7 陰陽師来訪す


 緑鮮やかな美しい日本庭園を前に、萎れた青年が陽光で温められた縁側に座っている。

 隣にいる湊より少し歳上だろう。

 姿勢はよくとも、若干スーツはよれている。


 目鼻立ちの整った顔は、すこぶる顔色も悪い。

 さながら仕事に疲れ果てたサラリーマンといった風情である。


 あまりの初対面時との違いに、湊はその横顔を怪訝に見つめている。

 その面持ちは血色がよく健康そのものだ。


 対照的な青年たちの背後で、姿を消して横たわる山神が面白そうに眺めていた。




 急に訪問してきたのは、いつぞや商店街で行き合った男だった。

 表門前に幽鬼のごとく佇む姿を目にした湊は、戦慄しながらも即座に何者かを思い出した。


 すぐさま見るからに歳上の相手に畏まり「あの時は馴れ馴れしくて申し訳ありませんでした」「いえいえ」という紋切り型の謝罪と挨拶を済ませた。


 とりあえず庭へと案内すると、男が雅な庭園を見て足を止めてしまう。

 一体何にそんなに驚いているのか、湊には理解しかねた。声をかけ続け、ようやく腰かけさせて、今に至る。


 二人のあいだに置かれたお盆の上、水滴をまとうグラス中の氷が、カランと涼やかな音を立てた。

 そこそこ長い時間庭を眺め、深呼吸した播磨と名乗った男が湊に向き直る。

 心なしか生気が戻ったようだ。


 そうだろう、そうだろう。うちの美しい庭を前にいつまでも陰気臭い顔などしておられまいて。

 湊は胸中で深く納得しながらも何をいわれるのかとかすかに身構えた。


「俺は陰陽師なんだが」


 単刀直入。真剣な顔で何をいい出すかと思えば、今やファンタジー職業である陰陽師らしい。


 背後に山の神、前方の池には小亀。

 人ならざるモノたちと不思議現象慣れした湊にとってこの程度では、さして驚きもしない。


 顔色一つ変えず、視線で先を促す。


「先日、悪霊を祓ったのは君の力だろう」

「……らしいですね」


 自覚もなく、視たこともなく、実感はない。

 誤魔化したところで意味はないだろう。

 男は視えていたからこそ、わざわざ己を探してここまでやってきたのだから。


 他人事のように話す湊に、播磨は口許を引き結び形容しがたい顔をした。

 やるせない何かを飲み込んだように。

 次いで苦々しげに渋面を作る。


「ここのところ悪霊が多すぎるせいで、我々陰陽師の手が足りていないんだ。元々、祓える者が少ないというのもあるんだが」

「そう、なんですね」

「あの時、君は悪霊が視えていないようだったが綺麗に祓っていた。心当たりは?」

「はあ、どうも俺が書いた物が祓っているみたいですけど」

「その護符を売ってもらえないだろうか」

「ごふ?」


 咄嗟に理解できず、オウム返しになってしまうと、背後から忍び笑いがした。


「護符とはいい得て妙よ。お主の字が書かれた紙がほしいらしいぞ」


 山神が親切に教えてくれた。

“護符”という単語を日常生活で使わないため、すぐには理解が及ばなかった。


 湊には当たり前のように視えて聴こえている山神の言動だが、播磨は多少背後を気にするそぶりを見せたものの、視えても聴こえてもいないようだ。

 湊以外には視えないとは本当だったらしい。

 山神への信仰心が地味に上がった湊であった。


 播磨が上着の内側へ手を入れ、分厚い財布を取り出す。


「言い値で買おう」

「ただの買い物メモを?」

「か、買い物メモ?」


 思わず告げてしまえば、播磨が顔をひきつらせた。


 いい臨時収入になるかもと一瞬浮き足立ったが、大した額になりそうにないとすぐさま冷静になる。


 元がメモ紙、ただ文字をつらつら書いただけ。

 インク代も知れたもの。

 さほど元手もかかっておらず労力も使わず、ぼったくるなぞできようはずもない。良心が痛む。


「一枚、一円にもならないような気が……」

「かいもの、メモ……?」


 播磨はどこかへと意識が飛んでいるようだ。

 額に手を当てて俯きうわ言のように「嘘だろう、なんで……」と呟いている。


 陰陽師なるものにどうやってなるのか知る由もないが、修行なりなんなり努力、苦労があるに違いない。

 それに引き替え、なんの努力もなしに文字を書いただけで祓える湊に対して思うことがあるのだろう。


 どうにもできない問題だ。

 せめて己を頼ってきたのなら、力になってやりたいとは思う。


「いや、待てよ。気持ち次第なら……思いを込めれば、強い紙になって価値が上がったりするとか……?」


 もらえる物はもらっておこう精神は譲れないけれども。


「気合を入れて綴ってやればよい」


 愉快げに山神が口を挟んだ。


 湊は不意に気づく。出かけるのは買い物時のみ、山神というありがたい話し相手もできて、暇潰しに字を書くこともなくなったと。


「よし、久々に頑張って書きますかね」


 ようやくグラスへと手を伸ばした播磨を後目に、ポケットからメモ帳を引っ張り出した。

 走り書きではなく、一言一句、丁寧に綴っていく。


「黒糖饅頭、栗饅頭、今川焼き、草団子、桜餅」


 山神がつらつらと上げ連ねていく好物を。


「こし餡派、と」


 呟きながらペンを走らせる湊の手元を横目で見ていた播磨が、茶を庭へ向けて噴水並みに噴き出した。


 驚いた湊が顔を上げる。


「……大丈夫ですか」


 無言で頷きながら、播磨はハンカチで口許を押さえた。

 書けば書くほどメモ紙から放たれる祓いの力がこもった翡翠色の光。

 ただの文字。

 なんの修行も、鍛錬もしていない一般人が和菓子を書いたメモ紙がだ。


 凄腕の陰陽師が呪を込めに込めて書いた文字や図でも、ここまでの威力はない。見たことすらない。


 ハンカチで隠れた口から、乾いた笑いがもれた。


「そこまでにせよ」

「あ、うん。あれ、なんだろ……?」


 山神から制止がかかった直後、強い眠気を感じた。


 以前、山神へ祈りを捧げたあとも奇妙に疲れを感じていた時と同じ感覚であった。


 結局、五枚程度しか書けず、腕も怠くてこれ以上書けそうもない。

 決まり悪そうに湊が後首を掻いた。


「少なくてすみません」

「いや、十分だ」


 なるべく丁寧にメモ紙を剥がして渡せば、両手で恭しく受け取られる。

 まるで宝物を扱うかのような懇切丁寧な手つきで財布の中へ仕舞われ、妙にくすぐったい気持ちになった。

 湊にしてみればただのメモ書きにすぎないのだから。


 そうして、代わりに出てきたのは、万札の薄い束。


 目の前に差し出されたその厚みは、十枚以上確実にあるのが容易く見て取れた。


「嘘だろ」


 思わず、素が出た。

 焦ったり、驚いたり、憤ったりすると、丁寧語がいとも簡単に外れてしまう。

 気を抜くと瞼が落ちそうなほどの眠気まで、ふっ飛んだ。


 よもやわずかばかり丁寧に書いた、たかだがメモ紙がここまで価値がある物と見なされるとは思いもよらなかった。


 まじまじと陰陽師の顔を見た。

 真剣そのものである。

 からかう気など露ほどもなさそうだ。


 播磨が早くしろとばかりに札束を突き出してくる。

 両手を胸の前にかざし、激しく首を振る。

 全力で拒否の構えを取った。


「いやいや。そんな大金受け取れないって。いくらなんでも多すぎる。見てただろ、ただ何気なく書いただけだって。それにこのメモ帳もすっげえやっすいやつだから。三冊セットで百円程度のお買い得品だから。ちょっと調子に乗って、一枚三百円くらいになればいいな、ぐらいの気持ちだったんだけど!」

「相応だ。いやこれでも少ないだろう。すまない、これほどのものだとは思っていなくて。今は持ち合わせがこれだけしかないから、後日改めて――」

「なに言ってんの!?」

「とりあえず、今日はこれだけでも受け取ってくれ」


 厳しい面持ちで押しつけてくる。

 この陰陽師、やけに押しが強い。


「受け取れ」

「無理」

「いいから」

「もらえるか!」


 しばし攻防を続けていれば、背後から盛大なるため息がつかれた。


「受け取っておけ、その男は引かぬ」


 山神からの口添えもあり、「もう十分です。これ以上いらないです。持ってきても受け取りませんよ」と言いながら、もらっておくことにした。けれども。


「さすがに申し訳なさすぎる。ちょっと待っててください」

「……ああ」


 いったん家の中へと入り、ペンを取ってきた。


「手を貸してください」と言えば、素直に片手を出してくる。


「あんまり効果は変わらないらしいけど、一応これで」


 きゅきゅっと手の甲に油性ペンで図を描き上げる。


「陰陽師と言えば、やっぱり五芒星でしょう。思いを込めまくって書いたんで、どうですかね」


 手の甲に星印、晴明桔梗紋がくっきりと刻まれた。

 しかもちょっとやそっとでは消えない頑固な油性インク製である。


 湊には視えていないが、翡翠色の光を放つ強力な祓う力が込められている。


 半開きの口で茫然となった播磨に反し、湊は満足げに笑い「すげぇ、眠い……」と油性ペンを持ったまま緩慢に目許をこすっていた。




 どこか黄昏た風情の陰陽師は帰っていった。

 急激な睡魔に襲われた湊は縁側でうたた寝をしていた。

 ふと目を覚ませば、亀に真横から顔を覗き込まれている。


「うおっ」


 思わず仰け反った。

 あたりを見れば夕暮れも近く、幾重にも色を変えた空が広がっていて、随分長い時間寝てしまったようだった。


 起き上がり、腕を天井へと向けて伸ばしていると、小亀が期待のこもった視線を寄越してくる。

 亀は言葉も鳴き声も発しない。

 山神の通訳がない時は、首を振ることで答えてくれる。

 時間も時間だ、もしかして酒の催促だろうか。


「どうかした?」


 小亀が庭へと首を長く伸ばす。

 何事かとよくよく観察すると、見慣れないひょろりと細い木が一本あった。


「あれ……この前、植えた種の木?」


 縁側を下り、小径を渡って若木へと近づいていく。

 昨日まで芽も出ていなかったけれども。


 そこには湊の目線の高さまで急成長した木になっていた。

 青々とした若葉がまばらに繁っている。


「もうこんなに……神様の力のおかげか。すげぇとは思うけど、こんな急激に伸びて栄養は大丈夫なのか」


 足元の小亀が細い幹を労うように撫でた。

 新たなお仲間、神木クスノキを前に、「とりあえず、水! 水あげよ」と一人と一匹が慌てふためく様を、縁側から寝起きの山神が大欠伸をしながら眺めていた。

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