14 座して待つ


 やわらかな風、あたたかな日差し。緑萌える楠木邸の庭は、今日もまったりとした時間が流れている。

 年中変わらぬ景色とはいえ、そこは神の庭。決して見飽きることはない。

 ただその場にいるだけで、空気に触れているだけで。眺めているだけで、癒やしと安らぎを享受できる。

 ついでに山神自体が発している山の香りで、森林浴まで堪能できる仕様である。


 そんな庭の真ん中で、クスノキがさわさわと風と戯れている。

 大岩の上では霊亀が甲羅干しをしながら眠り、太鼓橋で麒麟がうたた寝中。その上を飛び魚さながらのジャンプをキメた応龍が、飛び越えていった。

 

 そして庭の一角、縁側の中央を山神が陣取っている。その傍ら、湊は座卓に向かっていた。


 ――ぴちち、ぴちち。


 塀の上に一列に並んだ小鳥たちが控えめに鳴いている。今日は長に会えないだろうかと待っているらしい。


 鳳凰は、ここ数日眠りっぱなしだ。


 石灯籠にこもったまま出てきていない。

 数日前、湊がよその神域に引き寄せられた際、救難信号発信のため、無理して元の姿に戻ったせいだ。

 山神が『寝れば治る』と断言していたのだけれども。


 気遣わしそうに湊が石灯籠を見やる。

 火袋のピンクパールの光が力強く明滅している。数日前よりはるかに光度が上がっていた。


「……結構元気になってるよね」

「じきに起きるであろうよ」

「よかった……」


 意図しない出来事だったとはいえ、湊は己のせいだと気に病んでいた。


「鳳凰のは、少々のことでくたばるタマではないぞ」

「そうはいっても、弱りはするだろ。ようやく元気になったところだったのに」


 座布団に寝そべった山神が、目を伏せる湊を見た。

 一応、先日眷属たちと戻ってきた湊に、理由を教えはした。

 神域に引き寄せられるようになっているからだと、これから気をつけろとも。


 そうはいっても、湊自身で対処できないのは、百も承知だ。


 ゆえに神々が楠木邸を中心に、湊が主に出かける場所の放棄神域を排除して回ったのだ。

 なおそれほどの力を持たない四霊は、神庭で待機していた。


 あれから、湊は一度も家を出ていない。

 神々の努力により、辛うじて楠木邸周囲だけ、放棄神域の入り口は減っている。しかし完全に除去できていない。

 土台、不可能な話である。

 自然界の至る所に数えきれぬほど存在し、風や雨などに流され、運ばれてきてしまうのだから。完全にイタチごっこである。終わりはない。


 どうしたものかと、山神は深くため息をついた。


「山神さん、疲れてるね」

「……そうでもない」


 湊は訝しそうだ。


「セリたちも雷様たちもお疲れ気味だったけど……」


 昨日の夜、楠木邸にやってきた馴染みの面子には、妙に疲労の色が濃く現れていた。


 山神は、神々の地味な努力の件を湊に告げていない。

 はっきりいえば、湊に余計な体質が付加されてしまった原因は、山神である。

 変わってしまった体質はもう二度と元に戻らない。さすがに面と向かって伝えることはできなかった。


 とはいえ、このままでいいはずもない。

 先日、麒麟から報告を受けていたゆえに、鳳凰が警戒し、湊の買い出しに付き添っていたおかげで事なきを得た。

 あのまま湊だけ神域に招待されていたのならば、おそらく今でも閉じ込められたままだったであろう。

 かといって、これからも毎回外出時に、誰かしらが付き添うわけにもいかないだろう。


 ひそかに悩む山神をよそに、湊は紙でできた小箱を座卓に戻した。


「これもいまいちだな……」


 湊は、思いがけず女神からもらってしまった異能を遣いこなそうと努めていた。

 座卓に並んでいるのは、さまざまな形、大きさ、材質の箱。和紙、木片類。家にあるだけかき集められた物だ。

 それらを順番に手に取り、上下左右にひっくり返している。


「駄目だな、どれも違う気がする。せっかくいただいた力だから遣えるようになりたいけど……」


 こやつもなかなかの強運ぶりよな、と山神は内心で感心する。

 ただでさえ、風来坊の風神から力を授かっている。

 そのうえ、今度は太古からの引きこもり神にまで力をもらう始末。珍しいどころではない。


 二柱から力を与えられる人間なぞ、前代未聞である。


 長きに渡り、それなりの人々を見てきた山神であれど、ほかに見たことも聞いたこともなかった。


「……なんかこう、できそうでできない妙な感じがするんだよね……」


 湊は、己の感情を箱に詰めようと練習していた。


「物体に入れた力が、煙のように漏れ出ておるな」

「やっぱりそうか……」


 新たな能力は、少しだけ身の内に感じる感覚があるらしい。

 しかしやはり祓いの力同様、感覚でつかむしかないようで、四苦八苦している。


「閉じ込めるには、いめーじぞ」

「……う、うん」


 下を向き、肩を震わせている。山神が横文字を話すと湊は笑いをこらえる場合が多い。


「素直に笑えばよかろう」

「……笑ってないよ……」

「発音がひどい、とトリカにはっきり告げられたゆえ、我もわかってはおる」

「トリカもいうようになったね」


 微苦笑しながら、湊は箱を積んでいく。飽きてきたのだろう。

 ここ数日いろいろ試していたものの、芳しい結果は出ていなかった。


「自分の感情なんて曖昧なものだからできないのか……」

「さてな」

「空腹感、飢餓感? そういうモノを閉じ込めようとすること自体が難しいものなのか、自分のだからだめなのか……。女神様はあれだけの数の箱に閉じ込めてたけど……」


 己に問いかけるようにつぶやいている。だいぶ行き詰まっているようだ。

 山神は何もかも導いてやる気はさらさらない。

 そもそも自らなんの努力もせず、すぐに教えを乞うてくる人間など願い下げだ。

 湊は自ら試行錯誤して学んでいける、ほっといても勝手に成長していく性質の者である。

 それを傍観するのも愉しいものだ。

 ふさりと山神は尻尾をゆらした。


「ちょっと休憩しよう」


 立ち上がった湊が家の中へと入っていった。

 


 鼻が鳴る、忙しなく耳も動く。尻尾の振り幅は半端ない。

 お盆を持った湊の移動の方向へと、山神の顔も連動する。寝そべったままの状態では、まだお盆の上の菓子は見えていないだろう。

 けれどもすでに、本日のお茶請けを察しておいでのようだ。


 のそりと起き上がり、座布団の上にお座りする。きちっと前足をそろえ、びしりと背を正した。

 大層威厳に満ちた佇まいである。

 だがしかし、その鋭き眼光は一心に座卓に置かれた皿――うぐいす餅、桜饅頭に注がれている。


 素知らぬ面持ちの湊は丁寧に、丁寧にお茶を淹れる。

 そのあいだ、山神はお菓子を見つめて微動だにしない。

 本体は、動かざる大山である。茶の支度が整うまでのあいだ、大人しく待つ程度のことなど、朝飯前だ。


 たとえその口元から、我慢できなかったヨダレがつうっと垂れようが、水たまりを形成しようが、ひたすら待つ。ただただ待つ。

 毎回、湊から差し出されて供えられて初めて口をつける。


 なぜなら、山神はお隣さんである。


 いくらここに常駐していようとも、あくまで隣神たる山神に出されるのは、お隣さんが訪れた時に振る舞われる茶請けだ。

 断じて勝手に食べはしない。

 この時ばかりの健気な様子がなんとも面白くて、楽しんでいる湊の茶を淹れる時間は少しばかり長い。

 決して意地悪ではない。

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