12 まがい物の退魔師



 楠木邸の表門前に、一台のタクシーが停まった。

 後部座席から、短躯の若い男が降りる。瞬時にその顔が歪んだ。


「うわッ、蒸しあっつ! 湿気半端ねぇし!」


 不平をもらしつつ、半袖の柄物シャツをバタつかせた。

 続けて、やや年かさの男が、その長身を屈めながら出てきた。


「――マジだわ、最悪」


 広がった襟元をさらに開けたら、ネックレスが金色の光を放った。


 先頃、町の至る箇所――野生動物の住処が悪霊に住み着かれてしまい、困った動物たちが一致団結し、湊の手による御守りをバトンよろしく運び、除霊に勤しんだことがある。

 その時、最後の運び屋たる鳥が地面に落とした御守りを拾ったのが、この二番目に降車した男だ。


 彼らは、退魔師である。

 退魔師は、個人からの依頼で悪霊を祓っている。

 それ以外にも、妖怪退治や個々の願望を叶える呪符の作成、はては呪詛・呪殺をも請け負う。


 彼ら(一部除く)も、陰陽道に基づいた術を行使するため、正確にいうなら陰陽師だ。


 昔はそう名乗っていたが、現代では陰陽寮に所属する術師のみを指す称号のため、やむを得ず退魔師と称している。

 各地に術を継承する家系が存在するも、組織立ってはいない。


 陰陽師となるには国家資格が必要でも、退魔師にはそのようなものはいらない。

 ゆえに、無能力者が退魔師を名乗り、常人に悪霊に取り憑かれているから祓ってやろうとうそぶき、詐欺行為を働く輩も後を絶たない。


 そのうちの一人が短躯の男で、長躯のほうは悪霊を祓えはしても、中級悪霊でも苦戦する程度の腕前だ。



 数寄屋門の前に、いちおう退魔師たちが並び立った。

 短躯が格子戸をつかみ、遠慮なく敷地内をのぞく。


「この家、まだ新しいっスよね? 純和風、や、多少今風みてぇだけど、こういう造りの家って今時珍しいっスね」

「ああ、最近あんまり見なくなったな」


 答えた長躯の男が、門柱に寄る。表札に鼻を近づけ、深く吸った。


 悪霊と他者の特殊能力を嗅ぎ取れる、その優れた嗅覚を行使する。

 ほのかな香気を嗅ぎ取り、離れた。

 その清涼感のある香りは、ポケットに入ったキーホルダーと道端で拾った木片と同じであった。


「間違いねぇ、ここがキーホルダーつくってるヤツの家だ」


 表札に彫られた〝楠木〟の字を見ながら、断言した。


 彼ら半端な退魔師と、懇意にしている極道の面々も持ち帰る〝くすのきの宿〟の備品などに書かれた字とも同じ書体だったからだ。


 なお、極道の面々は非道な行いの数々により、悪霊と化したモノに憑かれやすいため、〝くすのきの宿〟をみそぎ場所として利用している。



 しかめっ面の短躯の男が鼻の前で手を仰いだ。


「ここ田んぼくせぇスね。俺、この生ぐせぇ臭い、マジムリ。田んぼなんか、なくせばいいのに」

「そしたらお前の好きな丼物、一切食えなくなるがな」


 鼻で笑われたうえにからかわれ、短躯の男はしばし黙った。


「――早いとこ、家ん中入りやしょうよ。最近、退魔の仕事ばっかで疲れてるし」

「俺と違って祓えもしねえお前がなんで疲れるんだよ。使えない呪符じゅふを騙して売ってるだけのくせに」

「使えねぇとか、ひっで。俺が気合入れて写したヤツっスよ」

「ただ真似て書くだけじゃ、意味ねえっての。――とりあえず、入るか。早いとこキーホルダーを安く売ってもらえるように交渉しようぜ。よし、インターホン押せ」

「あいよ。えーとインターホンは、と。……うわぁ、古くせぇ型の家に最新機器って全然似合わね〜」



 嘲笑しながらボタンへ手を伸ばす男ともう一人を、高みから見下ろすモノたちがいた。

 数寄屋門の上に乗った尾の色が異なる三匹のテンだ。


 いわずと知れた、山神の眷属である。

 その三対の黒眼は完全に据わって神聖なモノにあるまじき、おどろおどろしい暗雲も背負っている。

 超絶、不機嫌であった。


「田んぼよりも、貴様らのほうがよほど臭うわ」


 両前足で鼻を押さえたウツギが、低音で吐き捨てた。


「今のはひょっとして、山神の真似か?」

「似てましたね」


 トリカとセリは気が抜けたような声を出した。しかし、その表情は険しい。

 セリが両眼をしばたたかせた。


「やつらの臭い、目にまできますね。強烈です」

「ああ、ここまで魂が臭うやつらも珍しい。というか、初めてだな」


 トリカもこれ以上ないくらい顔を歪めている。


 性根の腐った人間の魂は悪臭を放つ。

 神の類いたちにとって唾棄だきすべきモノだ。

 本来ならその手合いには近づかない。視界に入れるのも耐えがたく、すぐさま悪臭が届かない所へ去っている。


 だが今は、そうはいかぬ。

 この家の護りは任せて、と湊に約束したのだから。

 神は断じて約定を違えない。


 三匹は一瞬すら目を逸らさず、つぶさに監視を続けた。

 へっぶしゅッ。派手なくしゃみをして、ウツギは鼻をこする。


「うう、クサイよぉ。こいつらの臭いってさ、アレだよね。ちっさいほうが卵の腐ったやつ。ガラが悪いほうは牛乳が腐ったやつと――」

「よせ、ウツギ。それ以上言うんじゃない。卵や乳製品を食う時に思い出すぞ」


 ピシャリとトリカに遮られ、ボワッとウツギの尾が膨らんだ。もともと潤んでいたその眼の水気がより増す。


「うう、そうだった。失敗したぁ〜」


 ジタバタと器用に屋根の棟を転がり出した。

 その傍ら、顎を上げたセリが山神へ念話を送るべく、両眼を細めた。




『山神、招かれざる客どもが来ました』


 突如、脳内にセリの声が響き、山神が歩みを止めた。その白い巨躯を人や自転車が避けて行き交う。

 そこは往来おうらい。山神と湊は、南部の中心地にある出版社に向かうべく、広小路をそぞろ歩いていた。


 情報誌に視線を落としていた湊は、山神の状態に気づかずそのまま進み続けた。


「――えーと。ステーキ屋さんが右手にあるから、もう少し行って、最初の交差点を右折すれば――いいみたい」


 横を向いて大狼がいないと知るや、肩越しに振り返った。

 道の真ん中に堂々と佇む山神が半眼になって、耳を後方へ倒している。言葉を発しないけれども、軽く口も開け閉めしていた。


 見慣れたその挙動は、眷属と念話で会話中なのだとすぐに察した。


「白熱してそうだな……」


 しばらく時がかかりそうだ。ただ往来で突っ立って待つのも暇である。

 木彫りに付ける物を探そうと決めた湊は、周辺を見渡した。

 古式ゆかしい和風建築の店舗が建ち並ぶ通りには、いずれも食事処が多い。雑多な香りがするそのあたりには、目的の雑貨屋はない。


「もう少し先に雑貨屋さんがあったはず……」


 再度、手元へ視線を向けようとしたら、ふいに一本の路地が視界に飛び込んできた。

 他にも何本も脇道があるというのに、なぜかそこだけが異様に気になった。


 そこにとりわけ何かあるわけでもない。目印になりそうなものすらない、ただの狭い路地への入り口だ。


 しかしなぜか、妙にひかれた。


 ちらりとかえりみると、目を眇めた山神がこちらを向いており、見ているのは明らかであった。少々離れようが問題にもなるまい。

 山神はそれなりのお年頃である。

 湊は、広小路を埋める人の合間を縫い、路地へ近づいていった。




 まるで、導かれるように路地へ歩み寄っていく湊を眼の端で捉えつつ、山神は念話でセリに問うた。


『――して、招かれざる客らとは、いかような者らか』


 重々しく、厳しい声が大気をゆらした。

 その背中に乗って長い毛で遊んでいた風の精たちが、一斉に空へ逃げ出す。ストンと毛並みが落ち着いた。


『すんごくッ、クッサイの! こんな臭うやつら初めてだよ! もー! 吐きそう!』


 勇んで答えたのは、ウツギであった。


『説明になっていないぞ。どこも間違ってはいないが』


 トリカの言に、フンッと山神は鼻を鳴らし、鼻筋に深い渓谷を刻んだ。

 ぐるりと首をめぐらせ、三方を睨めつけた。


 魂が悪臭を放つ者なぞ、珍しくもない。

 前方から早足で向かってくる若い女も、傍らを通り過ぎる猫背の中年男も、後方でスマホに向かって大声で話している中年女も。みんなそうだ。


『劇臭を垂れ流す者は世の中、掃いて捨てるほどおるぞ。最近、山に入る者はそうおらぬゆえ、ぬしらは知らぬであろうがな』


 背後の中年女のほうを向き、眷属たちと嗅覚を共有する。


『ほれ、このように――』


 思いっきり、鼻から悪臭――残飯臭を吸い込んだ。


『うぎゃーッ!!』


 三匹の叫喚が脳に突き刺さった山神は、総毛立った。

 一蓮托生の山神家、遠く離れた地でそろいもそろって悶絶す。


 ともあれ、眷属たちが負ったダメージは元凶たる山神の比ではなく、呻き声はやまない。

 箱入りにはいささか刺激が強すぎたらしい。

 山神はちょっとだけ反省した。


 眷属三匹は以前、陰陽師の播磨から穢れた神の退治を依頼された湊が他県に赴いた時、その神による神域をこじ開けるため、お伴したことがある。

 その移動時、数え切れない人間とすれ違ったが、護符を大量に携えた湊のそばを片時も離れなかった。

 というより、べったりくっついていた。


 湊が祓いの力を込めて書いた字は、清涼な香気を発する。

 つまり、その香りに護られて、生者の悪臭による被害は受けなかった。


 他にも、湊がアマテラスの神域に引き込まれ、助太刀に馳せ参じた時は、脇目も振らず一直線に向かったため、生者に気をやる余裕すらなかった。

 ときどき御山に入ってくる人間もいるが、少数だ。

 毎回、遠目に監視するだけで、近くに寄ったこともない。

 ゆえに彼らは、生者の匂いは、湊と播磨才賀さいがしか知らなかった。



『性根が腐りきっているのが二人。湊のキーホルダー目当てに押しかけてきたようです』


 やや時間を置き、か細いセリの声が山神に届いた。

 青空を仰ぎ、ふすっふすっと鼻呼吸を繰り返しつつ黙って聞く。


『退魔の仕事と話していましたから、陰陽師ではないでしょうか。ですが、効果のない呪符を騙して売っているとも言っていたので、違うのかもしれません。それに、ここにたびたび訪れる眼鏡の男とは違って、格好も雰囲気もだらしないです』


 新鮮な空気でリフレッシュした山神が正面を向くと、雑踏の中に湊の姿はもうなかった。

 

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