16 播磨の静かなる戦い




 夜陰に沈む南部の中心街。人の絶えた大通りの両側には、翡翠の光が並んでいる。湊が記したジグザグの道標のようなそれは、昼には二十個以上あった。

 しかし今現在、その数は半分以下になっていた。

 黒い人影が、小さな容器に入った黒い粘液で翡翠の光を丹念に上書きしたせいで。

 店舗の壁、電信柱、信号機が汚れようと気にもとめない。


「ちっ」


 舌打ちしつつ、とにかく消す。消し尽くす。なにがなんでも消さなければならない。

 手間をかけて増やした悪霊を祓ってしまう、このにっくき光を。

「余計なことしやがって。忌々しい」

 黒装束の男は恨みがましい声でつぶやき、最後の光を乱暴な手つきで塗りつぶした。



 ◯



 都内にひっそりと存在する陰陽寮の一室にて。

 机越しに播磨と差し向かう壮年の男の姿があった。机に両肘をつき、重ねた手の甲に顎を乗せる男は、播磨の直属の上司である。

 小太りで抜け目のない目つきをした、事なかれ主義者だ。己の保身を第一に考える、部下からまったくもって信頼されないタイプでもある。

 とはいえ、普段誰も彼への嫌悪感を態度には出さない。

 むろん播磨もそうだが、いまは全面的に出していた。


「泳州町の悪霊祓いの許可をください。お願いします」


 突っ立った播磨は斜め下を見下ろし、つい先ほど口にしたばかりの台詞を吐いた。

 通算五度目である。それに対して上司は、


「ダメだ。許可は出せない」


 女性めいた高い声でこちらも同じ言葉を繰り返した。

 変わらぬやりとりに飽きたとばかりに肩をすくめ、大仰な座椅子の背もたれに寄りかかる。


「泳州町には退魔師の家系も多い。彼らに任せておけばいいだろう。君らがしゃしゃり出る必要はない」

「ですが、我々の管轄である方丈町南部まで悪霊が増えているのは、どう考えても泳州町の悪霊がまともに祓えていないせいです」

「少し手が回ってないだけじゃないのかね。しばらくすれば、減るだろうさ」


 剣呑な雰囲気なのは播磨だけで、上司はのらりくらりとかわし続ける。

 いくら現場が危機的な状況であろうと、上層部がそれをほとんど把握していないのは、いかなる界隈でも珍しくもなかろう。

 が、叩き上げではないこの上司はなおさら理解していない。ろくに霊力を持たないものの、陰陽道宗家の出であるがゆえに今の地位を得た人物である。

 播磨は歯がゆくて仕方がない。


 ――それなら、あんたも現場にいってきたらどうだ?


 そう告げて、その背中を蹴り飛ばし、悪霊がうようよいる場所へ強制的に送り込みたい。


 ――できるはずもないが。


 涙のみならず、その他諸々まで垂れ流しかねない。どころか心の臓まで止まってしまえば、さすがに寝覚めが悪い。

 上司はこれみよがしにため息をつき、机上の書類にサインしはじめた。

 話は終わり、もう耳は貸さないとの意だ。

 通常であれば引くが、今回は引く気がなかった。


 播磨は横っ面をぶん殴る勢いで告げた。


「――わかりました。許可をいただけないのであれば、本日をもって、我が播磨一族は一人残らず陰陽寮を辞します」


 突然絶縁宣言を叩きつけられ、上司は持っていたペンを落とした。


 現在、陰陽寮の上層部を牛耳っているのは、陰陽道宗家――四家にまつわる者たちである。

 それは平安の頃から何一つ変わっていない。とはいえいくら宗家といえども、年々血が薄まるせいで弱体化してきている。

 江戸の頃、陰陽寮自体がろくに機能を果たせない状態にまで陥ったことがあった。


 その時、矜持の高い四家もようやく折れ、悪霊祓いを生業とする市井の者たちを、陰陽寮に引き入れるようになった。

 そのうちの一家が、播磨家である。

 もとより憑坐の家系であった播磨家だが、その娘を娶った男神が我が子や孫かわいさに、護身用として神の武器を与えた。

 しかしそれは、神の思わぬ使い方をされてしまう。

 勇猛であった彼女たちは、率先して他者に取り憑く悪霊を祓いはじめたのだ。

 それが、播磨の一族が祓い屋として歩むことになった経緯である。


 話を戻すと、現在陰陽寮の人員は二百名ほどだが、その三分の一を播磨の血族が占めており、最大勢力となっている。

 彼らを陰陽寮に引き入れたのは、大誤算であったと四家が後悔しているのはさておき。

 播磨一族の大半は第一線で活躍しているため、もし彼らがあますことなく抜けてしまえば、陰陽寮はふたたび存続の危機となろう。


 上司は机上に置いた両手を握りしめ、播磨を睨み上げた。


「な、なにを勝手なことを言っている! 私を脅す気か! だいいち、お前にそんな権限があるとでもいうのかッ」


 四家は長子――男子相続である。

 播磨家は嫡女が当主につく家柄のため、嫡男でありながら家督を継ぐ資格すらない才賀に対して、四家絡みの者たちは哀れみと侮蔑の感情を抱いている。


 だがそんな態度をあらわにされようと、播磨の心がゆらぐことはない。

 播磨才賀にとって当主の座につけないことなぞ、どうでもいいことだ。

 人には向き不向きがある。己が一族を束ねる才覚を持ち合わせていない自覚があり、何より柄でもない。

 カリスマ性のある姉こそが相応しいと本気で思っている。

 その姉――次期当主も己が発した宣言に反対しないのも知っていた。


「もちろんあります。播磨家現当主の許可は得ていますので。先ほど言ったことは、当主の言葉としてとっていただいて結構です」


 はったりではない。まことであった。

 播磨家当主は、陰陽寮に属していない。若かりし頃は所属していたが、当主の座についた時、ならわしにより辞している。

 その彼女は、ごくたまにしか帰宅しない愛息に毎度のごとく告げていた。


『才賀、陰陽寮を自分たちのモノだと勘違いしているアホどもが、ろくに耳を貸さなかった時や理不尽な要求してきた時は、一族みんなで抜けるぞと脅してやんなさい。実際辞めても構わないのよ。陰陽寮への義理は、十分果たしたもの。職を失っても大丈夫。誰一人路頭に迷うことにはならない――させないわ。わたくしがね』


 と。少女のごとき無垢な笑顔で残酷、かつ頼もしい台詞を吐くのが母である。


 ともあれ、そのアドバイスに従ったのは、今回初になる。


 ――さて、上司はどう出るか。


 静かに返事を待つ播磨の前で、さんざん歯噛みした上司が口を開く。


「いいだろう、泳州町の悪霊祓いを許可する」


 それから忌々しげに付け加えた。


「ただし、人員は割けない。お前ともう一人のみだ」

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