3 キミが望むのならば




 山神が盛大に嘆息する。


「粗忽者め」

「張り切っているせいか念話も通じないようです」


 額に前足を当てたセリがうつむいた。腕を組んだトリカは呆れながらも穏やかな声で告げる。


「まぁ、ともに記事を眺めていたウツギもわかっているだろう。土佐家の特集記事を組めというわがままな要求をな」

「それだけではないわ。阿波あわ本店と薩摩楼さつまろうもぞ」

「少しは遠慮しろ」


 苦々しげな山神の言をトリカは斬って捨てた。

 そんな山神一家の一連のやり取りを見ざるをえなかった湊は空笑いをした。

 一方、知り得なかった播磨だったが、いまだブツブツと文句を垂れている山神の足元、開いた情報誌を一瞥し、


「次はその土佐家の黒糖まんじゅうを持ってくる」


 しれっと湊に伝えた。縁側の気温が上昇し、風も強くなったが、播磨は澄ました面持ちで湯飲みを傾けた。


「いつもありがとうございます」


 播磨さんもだいぶ馴染んできたな、と湊は内心でほっこりしている。

 かれこれ一年以上の付き合いになる。この摩訶不思議な空間である神の庭と、理不尽な山神にもいい加減、慣れもしよう。

 無事に護符の確認が済んだ播磨は、やや言いにくそうに切り出した。


「少し訊きたいんだが……。キミがいうところの失敗作はあるか?」


 前回、祓いの力を閉じ込められなかった物を失敗作だからタダでどうぞと、おまけで渡していた。

 もらえん、もらってくれと一悶着あったがそれはそれ。


「はい、数枚あります」

「そちらも売ってくれないか」


 切実な響きがあった。今回の護符の枚数はいつもより少なかったからだろう。

 湊はここのところやや疲れを感じていたから、無理からぬことだった。

 ともかく前回のように失敗作をおまけだと押しつけても、埒が明かないのはわかりきっているため、半値で妥協してもらった。

 護符の束をバッグへしまう播磨は安堵しているようだった。


「また忙しいんですか?」

「ああ、少しな」


 続けて辞去の台詞を口にした播磨は、低い声で忠告してきた。


「このあたりは問題ないだろうが、もし南部方面にいくことがあれば、気をつけてくれ」


 先刻、ウツギが向かったのはそちらだ。

 ちょうど雨脚も強くなり、遠くで雷鳴が鳴った。

 不安を覚えた湊は、そちら側へ顔を向ける。

 南部上空を覆う雷雲に稲光が枝分かれして走った。同時、一条の落雷を背景に、白い塊が駆け込んでくる。


「たっだいま〜、かの者に伝えてきたよー! ちょうど憑かれそうになってるとこだったからさ、始末してきたよ〜!」


 雷鳴をかき消すように陽気に告げたウツギは、クスノキの上で宙返りを披露してくれた。なんの心配もいらなかったらしい。




 梅雨らしい土砂降りの中、播磨は去っていった。

 場違いな春の陽気に包まれた縁側では、山神と湊はまったりお茶を楽しんでいる。眷属たちも自宅に戻っていた。


 湊が見上げる空は鉛色をして、雨がやむ様子はない。その勢いはまるで、家から出さないと言わんばかりだ。


「いよいよ梅雨本番って感じだよね」

「しばらく降り続けるであろうよ」


 羊羹を頬張る山神から天気予報のお知らせである。


「山神さんの予想は外れないからな……。じゃあ、山神さんちの登山道を見にいけるのは、かなり先になりそうだね」

「うむ、賢明である。悪天候の中、険しい山に入るなぞたわけのすることゆえ」


 山神は楽しげに羊羹を舌の上で転がしている。

 いまの湊には、雨による強制的なおこもりは、かえってよかったのかもしれない。


「しばらく、ゆっくりしようかな……」

「それがよき」


 ゴロンと横になった湊は、すぐさま寝入ってしまった。さほど経たずに眠ってしまうなど、それはもう気絶に等しい。疲れが取れていない証左だ。

 それを横目に山神はひと息吐いて、最後の羊羹に噛みついた。



 ○



 それから数日後、ようやく晴れの日が訪れる。

 その間、湊は異能――祓いの力と神々の力を一度も行使せず、管理人としての業務だけを行っていた。

 おかげで、完全に異能の根源は回復したという。

『その感覚を忘れるな』と山神に告げられ、意識を集中すると、身体の中心部にあたたかく満たされた感覚があった。

 やはり意識しなければ、知覚できないのだと改めて学ぶきっかけにもなった。


 そしてウツギと元気に山に登り、かずら橋と登山道を検分した。

 登山道のほうはともかく、無数に落ちた岩を排除するしかない。こちらは風を操れる湊だけでもどうにかできるだろう。

 その岩たちが転がっている原因は、風神によるものだと眷属から聞かされた。ゆえに己が後始末をやらねばなるまいと妙な使命感に駆られてもいる。


 そちらはどうにかなるだろうが、問題はかずら橋だ。

 素人目に見ても、ツルは朽ちて切れる寸前のように見えた。おそらく架け直しになるだろうが、人一人でどうにかできるはずもない。


「うーん、どうしよう……」


 湊は顎に手を当て、唸る。


「もうこのツルらは全部腐ってるよ。無理に渡ったらすぐにでも切れるだろうね。いっそ全部落として、一本の木に交換しちゃえばいいじゃないの?」


 見上げたウツギがあっけらかんと告げた。


「そうはいかないよ」

「どうして? 簡単でしょ。湊は風が遣えるんだから」

「確かにできるだろうね。でもダメだ。橋は人が通るから、安全第一だよ。なんの知識もない俺が勝手に架けていいものじゃない」

「ふーん、そうなんだ〜」


 間延びした口調のウツギは、一見、興味なさそうな態度だ。

 けれども、その眼が不安げにゆれたことに、ツルを触っていた湊は気づかなかった。


「やっぱり、かずら橋の専門家を探そうかな」

「そういう人間がいるの?」

「たぶんね。かなり珍しい物だから、職人さん自体が少ないだろうけど」


 湊は今一度、かずら橋を見やる。風にあおられ、耳障りな軋み音が鳴った。完全に落ちる前に専門家に見てもらったほうがいいだろう。なるべく急がなければならない。


「まったく心当たりがないから、とりあえず地元の方に訊いてみようかな。――そうだ、日向さんに訊いてみよう」


 二回ほど会った工務店の親方である。もしかすると、伝手を持っているかもしれない。


「――いついくの?」


 問うたウツギが後ろ足で立ち上がった。その佇まいは、やけに雄々しい。


「明日いってくるよ」

「我らもついていっていい?」

「もちろんいいよ。珍しいね」

「――うん、たまにはね〜」


 霊亀や応龍以上に引きこもりな箱入りが、どういう風の吹き回しであろうか。

 疑問に思った湊に、ウツギは背を見せる。ちんまりとしたその後ろ姿は初陣ういじん前夜の若武者を彷彿とさせる緊張感がみなぎっていた。



 ウツギに送られて家に戻った湊は、裏門をくぐる。

 うっすら軌跡を残して石灯籠に駆け込んだ白い影――神霊には気づかないフリをする。

 山神家の新入りたる神霊は、湊がいない時だけちょろちょろと庭に出ている。まだ面と向かって相まみえる気はないらしく、一度夏みかんで釣って以来、お目にかかっていない。

 近々、また別の食べ物で挑戦してみようと目論んでいる。


 湊は、緑鮮やかな庭に架かる太鼓橋で立ち止まり、空を仰いだ。視界に入る青い面に雲はない。

 けれどもはるか遠く、肉眼では捉えられない位置にうっすら雨雲の影がある。


「明日も晴れたらいいな」


 湊が願いを口にした。

 直後、ぬっと滝壺から応龍が出てきた。神水を滴らせつつ、まだ見えぬ雨雲へと鼻先を向ける。大きく羽を広げ、外れそうなほど開いたアギトから一条の光が放たれた。

 宙を一直線に走り、さくっと灰色雲を刺し貫くや、ともにちりぢりになって消えてしまった。一瞬の出来事だった。


 あとには、からりと晴れた青空が無限に広がっている。

 これで明日も一日中、地上からお天道様を余すことなく拝めるだろう。

 ポチャンと応龍が滝壺へ潜っていく。その表情はやりきった達成感に満ちていた。

 その一部始終を眺めていたクスノキが樹冠を振り回す。楽しげに、うれしげに。

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