2 多様なご近所さん
が、誰にも見られておらず、三名の女性は大きく目を見開き、翁を凝視していた。
「――どうして、そう思われるんですか?」
湊が問うと、翁はにやりと笑った。
「ピンクのリボンの麦わら帽子を被ったカカシはな、儂がつくったからだよ。そして田の神様に奉納したのも儂だからだ」
「ああ、いわれてみれば、見覚えがあったかも……?」
中年女性は思い出そうとするように虚空を睨み、裏島は杖を握り直して翁を見た。
「そういえば、今年はあなたのお宅でしたね」
湊が不思議そうにしていると、翁が説明してくれた。
「毎年、田を持つ者たちが持ち回りで田の神様に捧げるカカシをつくっとるんだが、今年はうちが担当だったんだ」
「ああ、そうだったんですね」
田神から毎年カカシを奉納されると聞いていたが、毎回作り手が異なることは初耳であった。しかもこの眼前の御仁が今の田神の体をつくったというのならば、妙に感慨深かった。
翁の話しぶりからして、己がつくったカカシに神が宿るのは知らないようだけれども。
これは漏らしていい情報なのかわからないため、湊は言わなかった。
「去年までカカシはだいたい網代傘だったから、麦わら帽子にしてみたんだ。ピンクのリボンはしゃれとるだろ」
翁はたいそう自慢げである。
「――そうですね、とてもお似合いでした。あっ、いや、えーと、田の神様にカカシを捧げる時ってどんな感じなんですか?」
言い訳がましかったが、純粋に興味もあって訊いた。
翁は笑みを浮かべ、嬉々として教えてくれる。
「細かい説明は省くが、流れは簡単だ。家に新しいカカシと食事を用意して、田の神様をお迎えする。実際に田の神様がおいでになったかどうかは儂らにはわからんが、いらっしゃるように振舞うんだ。そして一緒に食事したあと、手を合わせて目をつぶる。しばらくして目を開けたら、カカシは消えとる。――それが、田の神様が持っていった証だと言い伝えられとるよ」
なんだそれは、と湊は瞠目した。
一方、他の三名は驚くこともなく、そうそうと頷いている。
こちらも十二分に奇妙な現象――むしろ怪異現象だとしか思えないのだが、彼らは恐怖を抱くこともないらしい。
その土地ならではの風習で片付けていいものなのか。
思いながら、気になった事柄もあった。
「――そうなんですね。あの、去年捧げたカカシは戻ってこないんですか?」
「ないな。いままで一体も戻ってきとらん。そういうもんだと代々聞いとるよ」
湊は悟った。カカシの行列の正体を。
田神の歴代の体なのだ。
地元民が捧げてくれた幾体ものカカシに違いない。
「それにしたって、どうして田の神様はカカシを並べるんだろうねぇ?」
裏島が不思議そうに言い、またも湊は気づいてしまった。
おそらく田神は、行き遭った者にカカシを自慢しているのではないだろうかと。
田神は人に興味をもち、積極的に交流を図りたがる神である。
しかしいかんせんややズレており、かつ不器用なため、なかなか人々に理解されにくいのだ。
とはいえ田の神の仕業とわかれば、場は和やかになった。
「田の神様の目的はなんだろうなぁ」
「ねぇ? なにかおっしゃりたいことでもあるのかしら?」
会話が弾み出したから、余計なことは言わないことにした。
田神は一応、地元民に受け入れられているようだ。
が、彼らとの直接交流は、もう少し時間がかかりそうである。
思う湊の後方で、風もないのにケヤキがカサカサと梢をゆらした。
◇
神社を離れ、楠木邸へ向かっている最中であった。
「ミナト~!」
と弾んだ声で呼びかけられ、後ろから飛びつかれた。
「うわっ」
驚いている間にも、それは背中を駆け上がり、肩を乗り越え、腹側へ回る。慌てて、その小さき身を支えた。
つぶらな眼で見上げてくるのは、キタキツネカラーの子狐であった。
「数日ぶりなんだじょ!」
「――メノウ、元気だね」
「もちろんなんだじょ」
まだ細い尻尾を縦横無尽に振って応えてくれた。
この子狐は、天狐の眷属である。
先日、楠木邸に天狐とともにやってきた、やんちゃな子どもというより、赤子といっていい月齢であろう。
なぜそんなちびっこが、ここにいるのだろうか。
まさか脱走してきたのではなかろうな。
危機感を覚え、さりげなく逃げないよう両脇をつかんだ。
「まさか、ひとりでここに来たんじゃないよね?」
「違うんだじょ」
「それこそまさかなのです。ありえないのです」
メノウの声にかぶさって聞こえたのは、ツムギの声であった。
振り返る前に、横に並んできた。黒いその狐の体は相変わらず地面ではなく、宙を歩いている。
「メノウは、産み出されてまだ十日も経っていないのです。本来、こんな幼いうちは神域から出さないのですけど……」
「いまから御姉様と一緒にお役目に行くんだじょ!」
「といって聞かないものですから、連れてきたのです」
はぁ~と深いため息をつくのを見てしまえば、ついメノウをじっと見下ろしてしまった。
メノウは顎を上げた。
「これは、ワレのわがままじゃないんだじょ。主の命なんだじょ!」
「そっか。天狐さんの命令ならね……」
と言うしかなかった。メノウは嬉々として、頭を差し出してくる。
「今日のお役目はワレの初仕事なんだじょ。だからミナト、ワレをよしよしして応援するんだじょ!」
「はいはい、頑張れ頑張れ~」
と頭から背中までわしゃわしゃとなでまわしつつ、ツムギを見やる。
「ツムギ、お役目ってどんなことをするのか訊いてもいい?」
「はい。ちょっとそこまで、悪霊を祓いに行くのです」
コンビニにでも出かけるような気軽さで言われ、湊は一瞬呆けた。
「――ああ、そうか。ツムギの所は神社だから、そういう依頼もあるんだね」
「そうなのです。普段はあちらから神社にくるのですが、憑かれているのが高齢者のようなので、こちらから出向くことになったのです」
その者が心配ではあるが、ツムギが急いでもいないことから緊急でもないのだろう。
そして湊はふいに思い出した。
先日、方丈町南部に赴いた際、道端で北部稲荷神社の宮司の噂を聞いたことを。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、ツムギの所の宮司さんは悪霊絡みにめっぽう強いらしいね?」
「ええまぁ、そういう風に装っているのです」
ツムギは、いたずらっ子のように笑った。
「――その言い方なら、ツムギが祓ってるってことか」
「そうなのです。その方が都合がよいのです。神社も商売ですから」
納得できる理由であった。神の眷属が直々に祓っているなど大っぴらにできやしまい。
「じゃあ、宮司さんは祓えないんだね」
「はい、面目ありません」
突然背後から声がして、湊は飛び上がりそうになった。
頭が吹っ飛びそうな勢いで振り返ると、男性が真後ろにいた。
三十代後半であろう、肩の厚い偉丈夫だ。
これといって特徴のない白系の衣服を着ているが、動作がゆったりとしており、まとう空気が独特であった。
何しろ、ここまで接近されてもまったく気配を感じなかったのだ。さも神に仕える者といった風情である。
とはいえ、たしかに霊力はない。
霊力を有する者は、微量ながらも常時その身から霊力を発している。男性にはそれがなかった。
湊はここ最近、陰陽師播磨やその親族、退魔師葛木角之丞と会ったことで、その見極めができるようになっていた。
「この男は、北部稲荷神社の宮司なのです」
ツムギに紹介され、はじめましてと言った宮司は人好きのするやわらかな笑顔を浮かべた。
が、その目だけが裏切っている。鋭い眼光で見据えられた。
――妬まれている。
そう強烈に感じ、湊はメノウを抱え、少し身体を引いた。
苦手だ。
この手の感情をむき出しにされ、向けられるのは。
すぐさま隣のツムギのまとう神気が冷たくなった。
「宮司、湊殿になんという感情を向けるのです!」
刺すような鋭い声で注意されるや、宮司は青ざめ、がばりと頭を下げてきた。
「まことに申し訳ございませんでした!」
潔い切り替えであった。
が、すぐさまその面を上げ、噛みつくようにツムギに言う。
「ですが、この方はなにゆえそんなに御姉様とメノウ様と仲がよいのですかな!?」
素直な性質なのだろう。それなりにいい年齢だろうにとも思うけれども。
「わたくしがしばしば、湊殿のお宅にお邪魔するからなのです」
「な、な、なんですと!? 私の家には遊びに来てくださらないのに!?」
寝耳に水だったようで、宮司はのけ反るほどたまげている。ツムギも宮司に負けず劣らず素直――歯に衣を着せないため、本音をぶちまける。
「あなたのお宅は、気が休まらないのです」
「し、静かにせよと仰せなら、そのようにいたしますぞ!!」
そんなやりとりを冷めた眼で見やるメノウが、こそりと耳打ちしてきた。
「あの宮司は、主に惚れているんだじょ」
「――なるほど?」
「あの手この手を使って御姉様に取り入り、主と逢おうとするんだじょ」
「それはそれは……」
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