21 新たな職
店員がさっと横に避ける。今までの不動ぶりが噓のような俊敏さであった。
声もなく進んだ湊が、そのうちの一本の組紐を手に取った。
新緑が萌え出るような緑色――
リボン状のそれをじっと見つめていると、店員が静かに声をかけてきた。
「心惹かれた物と出会えたようですね」
「――そうですね。不思議とこの組紐が気になりました」
素直に応えたら、店員はしきりに頷いた。身体の前で両手を組み合わせる、その面は、すべて心得ておりますと語っている。
「無理におすすめはしませんが、気に入られたのなら、購入されたほうがよろしいですよ。人であれ、物であれ、出会いは一期一会。うちは一点物が多いですから、売れてしまえば二度と会えない可能性が高うございます」
押しつけがましさはない。心からそう思っているようだ。
「そちらの組紐は人気もありますし、先ほど入荷したばかりなんです。至極運がよろしいですね」
そう告げた店員の目が湊の両肩と背中へ走ったのを、店奥を歩んでいた山神だけが見ていた。
湊が周囲を見やる。今手にした組紐だけに限らず、他の組紐、隣の棚の品々、どれも他店で目にする商品とは異なるようだ。
ここに入る前に感じた、清浄な気配をまとっているようだと感じた。
「ここの物、すべて神域でつくられた物ぞ。いずれも薄く神気をまとっておる」
いつの間にか傍らにきていた山神が宣った。
店員は、もうその神威の塊がそばにいても動じない。神圧に慣れたらしき彼も同意する。
「そうです。ここにあるもの全部、神域にお住まいの方――あなたと同じ環境にいる人の手によってつくられた、特別な物ばかりなんですよ」
さも当然のごとく宣い、朗らかに笑った。
なぜ知っている、と警戒する必要もなかろう。
店員は、山神が認識できている。神の類いを感知できる者の心は清らかなのだと、以前山神から教わっていた。
ともかく、湊はいちおう気になる事柄を尋ねる。
「――俺は、普通の人と何か違うんですか?」
「全身に神気をまとっていらっしゃいますので、私のような者には一目で見分けがつきます」
「私のような者、とは?」
そのものズバリな詮索になるから気が引けたが、店員の開けっぴろげな様子からさほど遠慮はいるまい。
「私は常人より、少々五感が発達していますので」
「修行されてですか?」
「そうです。それなりに鍛えています」
精神のみではないと示すためか、力こぶをつくって見せられた。意外に筋肉質で着痩せするタイプらしい。
「お寺の方のような感じがするんですけど」
「よくわかりましたね。そう、寺生まれです」
と告げて晴れやかに笑う。誰とでもすぐに仲良くなれそうな屈託のなさだ。
それにしても寺に生まれし者が、なにゆえ雑貨屋に従事しているのか。
湊は疑問に思っても、口には出さなかった。人にはさまざまな事情があろう。が――。
「私、五男なので、自由の身なんですよ」
勝手に汲み取って話してくれた。
よもや読心術ではあるまいな。
戦々恐々となった湊に、山神がのんびりと問いかけた。
「して、その紐は買うのか」
レジ付近で、がま口財布を眺めている。退屈なのかもしれぬ。
「買うよ」
特別な物というだけあってかなりお高めだが、迷いはなかった。
「あ、でもいちおうサイズが合うか確かめたほうがいいか」
バッグから木彫りを取り出した。
それを店員はまじまじと見つめたあと、奇声を発する。
「ひょえぇ!」
その一声はひょっとして、口癖なのか。
またも店員は震え出し、己が肩を抱いた。
「な、なんですか、それは……! とんでもない物をお持ちだったんですねッ」
悶えつつも、湊の手元――狼の木彫りを食い入るように見つめている。
この狼は、祓いの力を完全に閉じ込め――封じてあり、悪霊に触れない限り、その効果を発揮しない。
店員の熱視線に湊は戸惑った。とてもとても物欲しそうだ。
「あの……。この木彫り、ご覧になられますか?」
「ぜひ!!」
食いつきがすごい。両足をそろえて頭を下げ、両手を前へ伸ばしてきた。腰の曲がりが直角に近い。
丁寧にもほどがある。
厳かな贈呈式めいた受け渡しを行う。そっとその両手の真ん中に乗せた途端、店員は振動したが店内に入った最初の時ほどではなかった。
それからおもむろに、狼を両手に乗せたまま己の頭を動かし、あらゆる角度からつぶさに観察し始めた。天井へ両手を掲げ、真下から見上げてもいる。
その眼差しは輝き、しばしば感嘆の唸り声もあげた。
その挙動は大げさの一言に尽きるが、ここまで丁重に扱われて悪く思う者もおるまい。
この店員さんになら、丹精込めてつくった物を任せてもいい。
そう思った人々の作品がここに集っているのだろう。
じっくり見分を終えた店員から、これまた懇切丁寧に木彫りを返された。
「大変いい物を見せていただき、まことにありがとうございました」
「……こちらこそ、お褒めいただきありがとうございます」
湊は、褒め言葉は素直に受け取るようにしている。たとえそれがお世辞であったとしても、己は正反対の意見を持っていたとしても。
こちら側の考えなど、どうでもいいことだ。謙遜して相手の言葉と気持ちを否定するのはよろしくない。
店員が咳払いをし、背筋を伸ばした。いやに物々しい。
「折り入ってお願いしたいことがございます」
「はぁ、なんでしょう」
「うちに木彫りを卸していただけませんか?」
真剣な面持ちで申し出てきた。
これには湊も面食らった。
木彫りを始めてまだまもなく、悪くはない出来だと自負していても、売り物にするなら話は別だ。
表札にもなみなみならぬこだわりを発揮する男は、木彫りにも妥協はしない。
真顔の湊も固い声で言った。
「いかにも素人じみたつくりで、売り物になるとは思えませんけど」
それに、卸した物が一個も売れなかったら、申し訳なさで眠れなくなりそうだ。
「素人くささ、大いに結構です。味がある。むしろ、そこがいい」
しかし、力強く全肯定されてしまった。
ピッと襟を正した店員は、素早く戸口を背にして立った。
なんとしてでも卸させてみせる。絶対に首を縦に振らせてみせる。
さもなくば、ここから出さぬ! 全身全霊でそう告げていた。
逃げられそうにない。
困った湊が山神を見やった。
我関せず。下方に置かれた吊るし飾りを前足でつついて遊んでいた。くるりくるりと回る人形たちはやけに楽しそうだ。
「お主の好きにすればよき」
「うん、まぁ、はい」
「嫌なら断ればよいだけぞ。無理は云うまいて」
かえりみた山神が、仁王立ちする店員を見やる。
「ひょえぇ!」
しびびと震え、直立不動になった。
「も、も、もちろんでございますっ、山の神様! 断じてそのようなことはッ。あひゃあ!」
視線に乗せる神威を強めたり、弱めたり。それに合わせて奇声を発し、店員は身悶える。それでも戸口前からどかない。
そんな店員を視界から外しつつ湊は考える。
決して悪くない話だ。
今まで表札類をさんざんつくってきたが、他人に売ったというか買い取ってもらった経験は、最初の葛木の時だけしかない。他はない。
果たして己のお手製の木彫りも、金を払ってまで求められる価値があるのか否か。
純粋に知りたいという好奇心はあった。
「木彫りを一個つくるのにもかなり時間がかかりますので、あまりたくさんは卸せないと思いますけど……」
湊の芳しい返答に、店員は気合で声と身震いを止めた。
山神の低い笑い声が反響する中、店員が顔を輝かせる。
「可能な数で十分でございます。一個でもありがたいです! よろしくお願いいたします!」
「マジか」
思わず素で驚く湊であった。
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