19 神が与えたもうた試練なり

 


 まずは洗礼を受けるがよい。

 播磨が敷地をまたいだ瞬間、その頭上に神気が吹き下ろされる。

 ズドォンッと頭、肩、背中、脚に数十キロの荷重が加わった。

 されどその身体はゆるがず、完全に敷地内に入ることに成功する。


 間髪いれず『神の庭付き楠木邸にようこそ!』と歓迎の意を込められた重みが加算された。

 なれど播磨の顔つきは変わらない。


 非常にゆっくりながらも振り返り、両手で格子戸を閉めている。その所作に、一切の投げやり感、乱暴さはない。

 静かに、かつ丁寧に。普段通りの振る舞いをするべく細心の注意が払われている。



 座布団に横臥おうがしたままの山神が鼻を鳴らす。


「ほう……。耐えがたい重さを感じながらも、顔色一つ変えもせず常通りに振る舞うなぞ、なかなかできるものではないぞ」

「本当ですね。見上げた根性です」

「前回より重さを上げてるのにね〜。すごいすごい」


 山神、セリ、ウツギが感心している。


「飽きもせず、よくやる」


 ぼそりとつぶやいたトリカは、最後の一欠片にフォークを入れた。

 なお湊はキッチンでお茶の支度中である。




 一歩、また一歩、確実に前へ。

 播磨が家の脇に敷かれた飛び石を進んでいく。

 時折そこを踏み外してしまうのは、やむを得まい。庭までの距離――半分程度移動した播磨の身には、今や自分の体重の三倍近い重さが覆いかぶさるようにかかっている。


「どこまで耐えられるものか」と山神がやや遊んでいるせいだ。


 もちろん播磨は、今まで以上の神圧だと感じている。

 まるで泥の中をかき分け進んでいるかのように手足が重い。じわじわと牛歩の歩みの只中、脳内で目まぐるしく思考をめぐらせた。


 自分が何か粗相をしてしまったのだろうか。

 いや、もしかすると護符に書かれていた和菓子が手に入らず、急遽別の物を持ってきたせいなのか。

 激烈な神威の源が御座す縁側まで、まだ遠い。

 だが現段階ですでに手土産供物の中身に気づき、お気に召さぬという意味を込められているのだろうか。


 神の意向を汲み取れない。対処もできない。


 内心で焦りを覚えながらも、播磨は断じて表面には出さなかった。その矜持の高さゆえに。

 感情に任せて取り乱す姿を人前に晒すくらいなら、いっそ腹をかっさばく心意気の男であるからして。




 眷属たちは心ゆくまでチーズケーキを堪能し終えた。

 縁側に立つ湊の前に並ぶ彼らはいたく満足そうだ。

 後ろ足で立つセリが湊を見上げる。


「美味しいお菓子をありがとうございました。では、我らはおいとまします」

「めちゃくちゃうまかった。明日、御礼にうち御山のゼンマイが食べ頃だから持ってくる。それとも湊も一緒に採りにくるか?」

「じゃあ、明日いこうかな」

「我が朝から迎えにくるよ〜」


 片手を挙げたウツギに「よろしく」と告げると、三匹は裏門へと駆けていった。

 見送った湊の背後で、山神が両眼を細める。


「――ほう、今度も耐えるか」


 湊が振り返れば、大狼が底意地の悪そうに嗤っていた。

 妙に播磨が現れるのが遅いなと思ったら、山神が試練を与えていたようだ。


 最初の頃、播磨にほとんど見向きもしなかった山神だが、最近は何かと構っているように見受けられる。


「山神さんって、気骨のある人がお気に入りだよね」

「そうでもない」


 フイとそっぽを向いて答えながらも、その尾はふさふさとゆれている。


 が、その動作がピタリと止まり、鼻筋にシワを寄せた。


「ぬぅ、あやつめ、よろけおったわ。これしきの圧程度で……まったく情けないことよ。まだまだであるぞ」

「ひどいな。どんどん厳しくなっていってる……」


 しかしこれだけ山神に対し、礼節を忘れない播磨には、きっとそのうちいいことがあるだろう。

 相当気まぐれな神なれど、人の真摯な思いにはしかと応えるのだから。




 縁側に到着した時の播磨は、たいそうお疲れのようだった。

 やや服装が乱れ、モニターに映っていた人物と別人のようになってしまっていた。

 ややよろけつつ座卓につき、お茶を出したそばから、一気に飲み干すのも初であった。よほどの試練だったらしい。


 ようやく一息ついたそんな播磨を前に、湊は同情を禁じ得ない。

 まったく山神さんは、と責める意を含んだ視線を傍らの山神へと送る。


 が、なんの効果もありはしない。


 寝そべる山神は限界まで首を伸ばし、播磨の横に置かれた紙袋の香りを嗅いでいた。たしなめたところで、無駄なのはわかりきっている。

 ゆえに、そのまま放置する。お預けを喰らうがよい。



 何はともあれ、仕事の取引が優先である。

 湊が二つの護符の束を座卓に置いた。

 名刺サイズの和紙に書かれているのは、和菓子の名前と格子紋。播磨が『ちまき』と書かれた護符を見て目を細める。


 偶然にも、本日播磨が持参した手土産と同じ物だった。


 笹の葉で包まれた細長い棒状の和菓子である。

 中には、もっちり白い団子のみが入っている。ただの歯切れのよい甘い団子にすぎないと言ってしまえば、それまでだ。

 けれども、ほんのりついた笹の葉の香りから季節――旬を堪能できる味わい深い逸品である。

 山神のはがれない視線が何よりも雄弁に、ちまきのうまさを物語っている。


 そして奇しくも、紙袋に印字された店名と裏に記された店名は一致していた。


 先日、山神が地域情報誌にかぶりつき、しきりに唸り声をあげていたご所望の店のちまきになる。


「ちまきよ、焦がれておったぞ……! 実に実に大儀である」


 山神の抑えきれないよだれの水たまりは、徐々にその範囲を広げつつあった。


 まずい、急がねば。紙袋にまで到達してしまう。


 湊が胸中で焦る中、なぜか播磨は納得いかなそうな表情になった。


「播磨さん、どうかしましたか」

「……いや、どうもしない」


 ややバツが悪そうだ。おそらく自分の心情を相対する者に悟られるのは、不本意なのだろう。

 一年近く関わってきたおかげで、人となりがわかった今、容易に知れるのだけれども。


 そう思いながらも湊はおくびにも出さない。

 こちらも長年接客業をこなしてきており、相手の意に沿って柔軟に対応を変える程度、造作もなかった。

 一度でも否定されたなら、それ以上踏み込むような無粋な真似はしない。



 護符を手に取った播磨が、一枚ずつ確認している。


「また力が上がったようだな」


 どこか誤魔化すような物言いであったが「そうですか」と無難に返した。


 とはいえ湊は、内心そこそこ喜んでいる。

 自ら護符の効果は視れないうえ、山神も毎回細かい説明はしない。ゆえに、自分の努力が実っているのだと、第三者に認めてもらえるのはうれしかった。


 播磨が格子紋の護符を見ている。先ほどよりも時間をかけて。


「ほぼ、祓いの力を閉じ込めきれてる」

「はい、そっちはですね」


 りすぐりの護符だった。

 湊が、もう一束の護符を取り出した。


「こっちは失敗してしまった物なんですけど」


 眼鏡越しの真剣な目が、湊の手元を探るように見た。


「確かに。下のほうが、より力が漏れ出ている」

「近くで見なくてもわかるんですね」


 つい手元へと視線を落とした。

 されど、どんなに目を凝らしても、やはり視えない。


「――それで、これなんですけど、播磨さんが遣う分には、問題ないですよね?」

「もちろん」

「じゃあ、おまけということで、これも持っていってください」


 ほい、と気軽に差し出した。その厚みは、他二つの倍以上ある。

 播磨が険しい顔つきに変わり、手をかざす。


「いや、もらうわけにはいかない。規定の金額を払わせてもらう」

「お金はいいですよ、失敗作ですから」

「だめだ。タダでもらえるような代物じゃない」

「いえ、もらってください。いつもお菓子たくさんいただいてるので」


 山神の気まぐれに付き合ってもらっている詫びでもある。是が非でも受け取ってもらわねばならぬ。


 もらってください、いやもらえん。

 いつぞやの反対の攻防が繰り広げられる。播磨も強情だ。頑として引こうとしない。


 さすれば山神が両眼を眇め、垂れ流し状態だったよだれも引っ込めた。


「早う、受け取らぬか」


 唐突に神託がくだされた。

 そのやや焦れた響きは、大気をもゆさぶる。


 護符の束を押し付け合っていた播磨だけが凍りついた。その顔は驚愕に染まっている。初めて山神の声を聞いたからだろう。しかも間近で、だ。

 さぞかし、心臓に悪い思いを味わったに違いない。ご愁傷様である。


 それにしても『早う』とは、困ったものだ。

 さっさと受け取り、帰るがよい。そんな本音を多分に含ませたあげく、早口だった。自らの欲望に忠実すぎる。

 だが、これぞ神の声だと知らしめる威厳のあるよき声でもあった。


 ともかく、播磨が一時停止している今のうちだ。


 湊がすかさず動く。

 最初の二つの束で失敗作を挟み、一つにまとめ、すちゃっと播磨の前に置いた。

 居住まいを正し、晴れやかな、しかしどこかうさんくさい笑みを浮かべる。


「失敗作はおまけですから、お気になさらずに。次回もどうぞうちをご贔屓にお願いします」


 神の思し召しぞ。これ以上、拒否はできまい。

 案の定、播磨は姿勢を正した。


「ありがたく、いただく」


 手本のごとき、美しい礼をして素直に受け取った。

 播磨から代わりに真白の和紙を渡される。


「以前渡した筆は、まだ使えているか?」

「はい、まったく問題なく使えています」


 その都度、神水で手入れを欠かさない筆は、今なお支給された時の状態をほぼ保っている。

 それはさすがに言えなかった。

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