29 ひと芝居打つ




 冷や汗を拭った湊と冷静さを取り戻した宗則は、自動販売機の横で密談を行う。


「問題は、どうすればこの木彫りが山神さんからの贈り物だと信じてもらえるかなんですけど」

「うむ、確かに。宅配便よろしくいきなり手渡しても信じてもらえないだろうからね。私では、神の使いの役割をこなせそうにないよ」


 人間だもの。婿養子である彼には、播磨家の神の血は流れていない。

 ただの人の身である二人は同時に空を仰いだ。

 屋根を踏みしめる、堂々たる佇まいで見下ろす麒麟がいる。陽光を弾くその身に湊は目を細めた。


「麒麟さんに、山神さんの眷属のフリをしてもらうとか……」


 その思いつきを耳にして、麒麟が身を強張らせた。


「それは、無理だと思うよ」


 意外にも、宗則がきっぱりと告げた。


「なぜですか? 麒麟さんはすごく神々しいでしょう。神様と見紛うくらいだと俺は常々思ってるんですけど」

「外見だけならね」


 宗則は麒麟から視線を外して、湊を真正面から見た。


「翡翠の君は、彼らとともに過ごして毎日見ているのだろう。――実に羨ましい……」


 流れるように付け足された本音に、湊は苦笑する。


「はい、贅沢ですね」


 宗則は咳払いをしてごまかす。


「いや、私が言いたいのはそこではなく。――彼ら霊獣と接していて気づかないかい? 神様――神獣とは発する気配がまったく違うことを」

「――そう、ですかね……」


 見るからにわかっていなさそうな湊に、宗則は子どもに諭すように話した。


「あまりにもそばにいすぎるせいで、わからないのかもしれないね。注意深くみるなり、気配を探るなりしてみるといい。山神様とは明らかに気配が異なるのだと知れるようになるだろう」

「はい、そうします」


 神様の気配などが知覚できるようになったのは、つい最近のことだ。わからずとも致し方なかろう。そう思ったものの言い訳がましいため、口にはしなかった。


「その違いは俺じゃなくとも、誰でもわかるものなんでしょうか」

「一概にはいえないが、十和田記者は、山神様とお会いして間近で言葉を交わしている。そして眷属とも会っているのならば、山神様の気配を二度も体験していることになる」

「そうですね」

「神が発する神気とは圧倒的なものだ。人は本能で畏怖を感じる。一度でもその身で知ってしまえば、霊獣の気配は別物だと勘づくだろうね」


 耳が痛い話だが、神の類いに造詣が深い宗則がいうのなら確かなのだろう。


 思えば、山神とはじめて会った時、その神気に圧倒されたものだ。

 けれどもその後、山神や他の神と差し向かっても、あまり恐ろしさを感じたことはない。


 己の感覚は、相当麻痺しているのではないだろうか。

 気づいてしまった湊は結構な衝撃を受けた。

 ともあれ、いまはそれどころではない。早く手立てを講じないと、十和田記者が店から引き上げてしまうかもしれない。


 そわそわと動く黒い頭部――湊を見下ろしていた麒麟が、屋根から跳んだ。

 湊と宗則の数歩先に、音もなく舞い降りる。驚く二人を見据え、凛とした声で告げた。


『湊殿がお望みとあらば、この麒麟、必ずやその大役を果たして見せましょう。わたくしめにお任せください』


 言下、その身から白々とした光がほとばしる。見る間に輝く白光が、黄みの強い体躯を覆い尽くした。

 その神秘的な姿を見せつけられた二人の人間は、息を呑んだ。



 ○



 和菓子屋の取材を終えた十和田記者は、己が社――武蔵出版社への道筋をたどっていた。

 建ち並ぶ店舗に挟まれた大通りは人がまばらで、その間を抜けていく彼の足取りは跳ねるようだ。

 行きは担ぐのも一苦労だった大きなバッグが、いまはやけに軽い。身体も気持ちも軽々だ。このまま空も飛べそうなほどに気分が高揚している。


「なんたって、また山神様に助けてもらえたからな」


 つい喜色に満ちた声がこぼれ、相好も崩れた。

 先日先々日と、一度ならず二度までも悪霊から救ってもらい、五体投地で拝み伏して感謝していた。そのうえ――。


「三度も助けてくれるなんてな!」


 感謝感激雨あられである。ぜひとも次回の和菓子特集記事を増量版でお届けしたい気持ちでいっぱいだった。


 十和田は取材のために泳州町へ赴いた折、町へ踏み入ってまもなく悪霊数体に憑かれてしまい、仕事しながら何度も祈っていた。

 山神様、どうか今一度お救いください! と。


 結果、最後の取材に訪れた店舗の前で力なく佇んでいたら、渋い男性が背後を通ったことによって祓われたのだった。

 十和田は湊の力――翡翠の色は視えない。

 むろん、その字に含まれる山神の金の粒子も視ることはできない。


 しかし悪霊はバッチリくっきり認識できるタイプである。

 己の背中と両脚にまとわりついてた悪霊らが、塵も残さず祓われていく光景をつぶさに視ていた。

 それを行ってくれた救世主は振り返りもせずに去っていったため、実際、山神の関係者なのかは知りようもない。


 ――けど、あの波動は山神様のモノだった……はず。


 他の神様の気配を知らないから断言できないが、前回と前々回と同じ波動だったと思われた。

 ただ、解せないことはある。己に憑いた悪霊が祓われるまでに、いやに時間がかかったことだ。憑かれてから数時間も経過していた。


 ――いや、祓ってもらえるだけでありがたい。文句なんかあるわけねぇ。


 十和田は歩みながら首を振る。

 その時、ふいに背筋に寒気を覚え、周囲へ視線を投げた。

 建物の陰、電信柱とブロック塀の狭間、通行人たちの隙間。さまざまな場所に浮遊する霊がいる。


 死んだ人や動物たちだ。それらは、必ずしも悪霊ではない。


 その身は半透明で、悪霊特有の黒さはまとっておらず、その表情、醸し出す気配でこの世に未練があるのだと語っていた。

 そんな彼らがこの世にとどまり続けるなら、そう遠くないうちに悪霊と化すのを十和田は知っている。


 十和田は振り切るように霊たちから目を背け、足早になった。

 何もできないからだ。


 ――話を聞いてやって、同情したって、共感したって、あいつらは変わらない。成仏なんてしない……させてやれない。


 若かりし頃、幾度も試みたことがあった。

 結局、一体として成仏せず、あまつさえ悪霊と化して憑かれ、命を落としかけるという苦い経験をした。

 以来、絶対に関わらない、同情しないと心に決めている。


 十和田は競歩並みの速度で、角を曲がった。

 すぐさまつんのめる勢いで止まり、二、三歩後退した。


 ――な、なんだよ、あれはっ。


 数メートル先を巨大な悪霊が歩いていた。二足歩行ではあるが、人とはいいがたい外見だった。さまざまな動物の悪霊と融合したのだろう、原型をとどめない異形だ。

 その満身から粘液を垂らして、背を向けていた。その身が放つ瘴気で周辺の景色すらろくに見えず、さらに悪臭も垂れ流していた。


 吐き気が込み上げ、十和田は口元を覆った。


 ――いくらなんでも、悪霊が多すぎるだろ!


 数ヶ月前までそんなことはなかった。自信を持っていえる。


 ――なんで、なんでっ、こんなに増えてるんだよ……ッ。


 こうも多いなら、何度山神に祓ってもらっても焼け石に水だ。


 ――どうすればいい……。


 絶望的な気持ちに陥った時、悪霊の背中に目玉が一つ浮いた。


「あ、あ、あ」


 血走ったその目に射抜かれ、十和田の腰が抜ける。悪霊が立ち止まり、背中から幾本もの触手が伸びた。


 同時、尻餅をついた十和田の背後から風が吹いた。

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