27 数多の風来坊
まっすぐな目を寄越され、あまつさえ断定口調で告げられた湊は戸惑うしかない。
「風の……声……?」
ごとり。急須を座卓に戻す。湯飲みを持ったまま逡巡する。
三柱はその間、好き好きに呑んで食べている。
さほど時間もかからず、湊は思い出した。
御山でかずら橋を見たあと、穢れた野鳥集団を祓ったあと、ふいに人の声に似た抑揚のついた物音が聞こえたことがあった、と。
「あれは、風の声だったんですか? というか、風に声があるんですか」
「僕自身がその具現化した存在だけど」
「声どころか、御姿までありますね……」
今さら何を言わんやとばかりに三対の呆れを含む視線を向けられ、居心地の悪さを覚えた。
「その声は、風の子――風の精とも呼ばれるけど、どこかで誰かが話した声なんかをキミに届けているんだよ。だから、よく耳をすませてあげてほしい」
「ただ聞けばいいんですか……?」
「そう、彼らに意識を向けて聞こうとする姿勢が大事なんだ」
山神が視線を空へと流す。屋根の少し上付近で、神域が大きく開かれた。
次々に自然の風――風の精が入り込んでくる。
風神をもっと幼くして縮めた、二頭身ほどの子鬼の姿。
そんな風の精たちがわらわらと湊の周りに集まり、わいわいがやがや好き放題に騒ぐ。
されど湊はただ風の流れを感じるだけで、姿も視えず、声も聞こえていない。
やや眉間にシワを寄せ、耳に意識を集中させる。
しかし、やはり聞こえない。
しばらくそのままでいると、耳の上に当たる風に交じり、消え入りそうなかすかな音が聞こえはじめた。
とはいえ高くも低くもない音は、人の声とは別物らしい程度の曖昧な判別しかできない。
それも気になるけれども、山神の口元から垂れ下がる貝割れ菜が、いやに視界の端をちらつくほうが目について仕方がない。
「双眸を閉じよ」
山神がそう助言するも、その口元からびろんと飛び出した一本の貝割れ菜が、どうしようもなく気になって、気になって。
雷神がカツオの切り身を、タレにどっぷりと漬け込んだ。
「人間は視覚に重きを置きすぎよねぇ」
「みたいだね。目を開いていると、もっとも多くの情報が入ってくるそこにかまけて、他がおろそかになってる」
「よねぇ。アタシたちには理解できないわよね」
雷神が片手を振って、山神を注視している湊を促す。
「ほらほら、早く目をつぶりなさいよ。どうせアンタの目はあんまり視えないんだから、開けてたってしょうがないでしょ」
間違ってはいないが、ひどい言われようである。雷神は本当に歯に衣着せぬ物言いをする。
複雑な表情になった湊だが、素直に瞼を閉ざす。
胸中で風の声を聞いてみたい、聞きたいと思いながら。
「ま、僕の子らは相当気まぐれだから、毎回有益な情報を運んでくれるわけでもないんだけどね」
「いかにも、アンタの子たちよね」
雷神のつぶやきにまったく反応せず、風神は手酌で酒をついだ。
また湊の片方の横髪だけがゆれる。
風の精は片方の耳にだけしか話しかけないようだ。よってそちらの耳だけに意識を向ける。
しばし頑張るも、明確な音は拾えない。
少し雑音が聞こえるような気もするが、それは自分の中に流れる血潮の音なのかもしれない。
正座した脚の上に握り拳を置き、最大限に耳をすませる湊の傍ら、風神のグラスが細氷に包まれる。
そこに横風が吹き、庭へと向かって数多の氷晶が細くなびいた。
「こら、ダメだよ。いたずらするんじゃない」
素早く逃げていった風の精を風神が軽くたしなめると、湊の耳元できゃらきゃらと楽しげに笑う声がした。
「あ、笑ってる?」
「うん。さも楽しげにね」
湊が目を開けると、風神は呑み干したグラスを脇へと置いた。
「キミが僕の子たちの声に耳を傾ける姿勢を崩さないなら、今以上に声や音を運んでくれるようになるよ」
「風神様がこの前、俺の周りで起きた出来事を知り得たみたいに、ですか?」
風神が首を傾け、うっすら口角を上げる。
「そう、自ら盗み聞きなんて無粋な真似をしなくても、彼らに訊けば、その時の声音を一言一句違わずに再現してくれるよ」
「再現?」
「うん。正直、風の子らはあまり知能は高くないんだ。人の言葉の意味もよくわかっていない。だから、その時の音をただ真似るだけしかできない」
「そうなんですね」
あたたかい風が湊の片腕を取り巻く。そこに向かい、尋ねてみる。
「昨日ここで聞いた声、教えてくれる?」
注意深く耳をそばだてるも、とりわけ何も応えは返ってこなかった。
「とは言っても、僕なら詳細な意思の疎通は可能だけど、人間であるキミとは難しいだろうね」
風神がカツオの切り身に、スライス玉ねぎをどっさり乗せつつ湊を見やる。
「まあ、その場で過去に起きたことを知りたいくらいなら、そのうち教えてくれるようになると思うよ」
ゆるやかな風が湊の上半身をくるりと取り巻いた。
風神が笑う。
「そしてもっと気に入られたら、いずれ遠くにいる誰かの声を運んできてくれたり、キミの声を遠くのモノに届けさせたりも可能になる」
風の精たちの戯れで、湊の髪が乱れ、上着の裾がバタついた。
湊が手のひらを上に、腕を前へと伸ばす。
生あたたかな風の塊が腕をぐるりと伝い、手のひらでギュルギュルと回転したあと、あっさり上空へと逃げていった。
相当気まぐれなのだろう。手懐けるのは骨が折れそうだ。
「俺が気に入ってもらえる日は、いつかくるのか……」
湊が苦笑する中、山神がついっと顎を上げる。
即座、上空から風が吹き下ろしてくる。
ひゅるりと風の塊が大狼を取り囲み、長毛をふわふわとなびかせて、また上空へと戻っていった。
どう見ても、風の精は山神に応えていた。
「……山神さん、風の子たちと友達?」
尊大に胸を反らす、その口元にはもう貝割れ菜はない、威厳は保たれている。
「うむ。永い付き合いゆえ、な」
「そりゃあ、ながぁ〜い付き合いにもなるわよ。アタシたちって、この星ができてまもなくの頃には、概念はあったしねぇ」
あっけらかんと雷神に暴露され、湊が真顔になった。
途方もない歳月に気が遠くなりそうだ。
雷神はケタケタ笑う。
「やっだ、歳がバレちゃうわぁ」
「今さらでしょう。まぁ、昔の記憶は曖昧だけどね。気がついたら大陸の位置が変わってたこともよくあったよね」
彼方を見やった風神も同調する。
「よねぇ〜」
「なにかと頻繁に動いておったからな、大昔はまったく落ち着かんかったわ」
うんざりした雰囲気を醸し出す山神の傍ら、湊は無言で茶をすすった。
話についていけない。
神々と人間の間に立ちはだかる時間の概念の差はいかんともしがたい。
「雷神が頻繁に雷を落とすせいで、そこら中の山も地面も、深々と抉れておったわ」
「楽しかったのよねぇ。若気の至りじゃない、かわいいもんでしょ」
「小島を一つ消失させたのは、流石にやりすぎだったと思うけどね」
山神と風神からお小言を食らっても「そぉ?」と気にもしない雷神は、グラスを酒で満たす。
「そんなのたった一回だけだったでしょ。それにアタシがあけた地面は今ではたいてい湖になってるからいいんじゃない? 渡り鳥の羽を休める場所として役立ってるでしょ。今日もここの一番近くの町の南側の湖にたぁくさん鳥が来てたじゃない」
「それは、結果論でしかないよ」
「あそこ、かつてないにぎわいだったわよ。大人気スポットになってるからいいじゃない。ねぇ?」
突然水を向けられた湊は、空笑いするしかなかった。
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