8 鳳凰の気配がするってよ
きらめく湖沿いをゆく途中、作業着の男たちが湖畔にいた。ヘルメットをかぶった彼らの中心に、骨組みだけの木造建築物がある。
小ぶりのお
そば近くに木材を積んだトラックが停まっており、そこから二人の男が角材を肩に担いで運んでいる。
湊は、先頭をゆく壮年の人物に見覚えがあった。
いつかの親方だ。
少しばかり前、鳳凰とともに出かけたら、木組みの住まいを建築中のところに、出くわしたことがあった。
当時、ろくに肩が上がらなかった親方は、細い角材すらまともに持てない状態であった。
それが今や、ぶっとい角材を軽々と担ぎ、そのガタイも見違えるほど厚みを増していた。
鬼瓦のごときご面相に似合いの逞しさである。
親方の後ろに若者が続いている。
ねじり鉢巻のその彼が抱える角材は、親方の半分程度しかない。
ひいこら言っているが若者の名誉のためにいうなら、それでも一人で抱えるには十分大きく重い。
「お、親方ー、待ってくださいよぉ〜。なんでそんな重ぇしデケェやつ、かる~く持てるんすか!」
「ああ? この程度のモン大したことねぇだろうが」
「し、信じらんねー。ついこないだまで肩と腕が痛えつって、トンカチすらまともに振るえなかったっつーのにっ」
「ハッ、なんのことだかよ。テメェの気のせいじゃねぇのか」
「ぜってー、ちげーし。だいたいなんすか、その筋肉! 六十間近でマッチョになるとか意味わかんねーすけど。必死こいてジムに通う二十代のオレより、いい身体してるってどういうことっすか!」
「なに言ってやがる。日々、大工仕事してりゃあ、これぐれぇの筋肉すぐつくだろうがよ!」
ガハハハ、と大口を開けて笑った。
ご壮健そうで何よりである。やや言葉遣いは荒くとも、そこそこ気さくな御仁だ。
――親方は鳳凰から珠を授けられ、健康体を取り戻している。
人のつくり出すモノを好む鳳凰による、計らいである。
親方は老いと酷使から肩と腕を壊し、大工仕事をしたくてもできなかった。その無念さ、悲壮さを見聞きした鳳凰が、憂いを晴らしてやったのであった。
角材を地面に降ろした親方が振り向き、通りかかった湊に気づき、眉を上げた。
「お、鳥遣いの兄ちゃんじゃねぇか」
「こんにちは」
湊は、ややうさんくさい笑顔であいさつを返した。
このところ出かけるたび、面と向かって鳥遣い呼ばわりされることがままあり、いい加減その呼称に慣れてきている。
「お社を建ててるんですか?」
「ああ。すぐにでもここに建ててくれって依頼されてよ」
仁王立ちする親方は、若干不思議そうだ。
ふと湊は思う。もしかすると一帯に漂う山神の神気を感じ取った人からの依頼かもしれないと。
今では感覚の優れた者は少なくなったと、神々は口をそろえる。太古から人間を見てきた彼らが言うのなら、それは事実なのだろう。
陰陽師になるために必須とされる、
もう少数しかいない。けれども、決してゼロではない。
いるのだ、確実に。どこかしらに。
まだ骨組みしかないお社を、湊はまぶしげに見やった。その様子を見て、親方が言った。
「兄ちゃん、前も熱心につくりかけの家見てたな。木組みの建物が好きなんか?」
「まぁ、はい。……出来上がっていく過程を眺めるのが好きなんです」
それは、建物に限らない。とりわけ熟練の職人の手さばきを観察するのを好む。
鳳凰と出かけたら、見つけた職人の技を心ゆくまで眺めていることもある。
ちなみに、湊と親方の間に鎮座する山神はあくびを連発している。さっぱり興味なしだ。
「なんなら兄ちゃん、大工になるか?」
顎をお社へとしゃくって、親方は言った。そこでは、幅広い年齢の男たちが宮大工仕事に励んでいる。
「今からは、さすがに……」
「なに言ってんだかよ。まだまだ若ぇだろうが」
童顔の自覚がある湊は笑って誤魔化した。
ともすれば、十代後半だと思われる。
加えて今回も前回も、平日の午前中にブラついている最中に会っている。
わずかに不安になった。
いちおう現時点の本業、家の管理人。副業、護符作成である。
特異な庭のおかげで、敷地内はさほど手間はかからなくとも、敷地外の清掃はなかなか骨が折れる。
しかも最近、木彫りまで始めた。こちらは趣味の範疇だが、それなりに働いているほうだろう。
なお、副業の収入が本業をべらぼうに上回っているのは、言うまでもなかろう。
語らう親方と湊のもとへ、二羽のスズメが飛んできた。湊のそばではなく、親方の足元に羽ばたき音とともに降り立った。
ぴょこぴょこ跳んでさえずる。
まるで、『早く仕事に戻りなさい』と催促するようであった。お社付近にいる何羽ものお仲間も、翼をバタつかせて騒ぐ。
「なんだテメェら、急かしてんのか? もうちょい待ってろって」
ヘルメットを脱いだ親方は、頭の手ぬぐいを締め直した。
「鳥遣いのアンタほどじゃねぇが、なぜか俺にも鳥が寄ってくるようになってよ」
困った声色ながらも、相貌は和らいだ。
懐かれるのはまんざらでもないのだろう。
以前、自宅らしき庭で鳥の巣箱を制作中のところを、見かけたことがあった。
「じゃあ、仕事に戻るわ。兄ちゃん、大工に弟子入りしたかったら、いつでも俺んとこにこいよ。歳も性別も関係ねぇ。やる気があるヤツならいつでも歓迎するかんな」
親方は、自らの頭を人差し指で示した。
手ぬぐいに〝
◯
湖からの戻り道、洋風の家が建ち並ぶ通りを抜ける。
そのうちの一軒、すべての窓下に設置されたフラワーボックスですずらんが咲き誇っていた。可憐な白い花々が目にも清々しい。
その清涼感のある香りは、いささか距離があって楽しめない。鼻をうごめかせる山神のほうは、満喫しているようだけれども。
塀越しに、鈴なりの花々が風にゆれる様を鑑賞しつつ、湊は歩む。
「すずらん一色だ。他の花はお呼びでないと言わんばかりだね。あの花が相当好きなんだろうな」
「統一感があるのもよき」
「楚々とした見た目がいいよね」
「毒持ちぞ。しかも強力で死に至る場合もある」
愉快げに山神から告げられ、湊は複雑そうにつぶやく。
「そんな……。こっちも危険な物だなんて、知らなかった……」
そっとすずらんから視線を引きはがした。外見にそぐわぬ凶悪さを感じていたのであった。
――チリン、チリン。
連れ立ってのんびり歩を進めていると、風鈴の音が聞こえてきた。
それは、一つや二つどころではない、高低差のある音程が入り乱れる多重音であった。
「すごい音がする。いくつあるんだろう」
音につられた湊は、山神とともに和風造りの店舗に近づいた。
そこは、店内外の至る所に、風鈴が吊るされていた。
さまざまな材質の風鈴がそろっていて壮観だが、いくら涼やかな音色とはいえ、数え切れないほどの風鈴が奏でる音は、騒音に等しい。
短冊が派手に回ったり、真横になびいていたりしている。むろん風の精たちによるイタズラである。
ついでに湊の頭髪もかき乱した。
「もう少し風、控えてよ」
髪を押さえながら、苦言を申し立てたが、風は収まらない。どころか、増した。
――リリリリ。店内の置型風鈴のみが早鐘のごとく鳴る。
『ヤダよー』と告げている。
次にガラス製の江戸風鈴のみ、鉄製の南部風鈴のみ、
店の正面で、風鈴ともども湊が風に翻弄されている。その横で上向いた山神が、はくっと空気を食むと、パタリと風がやんだ。
前髪をかき上げる湊は、苦笑するしかない。
「風の子たち、山神さんには従うんだね……。俺、全然相手にしてもらえない」
「致し方なし。気まぐれな子らゆえ」
山神の背中にズラリと乗る一列縦隊の風の精たちが、ぴゅるり〜と一斉に口笛を吹いた。
実に、小生意気そうなご面相と態度である。
そんな彼らは、気に入らぬ者にちょっかいを出さなければ、そばに寄りつきもしない。
湊の人間性をお試し中だ。
いくら風神が力を与えたとはいえ、己たちが仲良くするに値する人物なのかを見極めようとしていた。
ゆるい自然の風が吹き、店先に吊るされたガラス製の風鈴が鳴った。
――チリン。その音色は、控えめながらも余韻が残る。深く心に染み入る。
湊はしばし耳をすませ、音に聞き入った。
「――いい音。すごく懐かしい気もする。去年いっぱい聞いたからかな」
頭上の風鈴に絵付けされた金魚を見たら、なおのこと昨年仕舞った風鈴を思い出した。
楠木邸のクローゼットの奥深くで眠るそれには朱と黒、二匹の金魚が描かれている。
「片付ける前の金魚たちが妙にぐったりしてたけど、一年近くお休みしたからもう元気になったよね?」
そんなことあるはずない。そう思っていながらも、ふざけて尋ねた。
「うむ、十二分に癒えたであろうよ」
大真面目な山神の返事のおかしさに、湊は笑った。
昨年の
その輩に神罰を与える時に大活躍であった風鈴の働きを湊が知ることは、未来永劫ないだろう。
店前から離れる大狼に倣い、湊も続いた。
「そろそろ風鈴出そうかな。いや、まだ早いか。梅雨に入ったばかりだし」
「庭は夏ぞ」
「そうだけど。今でさえしょっちゅう出かける時の服装間違うから、一足早く夏気分に浸ってると、もっと世間と感覚がズレそうだ」
楠木邸の表門をくぐった瞬間、薄着すぎたと身をすくめ、回れ右をした経験は数えきれない。
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