30 その目でしかと視よ
湊の目には悪霊、神の類いなどの特殊なモノはほとんど映らない。
強いモノなら辛うじて視える程度にすぎない。
神の類いの場合は、向こうが姿を見せてくれなければ、見ることもできない。
それを神は一目で看破してしまう。
風神と雷神も告げたことはないにもかかわらず、百も承知のようだった。
ご多分に漏れず天狐もそうなのだろう。
「不便は不便ですね。視えたほうが異能の力を上げるためにも役立つだろうと思います。でも、視えないほうが幸せなのかもなと思ってもいます」
湊は苦笑しつつ、正直に告げた。
山神曰く、死せる魂がこの世への未練を断ち切れず、堕ちて悪霊になるという。
ならばその悪霊を目にしてしまえば、無視できない可能性が高い。視えていながら、視なかったことにするもできず、本来なら負わずにいられたであろう苦しみを背負うことになるかもしれない。
いや、十中八九負う。負うに決まっている。
自分の性格は、自分が一番よくわかっている。容易に想像がついた。
「正直者はわらわの好むところじゃ」
うむうむ、と天狐は頷く。
「しかしここでわらわの力を出して、ここら一帯を明るく照らすのもなんじゃしな。ソナタの目を弄ったほうが早いかの」
天狐の背後でゆれていた一本の尾が、ぷわっと本数を増す。
九本の尾を団扇のようにあおぐと光が集約し、小珠と化した。
ピンポン玉サイズなれど、直視できないほどの光度を誇る。
いったいそれはなんだ。目を弄るとはどういうことだ。今でさえ直視できぬ光度なのだが。
疑問しかない湊は、たじろぐしかない。
そうして尾がぶわさっあおがれたと同時、それが吹っ飛んできた。
湊の顔面前に迫ると弾ける。
目を灼く閃光に片腕で目元を覆った。
「ふぅむ、少し明るすぎたかの」
悪びれてもいなさそうな声だ。
「――ひどい」
神は、傍若無人で、身勝手極まりないモノ。
もちろんよく知っている、慣れてもいる。身近にいる神々、主に山神のおかげで。
やるせないため息を吐いた湊が腕を下ろし、瞬く。
なぜか視界が良好だった。
あたりは昼間と遜色ない。ここにたどりついた直後より、はっきり周辺が見えた。
「なんで……?」
呆然となったのは、それだけではなかったからだ。
黒い霧が湖の半分を覆っている。その真ん中がドス黒く、そこから噴き出しているのだと知れた。
さらに、天狐の体越しに、雲に似た黒煙状のモノが視える。それらを目にするだけで、本能的に嫌悪感が湧いた。
いつもぼんやりと視えるモノとは格段に違う、明確に存在を主張するモノたち。
それらが、悪霊なのだとまざまざと感じ取れた。
湊がふさふさと尾をゆらす天狐を見やる。
「わずかな時間だけ視えるようにしたんじゃ。耐性のないソナタには、少しばかり視えすぎるやもしれんが、視えないよりかはマシじゃろ」
「ありがとうございます」
「よいよい。わらわに蕎麦稲荷も献上するがよいぞ」
「明日、持っていきます。……そういえば、いま神事中ですかね」
「――知らなんだか。あと二日は続くぞ。わらわがソナタのもとに出向くから、もてなすがよい」
「わかりました」
機嫌よさげに宙返りした天狐が、湊の後方に回った。
これで視界は拓けた。
悪霊、瘴気が視えているなら、楽なものだ。
そして、ついでにとばかりに、護符の光まで視えていた。
そのことにようやく気づいた湊は、ついまじまじとメモ紙を視てしまう。
確かに山神が言っていた通り、墨で書いた字が翡翠色をしている。
だが、非常に淡い光だ。
「これのどこが暴力的な光なんだろう……」
「そちらはあまり視えないようにしておるからじゃ」
「そうなんですか?」
「人間の目には、まばゆすぎるからの」
「そ、そこまで……?」
「それより、早く祓ってしまえ。空気が悪いうえ、やかましくてかなわんのじゃ」
「やかましい? 静かですけど」
ざっと周囲を見やる背後で、天狐が苛立たしげに尾を振る。
「ソナタには聞こえない悪しきモノの声じゃ。ほらほら、湖のやつを先に始末せよ」
「はい」
おそらくあえて耳はそのまま、聞こえないようにしてくれたのだろう。
湖の右側、その中央――瘴気で黒ずむ円になった部分を見やれば、水面から細い脚が出てくるところだった。
何本ものその脚は、アメンボ、あるいは蜘蛛に近いだろう。その一本のみで、湊と同等の大きさはある。
それらが這い出てくる様に、鳥肌を立てながら護符を風に流す。一直線に飛んでいく翡翠の塊が、瘴気を引き裂き、元凶に到達。すべての脚が膨張、爆発した。
そうとしか視えなかった湊が、軽く目と口を開ける。
あっさりと散り散りになって消えてしまった。
そのあと追い風が吹き、金色をまとう神威が波状に広がり、浄化していく。
ほんのわずかな時間で、おぞましい虫のようなモノなど最初から存在していなかったように、凪の湖面が残るだけになった。
「――こんな風になるんだ」
衝撃だった。
自らなしたことながら、ただただ驚きでしかなかった。
「さあ、次は、向こう岸を祓うんじゃ」
天狐が顎で示す指示に従い、風を操って護符を向かわせる。風が走るたび、扇状に波紋が広がり、瘴気が晴れて清らかになっていく。
「翡翠のあとから金の光が追いかけていくように視えるんですけど、あれは?」
「ソナタの身近に鬱陶しいほどその光を放つやつがおるじゃろうに」
「あれ、山神さんの力なんですね……。ああ、神水に山神さんの神力が入っているおかげか」
「そうじゃ。ソナタの力は祓うだけでその場を清める力はないからの。あやつの神力で清めておるのじゃ。まったくあやつもよくやるのぉ」
最後の小声で漏らされた呆れは、湊には聞こえていなかった。
風は瞬く間に向こう岸へ達する。
そこには小屋がある。
一見、その小屋は黒い材質で建てられているようだった。ところが、じっと凝視すれば、違うと気づく。
小屋全体に数多のミミズに似た黒いモノがびっしりとまとわりつき這い回っていた。
うぞうぞと小屋の表面がうごめいている。
身震いした湊が思わず両目を閉じ、二の腕をさする。生理的嫌悪が半端ない、鳥肌も収まらない。
天狐がやや同情的な雰囲気を醸し出した。
「初めて視るのがアレらとはソナタも運がないのぉ。いや、わらわのせいじゃが……少し
「――いえ、この暗さでは視えないとかなり不便でしたので……」
言い回しがやや気になったものの、今は視えるほうがありがたいことに変わりはない。感謝しこそすれ、文句はなかった。
薄目の湊が小屋を見据える。
もう護符はない。狙いを外すわけにはいかないのだから。
風の速度を上げる。
くるりと回転した護符が、小屋に叩きつけられた。まるで害虫を叩き潰す勢いは、湊の本心を雄弁に物語っていた。
うごめいていたモノたちが弾け飛んだのと、ドンッと腹に響く音がほぼ同時に起こる。
まずは衝撃波が湊と天狐のもとに届く。遅れて湖面が大きく波打った。
足元にちゃぷちゃぷと波が打ち寄せた頃、とっさに顔面をかばっていた湊は両腕を下ろす。
その背後の中空で、天狐は満足そうに微笑んでいた。
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