席して見上げると、スサノオが静かに神霊を見つめていた。


「――お前はもうガキじゃねェ、好きにすればいい。爺に新たな体をもらったんだからどこにだっていけるだろ。まァ、このまま爺のとこで世話になるのもいいだろうよ」


 話の決着はついたようだ。

 エゾモモンガは大きな黒眼を瞬かせ、身動ぎした。スサノオの手から逃れようと両手足をバタつかせるも、まったく歯が立たない。

 スサノオが目を眇めた。


「オメェ、いまだにまともに力が遣えねェのか」


 突然エゾモモンガが停止し、ボッとその身が炎に巻かれた。その黄色の炎はスサノオの手をも包んでいる。

 けれどもスサノオは眉一つ動かさない。

 ふっと息を吹きつけるや、たちまち炎は消し飛んでしまった。


「なっさけねェなァ、この程度かよ。ほれ、もっと抵抗してみろ」


 人差し指でエゾモモンガの腹部をつついている。

 またも炎が出現。その範囲を広げたり、温度を上昇させたりと神霊が必死になっているが、スサノオは嗤いつつ「ほれ、ガンバレガンバレ」とつつき回している。


 さすがにやりすぎであろう。

 湊が止めようとした時、スサノオの後方から忍び寄る影があった。鎌首をもたげた一体の蛇の口から舌が長く伸びる。ぐるりとエゾモモンガの胴体に巻きつき、スサノオの手から奪い取った。


『小僧、ええ加減にしとけや』


 扇状に広がる八つの蛇頭がスサノオを睨み据えた。


「んだよ、ちょっと遊んだだけだろォ」


 興が削がれたとばかりに肩をすくめ、食事を再開した。

 エゾモモンガはといえば、舌に巻き上げられた状態で、ガタガタ震えている。その真横に、赤いアギトが開いており、上下の牙がギラリと陽光を反射した。

 ぱっくんちょされることはなかろうが、絵面がひどい。

 思う湊のもとへスサノオの頭上を越え、エゾモモンガを巻き取った首が伸びてくる。


「あ、ありがとうございます」


 両手を差し出して受け取ると、エゾモモンガはその指にひしっと抱きついた。よほど心胆寒からしめたようだ。

 両手で包み込むように抱えながら首をめぐらすと、大蛇はにょろにょろと地面を這って縁側へと向かっていく。酒樽にたどり着くや、八つの頭を一斉に突っ込んだ。


『ヌフフフッ。やはりこれよ、これぇ〜』


 助けてくれてたヒーローは、どうしようもない呑んだくれぶりを晒していた。


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