19 播磨の最後の試練
どう見ても、あの妖怪がラスボスだろう。
しからばやはり播磨が一人で立ち向かうべきだ。
ならば己は――。
湊は四方を見回し、荒れ果てた屋敷の惨状を改めて見て、胸に痛みを覚えた。
かつては大事にされていたであろう、建物が捨て置かれている。他に移るのなら、壊した方がいいだろうにと思うも、いまは特定の住処を持たない、持てない者たちの大切な居場所となっている。
なくなっては困る場所だろう。
あろうことか一帯には、先ほど悪霊が隠れていたように、まだ悪霊がいる恐れもある。ここがどういう世界なのかはわからないが、逃げ惑う人々は演技には見えなかった。彼らはほどなくしたらここに舞い戻ってくるだろう。
ならば、綺麗にしておいてあげようではないか。
「この辺には瘴気が漂っているんだよね……」
微塵もその気配を知覚することはできないけれども。今し方の悪霊が視えたのは強かったゆえか。しかし、一つ前の神域では瘴気だけが見えたのだ。
一貫性がない。己の目もたいがいポンコツだなと思う。
それはともかく、荒れた屋敷から不気味さを感じる。それは常人と同じで、なんとなくといったあいまいな感覚だが、そういうのも大事であろう。頭では理解できておらずとも、いずれかの感覚で捉えている可能性が高いからだ。
「よし、祓おう」
決めたはいいが、その場から動かない。
勝手にうろつくのはよろしくあるまい。播磨から離れすぎるのは危険だ。
何しろ、どんでん返しの扉をくぐった播磨の身体が透けた時、咄嗟の判断でその背中に触れたからこそ、ともにこの世界に移動できた。
その後、あの神域がどうなったのかは知りようもないが、いかにもやっつけ仕事といったあの空間のことだ、用済みとなった途端消されてしまった可能性が高い。それと同じことがここでも起こりうる。
ゆえに常時、視界に播磨がいる状態を保つべきである。
そうして現在、湊は手ぶらだということだ。
「――えーと、なにか水気のある物はないかな……」
祓いの力を込めるには、液体を媒介にしなければならないからだ。
「お、ひょうたんがある。水か、お酒かな?」
軒下に転がるひょうたんを拾い上げた。ちゃぷんと波打つ音がする。
「半分くらい入ってそうだけど……」
栓を抜いたら、むわりと酒の香りが立ち昇ってきた。羽振りのいい者がいたようだ。思わず目を閉じてしまったが、ありがたい。
「匂いだけで酔っぱらう体質じゃなくてよかった。――すみません、もらいま〜す」
誰にともなく断りを入れ、窪ませた手のひらに溜め、祓いの力を込めた。
ポコ、ポコリ。小さな水泡が立ちはじめ、次第に水が翡翠色に色づいていく。
「はじめてやったけど、うまくいったな。――よし、いっきま〜す」
腕を薙いで翡翠色の酒をぶちまけ、すかさず風を放った。巻き上げて酒を霧状に変えるその風も蒼味を帯びている。
湊の風はもとより風神の力だ。普段、操る風は自然界の風とあまり変わらないのだが、風神の神力を意識的に引き出すと風が蒼くなる。
祓いの力は除霊しかできない。だが風神の力には浄化の力がある。おそらく。
「山神さんの力にあるのなら、風神様の力にもあるでしょ」
行き当たりばったりであった。
「お、いい感じ」
湊は蒼い光に包まれた指先で風を操る。通り、屋敷を吹き抜けていく風に鋭さは微塵もない。
楠木邸の庭に吹く風のように、どこまでもやわらかく一帯へ風を流し、浄化していった。
◯
湊が浄化に勤しむ後方――播磨が山門に近づくと、あろうことか巨獣はふたたび多層塔へと跳んだ。長い尻尾をしならせ、滞空中に振り返り視線を送ってくるあたり、捕まえてみろと挑発しているに違いない。
播磨は眉間にしわを寄せつつ、臆することなく山門をくぐった。
石畳が直線状に延びる先とその奥、左手にも重厚な屋根瓦を乗せた建物が佇んでいる。金堂、講堂、方丈などなど。
本来ならそこかしこで粛々とおつとめに励む僧侶の姿があったろうに、いまは人っ子一人いない。
それぞれの建物は扉が開きっぱなしで、立派な外枠だけが残された抜け殻のようだ。
そんな寺内へ瞬時に視線をめぐらせ、播磨は右側を見上げた。
多層塔の頂に突き立つ相輪の周囲を巨獣が自らの遊び場と言わんばかりにくるくると回り、時折それに身を擦りつけていた。
「猫か」
ついつぶやくと、巨獣が飛び降りてきた。
音もなく着地し、砂埃が舞った。
頭を下げて臨戦態勢をとる巨獣と真正面から相対した。
その身は山の神たる大狼とそう変わらない。
そんな巨獣でも、動作は極めてしなやかだ。
たとえ野生の生き物であっても、生身の人間では到底太刀打ちできない身体能力を誇る。
そのうえ、相手は妖怪である。一筋縄ではいくまい。
対峙する間に漂っていた砂塵が風にさらわれ晴れた瞬間、巨獣が尻尾を振るい、妖気を放ってきた。すかさず霊気で対抗する。
いままでの乏しい霊力では不可能であったことが軽々できた。歓喜を感じつつ、二つの気の流れを見据えた。巨獣との間でぶつかり合うと、火花のように弾けて霧散する。
直後、印を結んだ。
が、完成する寸前、眼前に巨獣が迫っていた。
その長い前脚から繰り出される鋭い爪を紙一重で避ける。首筋に入った一筋の傷から血が流れるのを感じ、顔が歪むのを抑えられなかった。
相手の一瞬の隙をつくその攻撃方法は、実に――。
「小賢しい」
「けひゃひゃひゃひゃ~!」
我にとっては誉め言葉ですとも言わんばかりに、巨獣は高らかな哄笑をあげた。
その騒音に近い声が寺内に響き渡ると、山門のそばで背を向けている湊の肩がはねた。
横目でそれを見ながら疑問に思うも、山門の外側がみるみる浄化されていくのも知覚できた。
湊の両手から蒼い風が出ている。
それには、幾度か遭遇した風神の神気がふんだんに含まれているようだ。彼はいままで、神の力を行使するのはためらっていたようだが、この場の惨状にいてもたってもいられなくなったのだろう。
――貴公はいつもそうだ。
己の内側から湧き出てきた思考に、播磨はひどく動揺した。
しかも二度目だ。
その心の隙を巨獣は見逃してはくれず、的確に首を狙われた。瞬時に我に返り、前足を肘鉄で凌いだ。
幸いなことに、悪霊と違って妖怪には物理攻撃がきく。
しかしながらこの巨獣は、力も強かった。
押し負けそうになり、跳び退って距離をあけつつ、拳を繰り出すとヒラリとかわされた。反対の拳も横手へ跳んで避けられ、着地するやいなや攻撃に転じてくる。その伸びた爪の前脚と牙をむく顎に打撃を与えるも、巨獣はさしてダメージを受けることもない。どころかあざ笑う始末。
「けひゃ!」
愉快、愉快! と主張するその顔面に、フェイントをかけてストレートを放つと、巨獣は垂直に跳び上がり、拳は虚しく空を切った。
「――こいつ……!」
「けひゃっ、けひゃひゃひゃひゃ~!」
額に青筋を立てると、巨獣はけったいな笑い声をあげながら、周りを跳んではねてはしゃぎ回った。
いい加減遊ばれるのは御免である。三メートルほどの距離を開けた相手もそう思ったのか、重心を下げて石畳に爪を立てた。
その全身を覆っていた妖気が、その身と同じ長さの尻尾へと集まり、形状が変化する。一瞬にして、すらりと反り立つその尾が大鎌となった。その身を超える湾曲した刃が陽光を反射し、ギラリと光った。
さしもの播磨も目をむいた。
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