10 勘違いされたのか、させたのか
しばらくきび団子の香りを嗅いでいたツムギが、パクっと食いついた。ゆっくりと咀嚼する。
「――ほう、これはこれは。かようなお味でしたか。ほどよい甘さなのです」
「いくらでも食せよう」
「確かに。我が神もお気に召すでしょう」
ぴくっと山神のヒゲが跳ねたが、とりわけ文句は出なかった。
それを視界の端で見たものの、湊はツムギに飄々と尋ねた。
「お稲荷様、元気?」
「もちろんなのです。それはそうと、我が神のことは天狐とお呼びください」
「天狐様?」
「ご近所ではありませんか。気安く天狐さん、と」
いいのだろうかと迷った末、山神を見やると、かすかに頷かれた。天狐からではないが、その眷属の頭目たるツムギが許可したのならよいらしい。
「じゃあ、そうするよ」
と、湊は気兼ねなく呼ぶことにした。
心持ち姿勢を正したツムギが、厳かな声で告げた。
「湊殿、一つ申しておきます。我が神は、稲荷神ではありません」
「そうかなとは思ってた。この間、天狐さんをお稲荷様と呼んだら、すごく嫌そうにされたから」
「稲荷神は別のモノなのです。まぁ、我々も稲荷寿司は好きですけど」
ふふふ、と妖しく笑う。詳しく話すつもりはないようだ。湊も深く追求する気はない。
ただ、少しばかり気になることは訊いた。
「でも、住まいは稲荷神社だよね」
「我々は常時神域にいて、出入り口をそこにしているだけなのです。人が勝手に勘違いしてあの神社を建てたのですよ。我々が異国からあの山に住まいを移した時、多くの人に姿を目撃されまして、稲荷神の使いだと大騒ぎになったのです」
「それは、騒ぎにもなるよね……。うん」
「はい。この地に住まう者たちは、神の類いの狐は稲荷神にまつわるモノだと、思い込むようですね」
「俺も前はそうだった。お稲荷様自体が狐だと思ってる人も多いよ」
「今もそうなのですね」
ツムギは口元に前足を当て、ころころと上品に笑う。
「昔は……特殊な目を持つ人がたくさんいたのかな」
伏し目がちな湊が、独り言めいた台詞をつぶやいた。
それを聞いた山神とツムギは、眼を見交わす。
「そうですね、今では考えられないほどいました。ここから我が家に戻る間、姿を完璧に隠していても、十数人から拝まれ、見送られることが当たり前でした」
「そんなに……」
「今は、ろくに視える者がいませんからね。あ、でも、ここのところ、ちらほら見かけるのです」
「たまたまかな?」
小難しい顔をしたツムギは、小首をかしげた。
「たまたま、なのでしょうか……。どうも、このあたりに、悪しきモノを祓える者たちが集まってきているようなのです」
「陰陽師の人たちかな」
「さぁ? 人がなんと呼ばわるのか存じませんが、祓える力は持っていても、大したことはありません。それに、よからぬ者どもなのです」
ツムギは不快げに眉を寄せ、きび団子を噛みちぎった。
「どうも、播磨さんたちじゃないっぽいね」
山神に水を向けたが、きび団子を口に放り込んだだけで、さっぱり興味なしのようであった。
陰陽師たちは、人に仇なす悪霊を退治すべく日夜奔走している。
決して、ツムギに吐き捨てられる物言いをされる者たちではない。
「ツムギ、よからぬ者ってどんな人たち?」
「悩める民草に、悪霊に取り憑かれているから祓ってやるとうそぶき、祓うフリをして金銭を巻き上げているのです」
「――詐欺だよね」
「なのです。さして効果のない
すっとツムギが背後を見やった。湊もそれに倣うも、複数の通行人がいるだけで、服装、身ごなしからごく一般人しかいない。
「特に怪しげな人は、見当たらないな。――俺の目利きなんて、大したことないけど」
「おらぬ」
山神は、振り返るまでもなく断言した。
「そっか、よかった。山神さん、背中に眼でもついてるみたいだね」
「いちいち見らずとも、わかる。心の汚れた人間の魂は悪臭を放つゆえ」
もぞっとその黒き鼻がうごめくも、表情は歪まなかった。ならば、この近辺に悪人はいないのだろう。
「悪臭……どんな臭いなのか、今は訊かないほうがいい?」
「せっかくの甘味が台無しぞ」
さも不快げになった山神と、ツムギも同様の雰囲気を醸し出した。
「なのです。それと、その輩たちを見かけたのは、今ではないのです。ここにくる前でした」
「そっか」
やや気にはなるも、山神の視線が雄弁に語る。
今は休暇中であろうと。
湊もわざわざ自ら厄介事に首を突っ込む趣味はない。いつの時代、どこの世界にも、悪人はいる。根絶やしにするなど不可能だ。
きび団子をむさぼり食うもふもふたちに意識を戻した。
「天狐さんちには、ツムギの他にも眷属がいるの?」
ついでとばかりに湊は前々から気になっていた事柄も尋ねた。
山神家は四匹だが、鯉の所は無数だ。神は多くの眷属を有するものが、標準なのか知りたかった。
「はい、大勢います」
想像もつかぬ湊が、山神を見やった。
「昔は、数十匹はおったようだが、今はもっと多いかもしれぬ」
「やっぱり多いんだ……」
湊がツムギをまじまじと見るも、きなこ味のきび団子に舌鼓を打つのみである。正確な数を答える気はないのだろう。
「
以前、天狐が姿を現したのは、湊へのあいさつであったという。
「でも昔、多くの人たちに姿を目撃されて、騒がれたんだよね?」
「それは全部、わたくしなのです」
「――なるほど」
このお狐さん、とことん自由である。
事あるごとに人界をうろつくツムギだけが、異端とされているという。
「ですので、あそこの神社で売られている縁起物の大半は黒い狐なのですよ」
ツムギは愉快げに告げた。へぇ、と湊が感嘆の声を上げる。
「それは、珍しいね。でもそれなら、あそこの神社はほとんどツムギを祀っていることになるよね?」
豊かな尾をしならせたツムギが、妖艶に笑う。
「そうであっても、なにも問題ありません。わたくしは眷属。我が神たる天狐の一部なのです。わたくしが祀られ、信仰を向けられようと、それらはすべて我が神の糧になるのです」
時折、あえて姿を現すのだと、ツムギは語った。
「――それって、騒がれない?」
「たまに派手に騒がれますが、それもまた一興なのです。時には、さーびすするものですよ。――さすればより一層、信仰心が高まるからのぉ」
最後あたりは、天狐の声であった。
艷やかな低音で含み笑いするその額――蓮の紋様にジワリと朱色がにじむ。
きろっと山神の視線が向くと、すぅっと紋様は白に戻った。ツムギは素知らぬ顔で、抹茶味のきび団子に竹楊枝を刺した。
ほどなくして、大皿はカラになった。
多様なきび団子は山神とツムギの腹に収まり、結局湊が食べたのは、プレーンのきび団子一つである。
もとよりさほど甘味を好むわけでもない。もふもふたちが喜ぶ様を眺められただけでも満足だ。
湊は飲み干した湯飲みをお盆に戻した。
「ほうじ茶、おいしかった」
「――お主がそれでよいなら、よかろうて」
山神はとっくに諦めている。
たくさん食べたツムギも尾をゆらめかせ、ご満悦そうだ。
「とても美味しかったのです」
「そうだね」
居住まいを正したツムギが湊を見上げた。
その表情たるや、今から戦場にでも赴くかのごとく鬼気迫っていた。
「この礼は、必ず、必ずや! 近々お持ちするのですッ!」
あまりの気迫に、やや上半身を引いた湊は思う。
ツムギは借りをつくるのが大層お嫌いだ。もらった物と同等か、あるいはそれ以上の物を返そうとする。
おそらく、その御霊の大元――天狐も同じであろう。
献上品に見合ったご利益を与えるに違いない。
だからこそ、かの稲荷神社は栄えているのかもしれぬ。
ともかく、先日手土産でもらった藤の花ならまだしも、不老不死効果付きの桃だけは、困る。
そっち系の果実ならいらぬが、お断りできる空気ではなかった。
「う、うん。……楽しみにしておくよ」
表情筋を引きつらせ、湊は絞り出すように告げた。
実に、緊張感を伴うやり取りであった。
◯
空を翔けていくツムギを見送った山神と湊は、次なる目的地を目指して車道脇をゆく。
そんな中、湊は絶えず周囲に気を配っていた。
山神様のお通りを意図せず邪魔してしまう、哀れな者がおらぬように。
前回、小型化した山神と外出した際に、その通行を阻害してしまった者が、小狼に『そこのけ』と足を払われて、転倒しかけたことがあった。
とっさに湊が支えて事なきを得たものの、そうそう起こしてはならぬ珍事であろう。
なにせ相手は、山神が認識できないから避けようもないのだから。今日は、誰もそばにこない。
その御身が巨体のおかげだろう、と湊は考える。
やはりその身は大きくなければならぬ。力を消費したぐらいで、縮んだり透けたりしていいものではない。
「山神さんちを早く整備しないとな」
ゆったり足を運ぶ山神の横顔を見ながら、湊は言った。
「なんぞ、いきなり」
振り仰いだ山神は、不可解そうだ。
「ずっと大きいままでいてほしいから」
ふさふさの尾が大きく左右へゆれる。そのたびに金の粒子があとを引いている。
それを見るともなしに見ていた湊の耳に、異音が届いた。
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