20 陰陽師たちとはぐれ退魔師




 二人の陰陽師と式神三体が突撃した泳州町は、いったいどうなったのか。

 町全域の至る所にはびこる悪霊を一日では祓えず、翌日に持ち越しとなっていた。

 播磨がふたたび現場へと向かいかけたところ、一条が声をかけてきた。


 ――己も泳州町の悪霊祓いに参加すると。


 本日も葛木と赴むく予定であったため断ろうとしたら、四家の一家たる一条家の次期当主サマは、上司よりも上の地位につく一条家当主己が父に、直談判して許可をぶん取ってきていた。




 というわけで、二回目の泳州町突撃人員は増えた。

 四人に。

 堀川も一緒である。意外にも彼女は自らともにいくと名乗り出たという。堀川が大事な一条は難色を示したものの、彼女が引かなかったらしく折れたようだ。

 ここのところ、二人の立場が逆転してきているが、それはともかく。

 現在、四人の陰陽師は方丈町南部の中心街にいた。


 泳州町に行く前に寄ると、一条が譲らなかったせいだ。

 南部は、泳州町と隣り合っているせいで悪霊が多くなっていたが、定期的に赴く陰陽師たちによって祓われていると播磨は報告を受けていた。


 列になって歩む最後尾の播磨が見れば、大通りにも両側に立ち並ぶ店舗にも、悪霊の気配は欠片もない。瘴気が漂っている場所もなかった。


 ――問題はないな。


 思っていると、店舗の端で一条が足を止めた。


「消されてるじゃねぇか……」


 怒らせた肩で、忌々しそうにつぶやいた。その斜め後方に立ち止まった播磨と葛木は、訝しげに眉間に皺を寄せた。

 堀川といえば、一人行く手へと進み、道をジグザグに歩んだあと、小走りで戻ってきた。


「全部同じように塗りつぶされていました」


 それを聞いた一条は舌打ちをする。


「なにがだ?」


 パナマ帽を押し上げた葛木が、軽い調子で訊いた。

 振り向いた一条が一歩横へズレると、店舗の壁に黒い粘液がついているのが見えた。


「これだ」


 親指で示されたそこは、ピンポン玉にも満たない範囲でしかなく、黒く汚れている。しかし壁自体もくすんでおり、道行く人々の目にとまることもないだろう。

 一条が播磨の正面に立って見据えた。


「数日前、お前の家のお抱え符術師がここら一帯に点を書いていったんだよ。それが全部消されている」


 一条は以前、湊の身辺調査を依頼した際、顔写真を見たことがあった。


 播磨は、盛大に顔をしかめている。

 あらかたの予想はついていた。おそらく湊はここを訪れた際、悪霊の多さに気づいたのだろう。わざわざ力を遣ってくれたようだが、それを消した輩がいるとは。


 播磨は離れた位置からその粘液を見つめた。

 そこから湊の祓いの力および翡翠の色は、微塵も感じられない。

 人の枠を外れた湊の力を完璧に抑え込める、あるいは消せる粘液をつくり出せるのならば、相手も並みの術者ではないということだ。

 進み出た葛木が、乾いた黒い粘液に顔を寄せた。


「やべぇモン扱えるやつみたいだな。どんなやつなんだか……」

「退魔師しか考えられないですね」

「決めつけるのはよくないよ〜」


 四人の陰陽師の背後から、快活な声がかかった。

 一斉に振り向くと、数歩先に一人の若者が立っていた。亜麻色の頭の後ろで両手を組み、にこやかに笑っている。


 播磨はすぐに気づいた。

 先日、方丈町南部と泳州町の境目の川近辺で悪霊祓い中に二人の退魔師と揉めていた折、仲裁に入ってくれた人物――鞍馬であると。


 その時は、さも退魔師だと主張する僧めいた衣装であったが、今日はラフな普段着を身にまとっている。そんな格好であれば、どこにでもいそうな高校生にしか見えなかった。


 が、四人もいる陰陽師誰一人として、彼の気配に気づけなかった。

 気配を殺すのに慣れており、武道の心得もあるのだろう。

 思いつつ、播磨は声を発した。


「君は、先日会った鞍馬君か」

「そ。また会ったね、お兄さん。今日は綺麗なお姉さんたちと一緒じゃないんだ……」


 組んでいた手を下ろし、鞍馬は力なく告げた。

 至極残念そうである。前回会った時、播磨の妹と従姉がいたからだろう。

 鞍馬は、胡散臭そうに睨む一条を一瞥することもなく、その隣の堀川で視線を止めるや、顔を輝かせた。即座に神妙そうな表情をつくり、伏し目がちの堀川へと歩み寄る。


「いや、いたわ。別の美人さんが! 憂い顔が美しいお姉さん、なにか悩み事でも? オレでよければ話聞こうか?」


 あと数歩の位置で、一条が立ちはだかった。射殺さんばかりに睨めつける様は、狂犬さながらである。


「なんだ、男連れかよ」


 ケッと顔をゆがめ、鞍馬は跳び退った。それから呆れ顔の葛木を見て、眉を上げた。


「おっ! おっさん、葛木の爺さんの身内でしょ?」

「お前さん、親父を知っているのか」

「ちょっと前に知り合ったんだけどさ――」


 言葉を切り、葛木の頭の先から足までざっと流し見る。


「見た目はそっくりでも、霊力の差はえげつねぇね!」


 ケラケラと楽しげに笑い出した。


「失礼なボウズだな……。まぁ、その通りだけどよ」


 葛木は苦く笑うだけだ。

 父とは容姿が酷似していても、霊力は足元にも及ばない。若かりし頃は荒れた時期もあったが、心に折り合いもつき、いまさら若造に指摘されたところで痛くも痒くもない。

「それより、君はこの仕業が退魔師ではないと言うのか?」


 播磨が壁の汚れへと目をやりながら訊けば、


「いんや、それ泳州町の退魔師がやったんだよ」


 鞍馬はあっさり前言を撤回した。陰陽師一同から非難がましい目で見られようと、ケロリとしている。


「大した根拠もなく決めつけるのはよくないよって意味で言っただけ〜」


 おどけて告げたのち、急速に表情を改めた。


「そんなことよりさ、あんたらも気づいてるだろ。泳州町のバカが悪霊を増やしてるってことをさ」

「ああ」


 播磨が答えると、鞍馬は軽い口調で暴露した。


「そいつがやったんだよ。わざわざ増やしてるのに、くすのきの宿の守護神サマによって減らされたらたまらないからさ」


 一歩進み出た一条が、怒りを抑えた低い声を発した。


「お前は自分の土地に、他の町にあふれるほど悪霊がいるのを知っていながら放置しているのか」


 一条は己の霊力を驕ることはあれど、意外にも正義感は強い。非凡なる力は、悩める民草のために遣ってしかるべきだとの考えを持っている。

 眼前の鞍馬は若いながらも相当な術者なのだと、同じ術者の陰陽師たちが気づけるほどである。

 にもかかわらず、現状を見て見ぬふりしているのは明らかだ。


「そうだよ。だって誰にも依頼されてねぇし。タダ働きなんてするわけないじゃん」


 鞍馬は臆することも悪びれもせず、当然のように返した。

 播磨と葛木は、言葉にしがたい相を浮かべている。


「それはまぁ、そうだが――」

「まぁ、なぁ。ボウズらにそんな義務はねぇわな」

「そ。公務員のあんたらと違ってオレら退魔師にはねぇの。義務化されるなんてまっぴら御免だから、何年か前、陰陽寮からきた使者って人に『陰陽師になってくれ』って頼まれた時も断ったんだよね」


 悪童めいた笑い顔になったものの、ふたたび顔を引きしめた。


「でもさ、そんなオレでもさすがに悪霊を増やすのは、やりすぎだと思うわけよ」

「ほう?」


 葛木が促すと、鞍馬がにっと片方の口角を上げた。


「ひさびさに帰ってきた地元がこんな状態じゃ、おちおち出かけらんないし。オレさ、全国をふらふらしてるんだよね。退魔の仕事のためっていうか、まだ見ぬオレの花嫁を探すことが第一目的なんだけど」

「そりゃあ、大変そうだな」


 話が横道に反れようと、葛木は律儀に返してやっている。呆れもしないたった一人の聞き役に、鞍馬が嬉々として向き直った。


「そう、そうなんだよ! 葛木のおっさん聞いてくれよ。この間行った島にいた超絶オレ好みの清楚系美人がやっと、やっっと! 出会えた運命の人かと思ったら――」

「おい! いい加減にしろ。お前は話がとっ散らかりすぎだ。こっちは暇じゃねぇんだよ、さっさと本題に入りやがれ!」


 貧乏ゆすりが止まらない一条に遮られ、鞍馬は口を尖らせた。


「なんだよ。これぐらいで怒るなんて、うちの兄貴どもみたいなやつだな」

「お前さん、兄貴がいるのか」

「そ、六人。オレ末っ子」


 訊いた葛木が軽くのけぞって目をむく中、播磨は一条へと目を向けた。その顔はひどくゆがんでいる。

 一条もきょうだいが多く、その数が軽く十を超えているのは、血に拘泥する当主のせいだ。なお、こちらは腹違いである。


「七人兄弟とは、いまどき珍しい子だくさんだな。全員霊力持ちか?」


 興味を持ったらしい葛木が尋ねると、鞍馬は首を横へ振った。


「いんや、オレと五番目の兄貴だけ」


 大勢の兄弟のうち、二人しか霊力が遺伝していないのなら、一条とまるっきり同じ境遇であった。

 眼鏡を押し上げる播磨の傍ら、葛木も感嘆の声を漏らした。


「ほう。その五男は、お前さん並みに強ぇのか?」

「葛木さん」


 今度は播磨が止めた。一条の言う通り、時間に余裕はない。

 パナマ帽をつまみ上げ、葛木はヘラリと笑った。


「おっと、すまんすまん。――それでボウズ、わざわざ俺たちに声をかけてきた理由はなんだ?」

「それなんだけどさ――。あ、ちょっと待って」

「またかよ」


 一条の苛立ちが増した時、鞍馬が腕を横へと伸ばした。そのあたりの空間がゆがみ、顔色を変えた陰陽師たちが半歩下がる。


 突然、鞍馬の腕に降り立ったのは、獣であった。

 小ぶりな体軀はコウモリに似て、赤い眼が妖しい光を発している。

 妖怪だ。その鋭き眼光で四人の陰陽師を見据えるも、襲いかかる素振りはない。


 鞍馬が調伏し、己が式神としたモノだろう。

 播磨は、肌が粟立つほどの妖気を放つ妖怪を目の当たりしたのは人生初になる。

 むろん他の三人も同様で、いまだこんな強い妖怪が存在しているのかと彼らが危機感を覚えているのをよそに、その式神は顔を鞍馬へと向けた。


「よし、わかった。あそこか。ご苦労さん」


 何事か報告を受けた鞍馬は指先で式神の頭をなで、四つの硬い表情を順に見やって人懐っこい笑みを浮かべた。


「悪霊を増やしてるおっさんの居所を突き止めたから、教えてあげるよ。元凶のおっさんと悪霊退治よろしく、権力の後ろ盾がある公僕のミナサン」

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