52 乗っ取り、ダメ、絶対


「なにも恐れることはない。そやつらは、気は優しくて力持ちというやつぞ」


 ぱっちり開いたその両眼は黒ではなく、黄金だった。


「山神さん?」

「むろん」


 その威力のある声は大地を、大気を震わす。紛れもなく山神のものだ。


「ウツギの体に入れるんだ……」

「云うたであろう、こやつらは我の分身でもあると。この程度造作もないわ」

「ウツギがすねそうですけどね」


 ふんぞり返る山神インウツギの横で、セリがぼやいた。


「では朝掘りタケノコを頂くとしようか」

「……ここで食べるの」

「とれたて新鮮の物を食せるのは、何ものにも代えがたい喜びぞ。旬の醍醐味であろう」

「一番の贅沢ではあるね」


 いい出したら聞かない山神に慣れているセリは、無言でタケノコの皮をむき始めた。

 同じく慣れさせられた湊もバックパックに手を入れる。


「一応、準備してきてはいたんだ」


 小振りなナイフ、まな板、紙皿、小分けした醤油を次々に取り出していく。

 山神が尾を振る。

 が、後ろを振り返り、己が太めの尾を見やった。違和感があるらしい。


「ちと動かしづらい……。まあ、じきに慣れよう。にしても、お主、食う気まんまんではないか。わさびはあるか」

「むろん、ここに」


 すっとわさびチューブをこれみよがしに掲げた。

 山神が竹林の奥を眺めやる。


「山わさびは沢に生えておったろう」

「ありますね。あちらも旬です」

「でもここからちょっと遠いよね。タケノコは生で食べるなら時間との戦いだから今回はチューブで我慢して」


 やや不満げな山神もタケノコを手に取った。多少覚束ない手つきながらも、器用に皮をむいていく。


「ほう、前足が細かく使えるというのは、なかなか便利なものであるな」

「木登りもお手の物です」

「うむ、ではあとで試すことにしよう」


 金眼と黒眼のテンが仲良く並んでタケノコの皮をはぐ。その様子を、湊はペットボトルの水で手を洗いながら微笑ましく眺めやった。

 セリからむき身を渡され、ナイフでサクサクと切り分けていく。皿に並べ、顔を上げた。

 するとクマが大岩を転がしてきて、山神の前に置いたところだった。


「クマさん、ありがとう」


 片手を挙げ、のすのすと去っていく。小さくなっていく黒い背中を最後まで見送った。

 地面に直置きはいかがなものかと思っていたが、気の利く方のおかげで助かった。

 紙皿を置いてもグラつくことも、傾くこともない。いいテーブルである。


「クマさん、タケノコは食べないのかな」

「あやつは無類の甘党ぞ」

「山神さんと同類か」

「さて、早う食べねば、えぐみが増すな。頂こうか」


 澄ました山神は、タケノコに刺さった竹串をつかんだ。

 

 それから大勢の動物たちとともに、朝堀り白子タケノコの刺し身を大いに楽しんだ。

 


  ◇

 


 タケノコをたらふく食した一行は帰途についた。

 やがて傾斜もゆるやかになった頃、木々に囲まれため池があった。所々水草が顔を出している水面は凪いでいる。


 静かだ。若干不自然なほどに。


 いうまでもなく、山には多種多様な生き物が生息している。その息遣いを何一つ感じられない。注意深く見回しても、どこにも虫一匹すらいない。


「ここには溜まりやすくてな」


 ため池を眺める山神の後ろに控えるように立つセリも、ただじっと木々を映す水鏡を見つめている。

 が、など問うまでもなく察した。

 山神曰く『悪しきモノ』だろう。

 一般的にも、水場には溜まりやすいのはよく知られたことでもある。

 かすかな葉ずれの音がした。

 湊が横を見れば、そこにはトリカがいた。


「ここにいたんだ」

「ああ、……少し野暮用でな」


 パチリと瞬いたトリカは何かいい淀んだようだった。

 やや気になったものの、メモ帳を取り出してめくる。


「……今は何もいないよね。字は全然消えてないし、消える様子もない」

「先ほど始末したからな」

「そんなに溜まりやすいものなんだ」


 トリカが池の反対側を指差す。

 そこは、ただ木が密集した場所で、とりわけ異常なモノは見当たらない。湊には何も感じ取れなかった。


「そこに霊道が通っているせいでな」


 霊道。

 冥界へと向かう死者が通る道だといわれている。

 湊はこの手の話題になると、下手に質問などせずに口をつぐむ。

 なぜなら、本来なら生者が知り得ない情報を知ってしまう恐れがあるからだ。

 遅かれ早かれ、生を終えれば嫌でもわかることであろう。

 生きているうちに知ったところで、何かが変わるというものでもあるまい。そんな考えを持っている。


「もー! 我もタケノコの刺し身食べたかったのにー!」


 突然、ウツギの声が山あいに轟いた。

 黒眼を吊り上がらせ、先端が黄色い尾を膨らませ、地団駄を踏んでいる。

 ウツギに戻ったらしい。

 ジタバタと悔しげに暴れたあと、しゅんと耳と尾を下げてしょげた。


「楽しみにしてたのに……山神に乗っ取られた……」

「なんといういい方をするのですか」


 セリがたしなめた。湊がバックパックをウツギへと向ける。


「まだタケノコあるよ」

「刺し身も?」

「いや、刺し身はもう……そうだ、天ぷらだ、天ぷらにしよう!」

「油で揚げるの!? チーズも!?」


 ウツギが眼を輝かせた。少し前から、眷属たちは乳製品にハマっている。


「いいよ。なんならチーズフォンデュもしようか」


 なにそれなにそれ、と興味津々のウツギに、内心しめしめとほくそ笑む湊の足元で――。


「先ほどお刺し身、食べすぎましたものね」


 こそっとセリが突っ込んだ。

 その傍ら、トリカが無言で見上げてくる。うっと湊がたじろいだ。

 つぶらな眼で食べたいと訴えてこられては、さすがに折れるしかないだろう。

 

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