6 目にも鮮やかな御姿でありました


 ギュッと翁が眉根を寄せる。鬼瓦もかくやの恐ろしきご面相である。


「……ん? ああ、アンタ、鳥遣いのにーちゃんじゃねぇか。一瞬、気づかなかったぞ」

「……はあ、どうもこんにちは」


 文句でもいわれるかと思えば、見えづらかっただけのようだ。ただの老がn……目がご不自由なのかもしれない。

 それにしても、面と向かって『鳥遣い』呼ばわりされたのは初めてだ。反応に困る。


「もしかして今の見てたのか? いやぁ、恥ずかしいとこ見せちまったなぁ」


 翁は照れくさそうにタオルを巻いた頭をかいた。意外に気さくだった。


「急に吹きつけてきた風に助けられちまったよ」

「そんなことあるんですね」


 感心している振りをしてごまかした。


「ここのところ、めっきり思うように身体が動かせなくなっちまってなぁ……嫌だねぇ、歳取ると」


 笑い交じりのおどけたいい方だが、隠しきれない悔しさがにじんでいる。


「まだまだ若いやつらには任せられねぇし、無理してやってきたが、そろそろ潮時かねぇ」


 節だらけの手で上腕をつかみ、骨組みだけの家を見上げる。


「この家だけは……最後までやり遂げてぇんだけどよ」


 小さくつぶやかれた本音から、やるせない気持ちが痛いほど伝わってくる。

 寄る年波には勝てない。

 亡き祖父も時折寂しげに口にしていた。どうしようもないことだ。決して抗うことのできない自然の摂理だ。

 が、それを真っ向から跳ね返してしまえるモノがいる。


「ぴ」


 言葉に詰まる湊の肩で、鳳凰がくちばしを開く。その口から、淡いピンクの光の珠が、ぶっ放された。

 シュバッと弾丸に引けをとらぬ疾さで翁の上腕に当たる。一瞬の煌めきをあたりに放ち、吸い込まれていく。

 そして光が身体全体へとさざなみのように広がっていった。

 その神秘的な光景は、湊の視界にしか映らなかった。


『この家だけではなく、死する寸前までいくらでも建て続けられるだろう』


 鋭きまなこで翁を見据える鳳凰の言葉は、湊には聞こえない。

 けれども翁の身に、いつぞやの越後屋店主と同じことが起きたのであろうと予想はついた。


「んん? なんだ……? 腕が……動く、痛みがねぇ……なんでだ……」


 翁は腕を上下させたり、手のひらを握ったり開いたり。忙しなく動かすその顔は、戸惑っている。

 だが、最初は遠慮がちだった動作にためらいがなくなっていった。突然の出来事に信じられないながらも、思い通り動かせることを喜んでいるのが見て取れた。


「では、失礼します。今度通りかかった時、また見せてください」

「お、おう。……また、こいや。そん時は、もう完成してるかもな!」


 威勢のよい声を背中に受けつつ、鳥たちを引き連れた湊が歩き出した。

 



 鳳凰は、わりと気軽に幸運を振りまく。

 人がつくる物が好きなせいか、職人も好む。悲しいことだが昨今では後継者がいないことで、失伝してしまった伝統技術も少なくない。


 ゆえに鳳凰の行いが、次代へとつなぐ手助けにはなるだろう。

 しかし鳳凰はまだ、療養中だといっていい。無理はしてほしくなかった。


 先日、霊亀が突然巨大化してしまったが、事前にわずかずつ大きくなる前兆はあった。応龍と麒麟も今では、出会った頃より、一回り近く大きくなっている。


 このまま楠木邸でのんびり過ごしていれば、そのうち二瑞獣にも何かしらの変化が起こるだろう。


 けれども鳳凰には、一向にそんな兆しはない。


 肩口を見ると、翼を広げ、風と戯れている。

 ひとまず元気そうで、安心した。

 時折、ころっと寝てしまい、ポケットやパーカーのフードに入れ、連れ帰ることもあるのだった。


 案の定、道すがら、鳳凰の瞬きが多くなってきた。


「鳥さん、バッグに入っておいたほうがいいんじゃないか」


 買い物バッグの口を開けて掲げる。

 その時、前方から黒スーツを着た男女二人が急ぎ足でやってきた。

 目前まで迫った時、その二人の胸元に鬱金色うこんいろの記章が見えた。


 見覚えのあるそれは、播磨はりまがつけている物と同じだった。


 陰陽師おんみょうじだ。


 そうわかってしまえば、男女二人は独特の雰囲気があるように見受けられた。なんとなく行方を目で追ったものの、角を曲がって脇道へと入っていき、見えなくなった。


 湊は、悪霊が視えない。

 気配を感じ取ることもできない。


 ゆえにこの場、あるいは近場に悪霊がいるかかも察知できない。


 ポケットからメモ帳を取り出す。

 そこには、鮮やかな墨色の文字がある。消えていないなら、悪霊とは行き合っていないということだ。

 それでしか判断できない。


 ともにいる鳳凰もとりわけ反応していなかった。

 時々、悪霊がいる場所へと誘導されることもあるが、今日はまだそんな事態にはなっていなかった。


 正直、陰陽師が近隣をうろついているのは、気になる。

 だが己は、所詮楠木邸の管理人であり、陰陽師ではない。

 少し特異な特技を活かし、護符を作成して金を稼いでいるにすぎない。


 それに、大それた厄介事が起きていると決まったわけでもないだろう。もしかすると先の男女は、陰陽師ではなかったかもしれない。


 鳳凰を見やると、肩にいるといいたげにがっしりと服をつかんでいる。


「……帰ろうか」

「ぴぴ」




 伸び放題の竹やぶに埋もれた小さなおやしろに通りかかった。

 長らく誰の手も入っていないであろう様子が垣間見えるそこは、いつも素通りする場所だ。流し見る程度でよく知らない。


 しかし今日は、細部まで明瞭に見える。


 雨ざらしの木造のお社は、大方潰れていた。

 横から伸びた竹により、斜めに傾いでいるものの、反対側の竹に支えられ、完全に潰れるのを免れている。まるで竹にいいように翻弄されているようだ。


 真ん中あたりに観音扉がある。

 その片側が半分開いていて、中には――。


 ハッと湊が我に返る。

 あと数歩でお社にぶつかる位置まで迫っていた。


 どうしてこんなそばまで寄っているんだ。

 慌てて、後退しようとする。

 

 が、できない。

 

 身体が引っ張られる。足を止めようとしても、全身を強い力に引かれて止められない。

 抵抗虚しく、お社目前の土を靴先が踏んだ瞬間、その地点から水面に波紋が広がるように空間が波打った。


 直後、鳳凰が肩から飛び立つ。


 即座、变化へんげした。宙に浮かぶ、翼を広げた孔雀クジャクに似た姿。鮮やかな紅色を基調とし、風切羽かざきりばね尾羽おばねは、黒、白、赤、青、黄の五色。全身から真珠の光を放っている。


 振り仰いだ湊が目を見開く。

 それが鳳凰の真の姿なのだとすぐに理解した。

 吉兆の前触れに現れる、めでたい瑞獣と称される納得の外見だった。


 その鳳凰が楠木邸方面へと向かい、高らかに鳴く。


「ギョェェエ゛エ゛エ゛ーーッ!!」


 耳をつんざく大音量。美しき見目にあるまじきダミ声。

 似合わないにもほどがある。

 湊に激震が走った。


「……噓だろ」


 麒麟もひどかったが、鳳凰のほうがもっとひどい。

 ひよこの時の澄んだ声色、どこいった。

 同じ声帯から発せられたものとは到底思えない。


 脱力した拍子に、たわんだ空間の中へと引っ張り込まれていく。

 ぽんっとひよこに戻った鳳凰も、素早くそのあとを追う。


 静かに観音扉が閉まった。

 そこにはもう、誰もいない。湊も鳳凰も消えてしまった。風に吹かれた竹やぶが、ざわざわと葉ずれの音を立てた。

 

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