6 湊のひそかなる奮闘記



 湊は決意した。

 必ずや、かの小粒な狼を元の大きさに戻してみせると決意した。


 ちんまい山神なぞ、山神ではない。


 いや、さすがにそれは言いすぎだが、落ち着かぬ。まったくもって落ち着かぬ。

 一刻も早く元の幅を利かせまくりな巨躯に戻っていただきたい。


 慣れぬのは何も、その体格だけではない。

 時折その身が薄れるのも、心臓に多大なる負担を強いられている。


 そしてつい先日、山神から週間天気のお知らせをするかのごとき、軽い口調で宣われた。


 もし今以上に神力が衰え、その身を現形げぎょうさせることすらできなくなれば、湊と会話も不可能になる、と。

 さらには、眷属も消えてしまうのだ、と。


 冗談ではない。断じて許容できぬ。


 自らの心の平穏と安らぎのためにも、可及的速やかに以前の状態に戻してみせる。


 並々ならぬ決意を秘めた湊の奮闘ふんとうが今、ここに始まろうとしていた。




 うららかな日光を一身に浴びる神の庭の木々は、今日も実に緑鮮やかだ。風もゆるやかに躍りながら森林の香りを運んでいる。


 耳に心地よい滝の音も響く中、湊が家から縁側へと出てきた。

 その手には、丸いお盆がある。小皿に小高い山のごとく積んだ月餅と茶器ちゃきが載っている。


 ふんふん。座布団に寝そべっていた山神が忙しなく鼻を鳴らす。

 数日ぶりに目覚めた山神は、ほんの少しだけ大きくなり、透ける回数も格段に減っていた。


「なにやら、嗅ぎ慣れぬ匂いよな」

「この前、龍神様からいただいた中国茶だよ」


 湊が座卓に茶杯ちゃはいを置いた。

 小ぶりな茶杯は、龍神の土産の中に入っていた代物である。


 両手で持つのも一苦労だったたくさんの箱の中身は、月餅をはじめ、いく種類ものお菓子、茶葉、そして茶器だった。

 本格的な茶器セットは、悩ましい土産でもあった。


 中国茶についてネットで調べたところ、一煎目は捨てるだの、温度管理が重要で茶壺ちゃふう――いわば急須に熱湯をかけるだの。やや手間がかかるようだった。


 ありがたいが、正直面倒だ。

 普段、おおむね緑茶しか飲まない。ただ急須に適量の茶葉をぶっ込み、湯を入れてしばし待ち、湯飲みに注ぐだけで十分おいしく飲めてしまう。

 そんなお手軽日本茶に慣れ親しんだ生粋の日本人には、いささかまどろっこしい。


 到底日常使いには向かぬと、そっと茶盤ちゃばん入りの箱を閉じたのだった。実家に送るつもりである。


 湊はいただき物や景品で当たった物は、ほとんど実家に送っている。

 ともあれ、茶杯だけはありがたく使わせてもらった。




 つらつらと山神に経緯を説明した湊が座卓につき、自分の分を並べる。


「でもまあ、緑茶と同じ要領で淹れてもいいみたいだし、ウーロン茶の一つを淹れてみたんだ。いい香りだよね」

「うむ、慣れぬ匂いだが、よいものよな」


 山神は、茶杯から立ち上る香気を熱心に嗅いでいる。機嫌よく尾がゆれ、座布団と摩擦音を立てた。


 そうして――ことり。

 湊が月餅の載った小皿を山神の前に静かに置いた。


「月餅をどうぞ、山神さん」


 鼻先が茶杯に突っ込みそうな位置の山神が、視線のみ上げる。

 そこには、鬼気迫る湊がいた。

 若干半身を乗り出していて、ビシバシと攻撃でもしてきそうな目力の強さだ。

 やや驚いた山神の尾が止まった。


「なんぞ……?」

「いいから、食べてよ」


 声まで固い。

 殺気にも似た覇気まで向けられ、困惑気味の山神は月餅を見やる。


 まあるく平べったいそれから、甘い香りがしている。

 中には香り高い黒ごま餡が入っているのだと、とうに鋭敏な嗅覚で察知していた。


 かつて食したことのない菓子なれど、甘味は甘味だろう。

 異国の龍神からの土産のようだが、この月餅は人の手によって作られた物だ。

 神の類い専用の特殊なモノでもない。


「――まあ、よかろう」


 お供え物は残さず頂くのが信条であるからして。

 山神は大口を開け、月餅山のいただきにかぶりついた。


 小ぶりな月餅は、今の体格にちょうどいい。

 一個をまるっと口内に放り込み、咀嚼する。長らく時間をかけて味わう。


「うむ。ごま特有の香ばしさが、実によき。しっとりとした濃厚な舌触りながらも、後味はしつこく残らないのもまた小憎いものよな。大変美味である」


 うむうむ、とご満悦に頷く。


 黒ごま餡の余韻に浸りつつ、お次の月餅を食すべく、やや顔を傾けて口を開けた。

 いざ、二個目に牙を立てようとした時、ふいに金眼が正面を向く。


 いやに落胆したような表情の湊がいた。


 山神は顎を引いて口を閉ざし、湊と向き直る。


「――なんぞ、我に物申したいことでもあるのか。遠慮なぞらしくない。申してみよ」

「いや、なんでもないよ。気にしないで。そのまま食べてていいから……」


 席を立ってしまった。

 室内へと戻っていく湊は、お茶すら飲んでいない。座卓に一個だけ月餅が載った小皿と茶杯が残されている。茶杯から立つ湯気が湊を追いかけるようになびいた。


 山神はとりあえず、二個目にかぶりついた。

 挙動不審な湊への懸念が吹き飛ぶほどのうまさに、自ずと尾も動いた。




 山神が四個目の月餅を堪能し尽くした頃、ようやく湊が帰還する。その手に新たなる小皿を携えて。


 ついっと山神の鼻先がそちらへと釣られる。

 今まさに旬であるカシワの葉の香りを捉えていた。


 その皿に鎮座するのは、紛れもなく柏餅であろう。


 異国の菓子もよいが、日本の土壌どじょうはぐくまれたモノに勝るものはなし。


 鼻がうごめくのを止められない、止まらない。


 が、湊の様子が気になる。なりすぎる。

 小皿を両手で捧げ持ち、しずしずと慎重な足運びで近づいてくる。

 すり足かつ小さな歩幅で移動する意味は一体なんなのか。なんの厳かな儀式を単独で決行しているのか。


 真剣極まりないその所作は奇妙という他ない。


「先ほどからいやに忙しない。せっかくの茶も冷めよう」

「大丈夫。俺、ぬるくても、冷たくても美味しくいただけるから」


 なぜか小声の早口で返された。

 集中を切らせてくれるなよ、と副音声が聞こえてきそうだ。


「――こだわりがなさすぎるのも考えものよな」


 山神はつい呆れ気味に本音がこぼれてしまった。



 それから残りの月餅、柏餅まで余すことなく平らげた山神を前に、湊は終始浮かない様相だった。


「眺めてるだけで胸焼けした……」


 ボソリと本心を吐露したあと、冷めきった茶を一気飲みしていた。



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