13 神の庭に彩りを




 一歩も譲らない湊の気配を感じ取ったであろう山神だが、めげずに画面を切り替えた。

 今度はなぜか、山中を流れる渓流が映し出された。

 ちょろちょろとせせらぎの音も流れる。ついでに小鳥のさえずりも、獣が木々を移動中らしき枝葉がこすれる音も。


 なんという効果的な背景音楽であろうか。ささくれた心をも一瞬にして慰めてくれること請け合いである。

 案の定、耳をすました山神は、ずいぶん心地よさげな表情を浮かべている。


「この音ら、実によかろう」

「――そうだね」


 だが悲しいかな、湊にはさしたる効果はなかった。

 同じ姿勢のまま、なおかつその顔も能面のよう。山神が何を言おうとしているのか、予想もつかないからだ。

 山神のまなこが完全に開き、湊を見つめる。


「このせせらぎの音を常に聞きたくはないか?」

「いや、時々山神さんちで耳にしてるから、それだけで十分だよ」

「毎日聞いても、飽きるなぞありえぬであろうよ」

「そうかもだけど、俺は滝の音もいいと思う」

「うむ、せせらぎを足せばさらによき」


 山神は引かない。

 パソコンの音量を上げて『ほれ、どうだ』と目顔で語る。紛れもなく、よき効果音だ。川の音然り、海の波の音然り。水音には抗えない魅力があるのは否定できない。


「今度も川を変えたいってこと?」

「左様。浅くして、角度をつければよかろう」

「――それは、大々的な改装では?」

「そうでもない。多少、ただ地を下げればよいだけぞ」

「地面を盛り上げるのがダメなら、下げればいいみたいにしか聞こえない……」


 座布団に伏せた山神が上目で見てくる。大変あざといが、湊は絆されない。

 それに――。湊は落ち着きなく、モップを握り直した。


 何より、かの竜宮門がむき出しになるではないか。

 あれは、秘されるべき物だろう。堂々と白日の下に晒してよいわけがない。たとえここを出入りする他者の数が著しく少なかろうとも。


「大がかりな改装はダメだよ。川はこのままでお願いします」


 すげなく突っぱねた湊は、モップを手に洗面所へ向かった。

 テキパキと掃除道具を片付けてから川辺りに屈み、手を洗っている。

 そのやりにくそうな姿勢をずっと眼で追っていた山神がフムと頷く。


「ならば、小規模な改装であればよいということであろう……」


 その企みは、離れた湊には聞こえなかった。




 手を洗い終えて膝を起こした湊は、大きく伸びをする。


「あたっ」


 腰のあたりからバキッと嫌な音がしたが、聞こえないフリをする。まだまだ若い身空みそらであるからして。

 それから、手を拭きつつ振り返った直後、あんぐりと口を開けた。


 縁側のそばに、立手水鉢たちちょうずばちが出現していた。


 いまのいままで確実になかったそれは、神社に参拝する前に、手と口をすすいで清めるための手水舎と同じ物だ。

 小ぶりなサイズながらも縦に長く、わざわざ屈む必要はない。

 そこへ、細長い水を落とすかけひは青竹で先端は尖っておらず、寸胴切りである。

 これならビビることもなく、心穏やかにおててを洗えよう。


「なんで!?」


 湊の素っ頓狂な声が木霊する中、山神がその鉢にいそいそと花を浮かべている。

 頭部周囲に、にじむように現れる天竺牡丹ダリアたちを、一つずつ口で受け止め、ポトポトと落としていた。

 ダリアの花手水を作成中だ。


 いつぞや隣神の眷属たるツムギに『ここには花がない』と言われたのを気にしていたのかもしれない。

 山神はちょいと前足で花の配置バランスを整えつつ、湊を横目で見やった。


「川は何一つ変えておらぬ。そのうえ大がかりな改装もしておらぬぞ」

「それは、ただの屁理屈では?」


 半目になった湊に向き直った山神が、真上から落ちてきた一輪を横咥えすると、後光が差した。

 神力の誇示である。電飾を凌ぐその御身は、縮むことも透けることもない。

 まばゆさに目を細め、湊は小径を渡って歩み寄っていく。


「あんまり力は遣ってないんだね」

「むろん。この程度、遣ったうちにも入らぬ」


 湊がそこにたどり着くと同時、山神はやや離れ、左右へ場所を変えつつ、花の盛り具合をチェックしている。その表情は至って厳しく、職人の眼差しである。

 ややあって頷き、尾を振った。


「うむ、これでよかろう」

「へぇ、綺麗だね。こういう風にするのもいいね」


 湊はもちろん、花の名を知らない。

 ともあれ水面をぎっしり覆うダリアは、白を基調とした淡い色で構成されている。控えめな色合いながらも、丸みを帯びて幾重にも重なる花弁は豪奢だ。

 そこへ、筧からとうとうと流れる水は実にキラキラしている。湊が指で水の筋に触れた。


「川の水より冷たい感じがする」

「やや温度を低くしてある」

「この水も、神水?」

「左様。これなら好きな時に飲めよう。ついでに筆や硯もここで洗うがよい」

「ありがとう、助かります。――実は飲んでみたかったんだよね」


 ウツギから人である湊が飲んでも、なんら問題はないと聞かされたが、いまいち川から掬って飲む気になれず、いまだその味を知らなかった。

 湊が両の手を器にして、一口飲んだ。


「――うまい! 甘いのかと想像してたけど、全然そんなことないんだね。さっぱりしてるし、後味もすっきり」

「そうであろう、そうであろう。これなるは、霊験あらたかなる神の水ぞ」

「ありがてぇ~」


 両の手に満たした水をやや大げさに掲げ、それから喉を鳴らして飲み干した。


『む! 新たなる見世物か!』


 忙しない羽音が聞こえ、湊が面を上げると、川から鳳凰が飛んでくるところだった。

 竜宮門から一羽のみでご帰宅のようだ。


 鳳凰は本来、活動的である。麒麟と同じく世界を放浪するタイプだが、いまの自らの状態――突然寝落ちする――を理解しているため、楠木邸で大人しく静養している。

 時折、四霊そろって出かけても、少しでも眠気を覚えたら即座に帰ってくる。


 眠気をたたえた鳳凰は、やや危うげな飛行ながらも無事、湊の肩へ着地した。


「おかえり、鳥さん」

『うむ、いい気晴らしになったぞ。それにしても、これはまた変わり種だな――』


 身を乗り出して花手水を見下ろす。その傍ら、山神が軽く胸を反らした。


『たまには、花もよかろう』

『確かにな。よい水飲み場でもある』


 その感想を山神が湊へ伝えている最中、鳳凰の足のつかむ力が弱まった。すかさず湊は、自らの胸のあたりに手を持っていく。そこへころりと落ちてきたひよこを見事、受け止めた。

 慣れたものだ。ともに外出した時の恒例行事となっている。

 手中で横たわって眠る鳳凰は、なんとも無防備な姿だが、安心している証左であろう。

 それを見ていた山神が半眼になった。


「素直に寝床へ向かえばいいものを――」

「鳥さんもなにげに新しい物が好きだから、手水鉢をそばで見たかったんだろうね」


 含み笑いした湊は、なるべく鳳凰をゆらさないよう、慎重な足運びで石灯籠へ向かう。そっと火袋へ入れるその様子をもう一基のガラス窓越しに、エゾモモンガがじっと見ていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る