37 管理人の御役目


 静けさを取り戻した庭で、鳳凰が軽く息をついた。

 トントンと飛び跳ね、己が寝床――石灯籠へと向かっていく。

 火をともす場所――火袋ひぶくろへと入る前、振り返って湊を見やった。


「ぴぴ!」

「おやすみ、鳥さん」


 鳳凰の言葉はわからない。

 が、こちらも麒麟と同じく幾度も山神が通訳してくれたのと、わかりやすい仕草ゆえにほぼ理解できていた。


 火袋の中にはクスノキの葉を敷き詰めてあり、その上にふかふかの座布団が置かれている。

 鳳凰はその座布団の中央に身をうずめると、すぐさま眠ってしまったようだ。


 慕ってくる鳥――鳳凰曰く『我が子』たちから頼られてしまえば、律儀で几帳面な鳳凰は無下にはできまい。

 少し張り切りすぎたのだろう。ゆっくり休んでくれたらいい。


 湊は手早くいちご大福を平らげた。糖分補給を終えたなら、仕事の時間だ。

 

 楠木邸の管理人のお役目。それは、家内外の維持管理である。

 

 この家の買い手が現れた際、いつでも明け渡せる状態にしておかなければならない。

 ゆえに常日頃から清掃に励んでいるのはいうまでもない。


 家の中では、極力汚さないよう気を遣って生活し、水回りなど使用後は必ず拭き上げるくらいだ。

 そのせいもあり、気軽に過ごせる縁側で過ごす時間のほうが長いのだった。

 なお、退去命令が下された場合、当日にでも速やかに出ていけるよう、物も増やさないようにしている。


 ともあれ、いくら鳥たちが行儀よくとも、そこは野生動物。彼らの去ったあと、クスノキの周囲には羽根やフンが落ちているものだ。


 まず風のみで羽根やフンをあらかた取り除く。

 湊がクスノキを指差すと、指先から風が放たれた。その威力は至って穏やかで、ゆうるりと渦巻く風がクスノキを取り囲んだ。


 最近、クスノキはこの風の繭に包まれるのがお気に入りだ。湊は決してその枝葉を傷つけぬよう、最大限に注意を払い、やわらかな風に調整していた。

 

 湊の生み出す風は、大本である風神ふうじんの起こす疾風迅雷しっぷうじんらいの風とは大きく異なっている。

 気まぐれで与えられた風の力を己がものにすべく、眷属たちの創った神域でさんざん偽物の木を刈りまくった。


 しかしその後は、風の切れ味は上げていない。

 もっぱらクスノキの清掃用だったり、荷物を運ぶ際に浮かせてみたり。いかに便利に遣いこなすかだけに努めていた。

 

 風のみで汚れを取り除き、次いで樹冠部分と地面の落ち葉及び羽根を地面にかき集める。

 終わった拍子に、御池の中の応龍が水を飛ばしてきた。それを風で巻き込み、今度は霧状にしてクスノキを包んだ。

 御池の水で洗浄である。


「龍さん、ありがとう」


 ばちゃん。応龍が尾で水面を打って応えた。毎回、さりげなく手伝ってくれている。


 気の利く御方だと湊は思っている。

 その身の青が示すように物静かで、物腰もやわらかい。やや酒癖が悪いものの、庭を漂うだけだ。さしたる問題でもないだろう。

 

 さておき御池の水は、神の水である。

 元から山神の力が入っており、さらには霊亀、応龍が住んでいる。そのせいで不思議な力を有している。


 湊が護符作成時に使用する時には、その祓う力を増幅させ、さらには使った筆の汚れも浸けただけで落とすという万能具合。


「どんな成分が入ってるんだか……」


 思わず、つぶやく。草餅を食みながら、山神がにんまりと眼を弓形にした。

 


 クスノキは、湊が種から育てた木だ。

 毎日欠かさず水をやり、手塩にかけて育てた。我が子のように大切に思っている。


 なんといっても、通常の木とは異なり、完全に自我を持つのも大きい。細かいニュアンスはわからずとも、意思の疎通が図れるのだから。


 そんなクスノキが回る風に枝葉をゆらし、喜んでいる。自ずと湊も笑顔になっていた。

 そろそろいいかと風を消した時、ポテッと枝からスズメが一羽落ちてきた。


「まだ、いたのか!」


 風を止めた湊が、クスノキのもとに駆けつける。

 根のあいだに落ちたスズメは微動だにしない。目を回し、気絶させてしまったのかもしれない。

 覗き込んで見ると、穏やかな顔つきで胸のあたりが上下している。


「……まさか、これって……寝てる?」


 スヤスヤとおやすみのようである。


「呑気なやつだな。俺が触ったらよくないよな……どうしよう」


 頭上でさわさわと葉音が鳴った。

 クスノキが何か語りかけてくれているようだが、詳細までは知れない。


「そやつは放っておいて構わぬ。お主の風は心地よいから、眠りに誘われただけであろう。じきに目が覚めよう」

「心地よいって……弱めてはいるけど、自然の風に比べたら強めだと思うけど」

「神木も喜んでおるだろう」

「特別なクスノキだからだと思ってた」

「癒やされると云っておるぞ」


 ざわっと賛同するように枝葉が動く。湊がクスノキを見上げ、幹に触れた。

 その感触は固くとも、じんわりとあたたかい。クスノキ全体がそうで、むろん地を這う根もだ。

 根のそばにいるスズメも心なしか心地よさげに見えた。このまま放っておいても大丈夫だろう。


 スズメをそのままにして、湊は集めた落ち葉類を片付けた。

 

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