24 我が思い、ぬしに届くやうに


 たとえその身が小さくなろうと、山神の動作は変わらない。

 ぱらり、ぱらり。淡々と単純作業をこなすように、ページをめくっていく。その視線はさほど動かない。

 雑誌の情報より、ネットのほうが早いのは自明の理である。

 ほぼ先読みした情報を流し見、ネットには上がらないローカル情報にさらりと目を通していく。


 そうしてようやく、次のページから、お待ちかねの記事を迎えた。


 そう、『春の桜三昧和菓子特集』である。


 ややもったいぶってめくった瞬間、小狼の全身がぷるると小刻みに震えた。


「……ぬ……ぬぅ……」


 ろくに言葉も出てこないご様子。

 一挙に視界に飛び込んできた桜づくしの和菓子たちに、言葉も視線も心も持っていかれてしまった。


「な、なんたる罪深きことかっ……」


 紙面を埋める桜色の和菓子の数々。ほとんど桜餅なのはご愛嬌であろう。

 日本人にとって春といえば桜、桜といえば春。ほぼセットなので。


 しかし桜餅には、二種類ある。

 関東風――小麦粉を伸ばした生地でこし餡を包む。別名、長命寺桜餅。

 関西風――もち米を使用した道明寺粉、小豆餡、一枚の塩漬けした桜葉で包まれてる。別名、道明寺桜餅だ。


 ここは、西日本に当たるため、関西風の道明寺桜餅が主流となっている。紙面の桜餅もほぼ、桜色のつぶがはっきり残っている饅頭の形をしている。

 もちろん山神はどちらも大好きだ。


 右上からくまなく、余すことなく眺めていく。刻々と眼はとろけていき、その口もわずかに開いていった。

 だがしかしすべてに目を通し終えると、一度大きく瞬く。不可解そうに小首をかしげた。


 おかしい。この町一番の桜餅店の桜餅が載っていない。


 あの他の追随を許さない圧倒的人気を誇る、名店『越前亭えちぜんてい』の関東風桜餅が載っていなかった。

 毎年必ず関西風を押しのけ、紙面のセンターに君臨していたというのに。


「なにゆえ……」


 困惑しながら、次のページへ。そのページもまた桜餅が載っていた。まだ特集は続いていたらしい。


 ようやく越前亭が登場した。しかも店主が出張り、店舗の前に立っている特別扱い。馴染みの男性が、商品の載った小皿を片手にしていた。

 中肉中背、五十代とおぼしき外見。白髪の多い頭髪がよく似合っている。

 若かりし頃は、さぞかしおモテになったであろうことが想像のつく容姿である。

 どうやら人気店のみ別ページになっていたようだ。


「ぬぅ、越前亭め、やりおる。三十年ほど前に突然この町に出店し、破竹の勢いで顧客と若い女人にょにんを獲得していっただけはあるわ。越前亭よ、今年もぜひ主の桜餅を――」


 口の動き、呼吸、瞬時に停止した。


 が、即、再起動を果たす。きゅわっと眼も口も開いた。


「ぬかったわ! 越前亭の爺、死にかけておるではないか!」


 店主は笑顔だ。

 けれども、その笑みはひどくぎこちない。よくよく見れば、袖から覗く腕も異様に白く細い。見るものに不安を与える写真だった。


 ぐるぐると喉を鳴らす山神の全身から、金の糸が放たれる。

 無数の光の先端が鼻先に集まり、渦を巻く。徐々に丸い形状になっていった。

 前回より、やや時間がかかっているのは、山神の力が弱まっているからだろう。

 小振りな前足で押さえられたままの雑誌の端が、ぱらぱらとめくれていく。御神体の木々に止まっていた鳥たちが、我先にと空へ逃げていった。

 


 その間、湊といえば。

 仕事道具は箱に入れて片付け済み。和紙も退避済み。家の窓も全部閉まっているため、問題ない。

 そして鳳凰も胸ポケットに納め済み。スタンバイオッケー。

 いつでもこい。

 やるべきことすべてを済ませ、庭を背に身構えていた。


 人は経験から学ぶものである。

 一度でも痛い目に合えば、即座に回避行動を取る、それが楠木湊という男だ。

 前回、山神から吹き荒れた風をもろに喰らい、耐え抜いたものの、だいぶ必死だった。

 そんな今の湊、あの時とは違う。

 対抗できるすべを磨き上げた。それに今の山神は万全ではなく、前回よりも威力が劣っている。

 きっと、善戦できるだろう。

 


 ほどなくして、小狼の黒い鼻先に白い珠が完成した。

 かなり小さい。ゴルフボールくらいしかない。しかし、ほろほろとこぼれ落ちていく金の粒子の数は多い。

 山神を起点に爆風が吹き荒れる。風が咆哮をあげた。


 きた。


 湊がすぐさま防御風を展開。それは、己のみを囲う物ではなく、庭と縁側に境界をつくった。

 御神体の木々は、暴風のあおりをまともに喰らい、形が変わっている。家のガラス窓も激しく振動していた。


 しかし、こちらに向かってくる風は全部押し止め、上空に逃がせている。

 背後のクスノキや桜の木たちが、横殴りにされる事態にはなっていない。クスノキがしめ縄をくるくる回して遊んでいた。

 むろん、霊亀は大岩上に、応龍は御池の底に沈んでいる。

 麒麟はお出かけ中。庭の平和――日常風景は保たれている。

 力を貸し与えてくれた風神に、感謝するしかない。


「あとで風神様に捧げる酒買いにいこう」

「ぴ!」

「一緒にいく?」


 湊はわりと余裕をかましていた。

 


 風の中心で毛をなびかせる山神は、前足を振り上げる。


「よいか、越前亭よ。主は越後屋と同じく健康に戻ったからといって、昔のように女遊びなぞするでないぞ」


 勢いよく降ろされたが、スカッと空を斬った。空振った。

 白き珠は、まだそこに浮いたままだ。

 狙いが外れ、ぱちくりと山神が瞬いた。


「ぬぅ、目測を誤ったわ」


 前足も小さければ、珠も小さいせいだ。

 再び照準を合わせ、前足が振り下ろされる。

 が、なびく毛先が鼻先をくすぐった。


「へっくしょんっ」


 くしゃみをしたはずみで、珠の横を爪が掠ってしまった。

 バシュッと明後日の方向へとかっ飛んでいく。ガラス窓を突き抜け、リビングを横切り、壁も越えていった。

 光の帯だけが室内に残存している。

 完璧に行き先が反れてしまった。けれども――。


「……まあ、よかろう」


 地球は丸いのだから。

 いずれ、否、すぐにぐるりと一周し、無事に越前亭店主のもとへと届くだろう。

 宛先は定めているため、越前亭にしかいかないのである。


 よっこらしょ、と座布団に座り直した山神が雑誌に没頭し始める。途中から笑っていた湊が、風を止めて縁側へと戻っていった。

 その背後で、クスノキが枝葉をゆらして笑っている。上空に巻き上げられた桜の花弁が、はらはらと庭へと舞い落ちた。

 

 

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