12 新鮮な海の幸をいただく
『ぬぅ……。単に度数が高いだけではないか』
『わかっとらんねぇ。そこがええやん』
酒の海につかった蛇頭が、一つだけ上がって答えた。八つの蛇頭の中で話すのは、端に生えたこの一体のみである。
『相変わらず、馬鹿舌よな』
山神が鼻を鳴らすと、濡れていた毛から水気が飛んだ。
『なにを言うか。味より、強さよ。酔うにはこれが一番やしな』
一体が語る間も、ゴクゴクと喉を鳴らす音が複数している。七つの蛇体が波打つにつれ、酒の嵩が見る間に減っていく。一体が大口を開けて、威嚇した。
『お前ら、呑むの速すぎやろ!』
『その身は一つゆえ、どれで呑んでもよかろうて』
『あかんに決まっとる。酒いうたら、喉越しやんけ。それを楽しまんでどないすんねん!』
絶叫し、ひしめく頭の隙間に頭部をねじ込んだ。
「うっとうしい蛇を遠ざけるには酒が一番だ」
含み笑いをするスサノオは、大皿に切り身を盛りつけている。そこにはあらかじめ、海藻やら大根やら大葉やらのツマが置かれてあり、見栄えにまでこだわりが表れていた。
その大皿を受け取った湊は、ひたすら感心するしかない。
「結構マメだね」
「見た目も大事だからなァ」
いいことを言いながらも、その片手に握るのは、神剣である。
「剣じゃなかったら、もっとよかったのに……」
本心をつぶやきつつ、湊はスサノオから新たに渡された一尾の鯛を抱えてキッチンへと向かった。
炊飯器に鯛めしを仕込んだら、あとは待つばかりである。
調味料を持って庭に戻れば、コンロの網にズラリと貝が並んでいた。サザエ、アワビ、白ばい貝。同じ味付けをしようと、いずれの味も異なるから楽しめるだろう。
とはいうものの、つぼ焼きばかりでは飽きそうだ。
「白ばい貝は刺し身でも食べたい。あ、酢の物にしてもいいかも」
「いいねェ」
同意したスサノオがトングで巻き貝の位置を変えている。
醤油と味醂の合わせ調味料をたくせば、新たな食材を提示された。
「ああ、そういやァ、しじみもあるぞ」
「なんとっ、しじみ汁が飲みたい……!」
「つくればいいじゃねェか。砂抜きは済ませてあるからなァ」
「ありがてぇ……! でもマメにもほどがある」
高揚して告げたあと、真顔になった。
スサノオは軽く顎を上げ、トングをカチカチ鳴らした。
「だろ、恐れ入ったか。――ま、下処理したのは俺じゃねェけど」
「側仕えの方とか? もしくは漁師の方とか?」
「いや、俺の奥さん」
「お、奥方様」
まさかの名称に、湊は仰け反った。
そのうえ、どちらの御方なのか少々気になった。
スサノオには、后が二神いると一般的に言われている。
ヤマタノオロチから救われた悲劇のヒロイン――クシナダヒメと、山の神の娘たる――カムオオイチヒメだ。
湊は、好奇心からその真偽を山神に訊いたことがあり、真実だと教えてもらっている。
しかしスサノオはそこには触れず、縁側に置かれた紙袋を顎で示した。
「手土産を持参するのが常識だと言い張る奥さんたちに、のどぐろの一夜干しだの、出雲そばだのいろいろ持たされたから好きに食えよ」
「ありがとうございます……!」
「地酒もあるんだけどよォ――」
スサノオが湊の頭から足の先まで見やる間、湊があっさり言う。
「そっちはすみません。俺、酒が呑めない体質なんで」
「やっぱりそうか」
『なんやと!』
察していたスサノオの言葉と酒樽から一体の蛇頭がもたげられたのは、ほぼ同時であった。
『しゃ、しゃけが呑めんとはっ、しゃぞかし辛かろう……ッ!』
頭をふらつかせたヤマタノオロチの不明瞭な台詞は、湊には聞こえていない。
けれども、あの世の終わりを嘆くかのごとき悲愴な表情から、同情されているのは丸わかりであった。
「いえ、あの、俺は辛くないし、悲しんでもいないですけど……」
むせび泣くヤマタノオロチに湊だけが焦っていた。
さて、いよいよ念願の新鮮な魚介類を用いた昼食会である。
庭のテーブルに所狭しと置かれた皿の数々。それを囲うのは、山神、スサノオ、湊。ヤマタノオロチは縁側で高いびきをかいて爆睡中である。
湊はいつも通りコンロ奉行と化しているかと思いきや、スサノオが代役を担っていた。
「ほれ、爺。食べ頃だぞ」
山神の皿へと置かれたのは、白ばい貝のつぼ焼き。ぶくぶくと汁が煮立っている。
「うむ」
出来立てアツアツであろうと、山神は意にも介さない。己が爪を一本だけ長く伸ばし、器用に身を取り出す。なお身を取り外しやすいよう貝を押さえているのは、隣にいる湊であった。
まずはスンスンと素材の香りを楽しみ、かぶりついた。
「ぬぅ……。淡白な味わいなれど、この厚みのある食感はよき」
「バターソテーにしてもおいしそうだよね」
「うむ。それにしても、絶妙な火の通り具合である」
大狼が褒めると、スサノオはエビをひっくり返しつつ片側の口角を上げた。
「おう、ありがとよォ。エビも焼けたぞ、食えよ」
ドンと湊の皿に載せられた。
「ありがとうございます」
礼を述べる湊は終始笑顔だ。
来客がホストを務め、采配を振るっているが、湊は歓迎している。こういう仕切り屋の存在は、心底ありがたい。こだわりが強く多少口やかましくても、任せておけば食材が最高の状態で提供されるからだ。
湊はエビの殻をむきつつ、目線を上げる。そびえる雄大な御山が視界を埋めた。
海が近場にないにもかかわらず、山のそばで新鮮な魚介類をいただけるとは、なんとも贅沢なことだ。
至福だと思っていると、不穏な気配を察知した。
裏門方面の空から、光が猛スピードで迫ってくる。
「あれ、なんだろう……」
湊が手を止める中、二神は一瞥しただけだ。スサノオは刺し身を小皿の醤油に浸し、山神は酒を舐めている。二神の様子から、気にするような存在ではないらしい。
しかし気になって目を凝らすと、その正体に気づいた。
最初、光は一つに見えていたが、二つであった。
黒と白。色違いの狐である。ツムギと稲荷神の眷属であろう。懲りずにまた争っているようだ。
「我がここから追いやった程度では、なんの抑止にもならなんだか」
山神が深々とため息をついた。
「ツムギ、また南部のお稲荷様のとこの眷属と揉めてるんだね……」
「あれは一方的に突っかかってくるゆえ、相手をせざるをえんのであろうよ」
「ツムギが負けることはないだろうけど」
「むろん。あやつが負けることなど、万に一つもありえぬ。格が違いすぎるゆえ。とはいえ、全力で叩き潰すわけにもいくまい。手加減しながら相手をするのは、なかなか骨が折れるであろうよ」
山神はやや同情的だ。
「うむ、このイカ、コリコリの食感もさることながら、甘みも強し。たいそうよき」
むしゃむしゃとイカの刺し身を頬張っているけれども。
そんなやり取りをしている上空で、二匹の狐が争っている。
取っ組み合って、離れて、また衝突して。
「黒狐め! 何度言ったらわかる。我が領域に足を踏み入れるなと!」
「踏み入ってません。大幅に避けました」
「いいや、我の領域だった。南部全体が我が領域なんだぞ!」
「ふざけたことを言わないでください。たかだか眷属の一匹にすぎないあなたの領域なわけがないでしょう」
苛立たしそうなツムギが、大口を開けて迫りくる白狐を田んぼの方へと尻尾で弾き飛ばした。
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