18 乗っ取り、ダメ、絶対
「なにも恐れることはない。そやつらは、気は優しくて力持ちというやつぞ」
ぱっちり開いたその両眼は黒ではなく、黄金だった。
「山神さん?」
「むろん」
その威力のある声は大地を、大気を震わす。紛れもなく山神のものだ。
「ウツギの体に入れるんだ……」
「云うたであろう、こやつらは我の分身でもあると。この程度造作もないわ」
「ウツギがすねそうですけどね」
ふんぞり返る山神インウツギの横で、セリがぼやいた。
「では朝掘りタケノコを頂くとしようか」
「……ここで食べるの」
「とれたて新鮮の物を食せるのは、何ものにも代えがたい喜びぞ。旬の醍醐味であろう」
「一番の贅沢ではあるね」
いい出したら聞かない山神に慣れているセリは、無言でタケノコの皮をむき始めた。
同じく慣れさせられた湊もバックパックに手を入れる。
「一応、準備してきてはいたんだ」
小振りなナイフ、まな板、紙皿、小分けした醤油を次々に取り出していく。
山神が尾を振る。
が、後ろを振り返り、己が太めの尾を見やった。違和感があるらしい。
「ちと動かしづらい……。まあ、じきに慣れよう。にしても、お主、食う気まんまんではないか。わさびはあるか」
「むろん、ここに」
すっとわさびチューブをこれみよがしに掲げた。
山神が竹林の奥を眺めやる。
「山わさびは沢に生えておったろう」
「ありますね。あちらも旬です」
「でもここからちょっと遠いよね。タケノコは生で食べるなら時間との戦いだから今回はチューブで我慢して」
やや不満げな山神もタケノコを手に取った。多少覚束ない手つきながらも、器用に皮をむいていく。
「ほう、前足が細かく使えるというのは、なかなか便利なものであるな」
「木登りもお手の物です」
「うむ、ではあとで試すことにしよう」
金眼と黒眼のテンが仲良く並んでタケノコの皮をはぐ。その様子を、湊はペットボトルの水で手を洗いながら微笑ましく眺めやった。
セリからむき身を渡され、ナイフでサクサクと切り分けていく。皿に並べ、顔を上げた。
するとクマが大岩を転がしてきて、山神の前に置いたところだった。
「クマさん、ありがとう」
片手を挙げ、のすのすと去っていく。小さくなっていく黒い背中を最後まで見送った。
地面に直置きはいかがなものかと思っていたが、気の利く方のおかげで助かった。
紙皿を置いてもグラつくことも、傾くこともない。いいテーブルである。
「クマさん、タケノコは食べないのかな」
「あやつは無類の甘党ぞ」
「山神さんと同類か」
「さて、早う食べねば、えぐみが増すな。頂こうか」
澄ました山神は、タケノコに刺さった竹串をつかんだ。
それから大勢の動物たちとともに、朝堀り白子タケノコの刺し身を大いに楽しんだ。
◇
タケノコをたらふく食した一行は帰途についた。
やがて傾斜もゆるやかになった頃、木々に囲まれため池があった。所々水草が顔を出している水面は凪いでいる。
静かだ。若干不自然なほどに。
いうまでもなく、山には多種多様な生き物が生息している。その息遣いを何一つ感じられない。注意深く見回しても、どこにも虫一匹すらいない。
「ここには溜まりやすくてな」
ため池を眺める山神の後ろに控えるように立つセリも、ただじっと木々を映す水鏡を見つめている。
山神曰く『悪しきモノ』だろう。
一般的にも、水場には溜まりやすいのはよく知られたことでもある。
かすかな葉ずれの音がした。
湊が横を見れば、そこにはトリカがいた。
「ここにいたんだ」
「ああ、……少し野暮用でな」
パチリと瞬いたトリカは何かいい淀んだようだった。
やや気になったものの、メモ帳を取り出してめくる。
「……今は何もいないよね。字は全然消えてないし、消える様子もない」
「先ほど始末したからな」
「そんなに溜まりやすいものなんだ」
トリカが池の反対側を指差す。
そこは、ただ木が密集した場所で、とりわけ異常なモノは見当たらない。湊には何も感じ取れなかった。
「そこに霊道が通っているせいでな」
霊道。
冥界へと向かう死者が通る道だといわれている。
湊はこの手の話題になると、下手に質問などせずに口をつぐむ。
なぜなら、本来なら生者が知り得ない情報を知ってしまう恐れがあるからだ。
遅かれ早かれ、生を終えれば嫌でもわかることであろう。
生きているうちに知ったところで、何かが変わるというものでもあるまい。そんな考えを持っている。
「もー! 我もタケノコの刺し身食べたかったのにー!」
突然、ウツギの声が山あいに轟いた。
黒眼を吊り上がらせ、先端が黄色い尾を膨らませ、地団駄を踏んでいる。
ウツギに戻ったらしい。
ジタバタと悔しげに暴れたあと、しゅんと耳と尾を下げてしょげた。
「楽しみにしてたのに……山神に乗っ取られた……」
「なんといういい方をするのですか」
セリがたしなめた。湊がバックパックをウツギへと向ける。
「まだタケノコあるよ」
「刺し身も?」
「いや、刺し身はもう……そうだ、天ぷらだ、天ぷらにしよう!」
「油で揚げるの!? チーズも!?」
ウツギが眼を輝かせた。少し前から、眷属たちは乳製品にハマっている。
「いいよ。なんならチーズフォンデュもしようか」
なにそれなにそれ、と興味津々のウツギに、内心しめしめとほくそ笑む湊の足元で――。
「先ほどお刺し身、食べすぎましたものね」
こそっとセリが突っ込んだ。
その傍ら、トリカが無言で見上げてくる。うっと湊がたじろいだ。
つぶらな眼で食べたいと訴えてこられては、さすがに折れるしかないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます