17 陰陽師たち、泳州町へ出撃




 まもなく日も暮れそうな刻限。方丈町南部と泳州町をつなぐ橋を渡る二人の陰陽師の姿があった。

 横から照りつけてくる西日に双眸を細めるのは、洋装の播磨と和装の葛木だ。

 上司に言われた通り、二人きりで赴いてきていた。


 播磨が上司から許可をもぎ取り、部屋を出た所に待ち構えていたのが、葛木であった。みなまで言わずともついてきてくれて、非常にありがたかった。

 偶然にも身内のごうの者――姉とか義兄とか妹とか分家の者とかは、こぞって遠い地へ出向いて不在だったからだ。


「あいつが悔しがるとこ、俺も見たかった」


 葛木に残念そうにつぶやかれ、播磨は苦笑した。

 あいつとは、むろん上司のことである。彼らは同期でも仲がよろしくなかった。


 葛木家もまた、特殊な祓い屋の家系である。

 播磨家と同じく、近世陰陽寮にスカウトされた口だが、陰陽道宗家に匹敵する長い歴史を持つ。

 ただし直系男子にしか霊力が遺伝しない血筋であり、現在陰陽寮に所属する葛木家の者は、小鉄のみである。


 その小鉄が両脇にぬいぐるみを抱えている。

 式神のサメとクジラだ。彼の式神たちは父のモノと違い、姿を隠せない。


「俺、ぬいぐるみを抱えたヤベェおっさんに見られそうだな」


 幸いにして行き交うのは車のみで、さほど通行人はいない。


「大丈夫でしょう。堂々としていれば、勝手にお子さんへのお土産だろうと勘違いしてくれますよ」

「うちの息子たち、もうぬいぐるみを渡して喜んでくれる歳でもねぇけどな」

「二人とも高校生でしたね。陰陽師になるんですか?」

「長男はな。次男は嫌がってる」

「『オレは、爺ちゃんみたいな退魔師になる!』って、幼い頃からずっと言い続けてましたよね」

「そうなんだよぉ。退魔師になるって言ってきかねぇのよ。いまだに親父に憧れてやんの」


 やや苦い気持ちが含まれた声色であったのは、父として複雑なのだろう。

 視線を落とした葛木が片眉を跳ね上げた。


「おっと。一号、綻びができてるじゃねぇか」


 サメの口元が少しほつれていた。サメがふいっと横を向く。


「ちゃんと申告しろっていつも言ってるだろ。気づかなかった俺も悪いけどな」

『まだダイジョーブ。これぐらいなら大したことないって!』


 とサメが頭部と尻尾を振って元気さをアピールしている。

 そんなに動いたら、ただのぬいぐるみを装っているのが台無しではないかと播磨は思う。

 サメは活きがよく、何も問題ないように思われたが、葛木は顔をしかめている。

 式神に対して激甘な彼だが、これだけは決して許さない。もしほつれが広がり、中の綿が出尽くしてしまえば、式神は死ぬからだ。


「ダメだ。いまからじゃもう縫えねぇし、二号とチェンジする」

『そ、そんな、ご無体な! ぎゃーっ、やだやだやだー!』


 どれだけ暴れて拒否ろうとも、葛木は容赦なく形代に戻した。式神たちが長らく存在して活動できているのは、彼が慎重ゆえでもある。


「葛木さん自ら修繕するんですね」


 播磨が葛木の腕の中にいるクジラをつぶさに観察すると、至る箇所に繕われた跡がうかがえた。


「おうよ。おかげで裁縫の腕がメキメキ上がったわ」


 苦笑いしながら胸元から新たな形代を取り出した。

 即座に姿を変えて飛び出したのは、ペンギン。葛木の懐でゴソゴソと動き続けているサメの形代を、フリッパーでなでてなだめている。

 非常に和む光景だが、それらに目を奪われてばかりはいられなかった。


 橋を越えてしばらくすると、瘴気に包まれた。

 葛木がうるさそうに首を振り、播磨は身構え、四方へ視線を投げる。


「なんだ、この町の有り様は――」

「ひでぇな、こりゃあ。こんだけ瘴気が濃いなら、常人にも影響出てるだろ」


 見回す両名の眉間が寄った。

 道行く者たちは覇気がなく、落ちつきもない。

 陰陽師たちは歩きながら、呪を唱え、符を用いて瘴気を祓っていく。時折、傍らを通過していく人にまとわりつく悪霊も祓いながら。

 常人にはわからない。悪霊の絶叫も、破裂して瘴気もろとも消えゆく様も。

 誰にも不審がられず、二人の陰陽師が道をゆく。葛木の腕に抱えられた式神たちも大口を開け、瘴気をむさぼり喰った。


 巨大なシロナガスクジラのモニュメントが夕暮れの赤に染まっている。

 播磨はそれを横目で見たのち、前方へと視線を向けると、歩み寄ってくる若者があった。うつむきがちな顔には影が掛かり、表情はうかがえない。

 その背に浮遊する人型の悪霊があげる怨嗟の声から、取り憑いた若者によほどの恨みがあるのだと知れた。


 無表情の播磨はすれ違いざま、格子紋の描かれた手でその悪霊の首をつかむ。悲鳴すらあげる暇もなく、ちりじりになっていくモノに目をくれずに歩き去った。


 悪霊に同情はしない。

 恨みから悪霊と化した元人間や動物にいちいち心を痛めていたら、陰陽師なぞ務まるはずもない。

 陰陽師や退魔師になるには、精神力の強さも求められる。祓える力を持っているだけでは、断じてなれはしない。

 悪霊に同情どころか同調し、心を病んでしまう者もいるからだ。


 やがて太陽があばよと世間に別れを告げ、地平線の向こうへと旅立った。刻一刻と暗くなっていく中、播磨と葛木は動かし続けていた脚をようやく止めた。

 彼らの正面には、古びた建物がある。

 錆びた看板を掲げており、元店舗の名残がうかがえた。割れたガラス窓から瘴気が立ち上っており、悪霊のたまり場と化している。

 播磨が周囲を見渡す。


「ここにくるまで、一度も退魔師に会いませんでしたね」

「ああ、あの猟犬ばりに鼻が利くやつらが珍しいよな。というか、式神に見張らせていないようだな」


 葛木も首をめぐらす。どこにも、式神の気配がない。

 地に根ざす退魔師たちは、たいてい己たちの縄張りを主張するように、その地の至る所に式神を配置しているものだ。野生動物の姿を取っている場合が多く、熟練の術者のモノであれば、見分けるのは困難を極める。


 全神経を総動員する二人の陰陽師には、不自然な生き物を捉えられない。クジラとペンギンも匂いを嗅ぐように口とくちばしを上下させるも、同類の気配を感じていない。


「泳州町の退魔師がいなくなったってことはねぇよな?」

「ないと思われます。先日二人も会いましたし、そのうえ帰ってきたばかりだと言っていた若者もいました」

「そうか。じゃあ、その線は絶対にないわけだ」

「ですね」


 二人は深々とため息をついた。播磨が建物を見上げる。


「町に瘴気が渦巻き、至る所で悪霊が巣喰っている。こんな異常事態を退魔師が気づかないはずがない。――自分たちで悪霊を増やしているとしか考えられない」

「ああ、俺もそう思う。なにやってんだかなぁ。アホだろ」


 顔を歪めた葛木は吐き捨てた。その腕から飛び出したクジラの背にペンギンが乗り、一体となって建物へと突撃していく。

 それを見ながら播磨は告げた。


「先日会った若者が言っていました。悪霊祓いは一番実入りのいい仕事だから、退魔師同士で取り合いになるのだと」

「だからって、自分たちで増やして祓うとか! マッチポンプじゃねぇか!」


 葛木が頭を抱えてしまった。


「とにかく、いまは悪霊を祓うしかないですね」

「ああ、だが多すぎる」


 術者二人で町一つ分にもなる広範囲の悪霊祓いなど不可能に等しい。

 葛木が懐に手を入れた。


「とりあえず、空から呪符をばらまくか」

「お願いします……」


 播磨の表情は苦々しい。いまの彼には、手の甲に描かれた湊印しか手立てがない。

 自前の霊力は底をつきかけ、湊から購入した護符はすべて親族に渡していた。

 葛木は播磨の体質のことを承知している。にっかり歯を見せて笑った。


「おうよ。おっさんに任せとけ」


 取り出した形代をサメへと変化させ、その胴体をがっちりつかんで顔を突き合わせた。


「いいか、一号。お前さんに頼みたいのは、空から呪符をばらまくことだ」

『え〜、ヤダ。悪霊が食べたい、食べた〜い!』


 いやいやと大口を開けたサメが激しく身をよじる。手の力を強めた葛木が真顔で諭す。


「そのほつれた口で悪霊は喰うな。近づくのもダメに決まってる。絶対にだッ! わかったな?」


 心配がすぎると思うも、己を思うがゆえのことだとサメも理解している。

 ムギュッとお口を閉じて、了承した。


 藍色の空に幾多の星が瞬いている。上空の清廉さとは裏腹に、禍々しい瘴気に満ちた地上へと向けて、幾多の紙片が降り注ぐ。口を閉ざしたサメが中空を泳ぐように飛びながら、そのヒレの下から呪符を落としていった。




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今年最後の更新です。

皆様、良いお年を!

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